OBT 人財マガジン

2012.08.22 : VOL146 UPDATED

この人に聞く

  • 医療法人鉄蕉会 亀田メディカルセンター
    理事長 亀田 隆明さん

    【既成概念に捉われないサービスを展開】
    「人間にとって一番大切なもの」を追求する経営(後編)

     

    一般的に病院というのは、とかく規制が多く、患者や来訪者にとって居心地が悪い印象があるが、亀田メディカルセンターはハードもソフトも病院というより「ホテル」である。背景には、世の中のすべてのビジネスがサービス業化している現在、「医療もサービス業」という考え方がある。「高度な医療技術の提供」「病院施設の快適さ」についても特筆すべきだが、最も他と違う点が「患者と来評者に満足してもらうサービスの提供、ホスピタリティ」であろう。同院は"Always say yes!(患者の要望にはNOと言わない)"をモットーとし、更なるサービスの高度化を図っている。一方、多くの企業ではマニュアル等によって売り手側の「効率」を図ってはいるが、顧客価値への「効果」はどうか。競争環境が厳しくなる中で顧客離れを防ぐためには今一度、自社事業において最も重要なことを問いかけるべきなのではないだろうか。(聞き手:OBT協会代表 及川 昭)

  • [及川昭の視点]

    どんな時代でも、どんな事業でも失ってはいけない普遍的に大切なものがあるように思う。

    今回、訪問させて頂いた千葉県鴨川市の"医療法人亀田メディカルセンター"は、かなり前から、様々なビジネス誌等に「優れた病院経営の在り方」或いは「これからの病院のあるべき姿」等という内容で紹介されていた。

    然しながら、今回、お会いして、私は、それは単なる"優れた病院経営"というレベルをはるかに超えて"人にとって一番大切なものを追求している組織"という捉え方の方がまさに当を得ていると実感した。これは、本当に大事になることと大事でないことを取り違えてしまっている我々日本人にまぎれもなく突きつけられているテーマではないかと。

    企業経営という点で見ても、赤字の事業は、効率の悪い仕事は、止めるという一見合理的と思われる経営判断が、組織で本当は大事にしなければならないものを失わせやがて会社を弱体化させていく。

    未だかつての成長市場時代の延長線上での経営と目先や短期的価値感に陥ってしまっている企業が非常に多い中で、まさに経営リーダーの賢慮さが経営の優劣を決するという思いを新たにさせられた時間であった。

    聞き手:OBT協会  及川 昭
    企業の持続的な競争力強化に向けて、「人財の革新」と「組織変革」をサポート。現場の社員や次期幹部に対して、自社の現実の課題を題材に議論をコーディネートし、具体的な解決策を導き出すというプロセス(On the Business Training)を展開している。

  • 医療法人鉄蕉会 亀田メディカルセンター(亀田総合病院・亀田クリニック)http://www.kameda.com/
    亀田家は江戸時代・寛永の末頃より歴代医療を営む。法人としての発足は1948年。有限会社亀田病院を設立し、1954年に医療法人鉄蕉会(てっしょうかい)に改組。1964年から本格的に総合病院として発足し、千葉県南部の基幹病院として地域医療を担う。1985年には民間病院として全国初の救命救急センターとしての指定を、翌86年には医師の卒後教育を行う臨床研修指定病院の指定を厚生省(当時)より受ける。1989年には中長期計画(マスタープラン)を策定して、今後のあるべき役割を明文化。これに沿って1995年に外来専門の亀田クリニックを開院し、入院部門を中心とする亀田総合病院との機能分化を図る。2012年4月には亀田病院准看護婦学校(1954年開校)を源流とする学校法人鉄蕉館亀田医療大学を開設、同年8月には超高齢化社会に対応した新A棟をオープンさせ、時代に応じた高次医療サービスを追求し続けている。
    亀田総合病院/診療科:33科、病床数:925床、亀田クリニック/診療科:31科、診察室100室、病床数:19床

    TAKAAKI KAMEDA

    1952年生まれ。1975年、医療法人鉄蕉会理事に就任。1978年に日本医科大学医学部を卒業。1983年、順天堂大学医学部胸部外科教室大学院を卒業し医学博士号を取得。1985年に医療法人鉄蕉会 副理事長に、そして2008年に理事長に就任。財務省の財務総合政策研究所や財政制度等審議会の有識者メンバーなどの公職も歴任。

  • "Always Say YES!"の精神で、考える組織を育てる

    ────病院のモットーに"Always Say YES!"を掲げておられます。「患者の要望にはNOと言わない」というこの精神にしても、先ほどのお話のあった電子カルテ(前編参照)の導入にしても、現場のスタッフの方々に自分のこととして捉えて動いてもらうことが大切になりますね。

    まったくそうですね。

    ────そのときに、どのようなことに一番力を入れておられるのでしょう。

    これは医療者に限らないかもしれませんが、「何をもって自分の喜びとするか」ということなのだと思うんですね。人に喜ばれることは、当然ながら自分も嬉しいわけです。そもそも、医療なんてそうでなければ成り立ちません。あるいは、人ができないようなカッティング・エッジ(最先端)を成し遂げられるということ。そのこと自体が価値なんですよ。それを職員たちが理解すると、抵抗はあまりないように思いますね。

    また私や、亀田総合病院と亀田クリニックの院長を務める2人の弟たちも、とても貧乏ですし、病院も決してリッチではない。少しでも余裕があれば、患者さまに有益だと思われるものに注ぎ込みますのでね。職員にしてみれば、その姿勢がわかりやすいのではないでしょうか。やはり、こちらの思いが本物でなければ、サステイナブル(持続可能な)にはならないということだと思います。

    ────ただ、"Always Say YES!"は、現場の負担をかなり伴うものでもあるかと思います。その点では、皆さんの受け止め方はどうなのでしょうか。

    "YES"というのは、「何でも要望に応えなさい」という意味ではないんです。"YES"に込めた思いは何かといえば、病院というのは、とかく規制が多い印象があるでしょう。「あれをしてはいけない、これもいけない」と。一つ間違えると、職員もそういう勘違いをするわけです。でも、ちょっと待てと。患者さまから何か言われたときに、いきなり「規則だからできません」とは言うなと。それでは思考がそこで停止してしまう。そうではなく、本当にできないのかどうか、まず一回考えてみなさいということなんです。

    そのときに、何が最後の判断基準になるか。目の前の患者さまが自分の子どもだったらどう判断するのか、そこに立ち戻れといつも言っています。例えば、保険適用になっていない薬を使えば命が助かる可能性があったとして、「混合診療(※)は禁止されているからできません」とか、確かにそういうことはあるかもしれない。でもそう言うのは簡単ですが、自分の子どもが生死の境にいるときに「規則ならいいです」と納得できるのかと。私はできませんよ。「何でもいいから助けてくれ」と言うに決まっているじゃないですか。

    ※混合診療:日本の医療における保険診療に保険外診療(自由診療)を併用すること。そのため、保険のきかない治療を受けるときは、検査や診察費など本来は保険がきく部分も含めて、すべて自由診療扱いとなり、全額自己負担しなければならない。

    つまり、規則と命のどちらが大事かということです。どうしてものときは、規則を破たって構わない。そのときに罰せられるのは最終的には法人の理事長である私だから、その責任は私が負う。そのくらいの覚悟はあるから、考えもせずに断ることはやめて、自分の親だったら、子どもだったらと、視点を切り替えてみなさいという話なんです。それが"YES"に込めた一番の思いです。

    最先端を走り続けなければ、存在価値を失う

    ────理事長は、そういうことを皆さんに常に言い続けておられるのですか。

    言い続けるというわけではありませんが、何かあったときは必ず言いますね。その代わりこちらが求める人物像もあって、当院ではチャレンジ精神のある人でないと生き残っていけないんです。

    例えば、都心にうちと同じレベルの病院があれば、みんなそちらに行きますよね。その方が便利ですから。ということは、我々は常に走り続けて進化しなければいけないわけです。では、人口3万人の田舎町という当院のある鴨川市のようなロケーションで、当院と同じような病院がほかにあるかといえば、日本中探したってありません。だから、人の真似をしても仕方がないし、真似るものもない。我々は独自の進化を続けないと存在価値がないわけです。

    ですので、私どものキャッチフレーズは、"Always Say YES!"に加えて"Do and Think"。考えてばかりいないで、とにかくやってみるということです。

    何かをするときに、リスクやできない理由をあげる人が多いですね。それは最高にイージー(安易)な道だけれど、ここの場合、リスクを考えたら今の規模やレベルの病院なんて当然ないわけです。もちろんリスクを考える必要はあるけれど、それだけでは永遠に考えているだけで終わってしまう。どうやってやるかという発想に立って、まずは行動する。その結果失敗したにせよ、うまくいったにせよ、次の手があるわけです。その思いを持ってやっていく人たちが集まる、あるいは組織の中に残っていくということです。

    既得権益を守るのか、正しいと信じる道を歩むのか

    ────千葉県では医療崩壊が起きているというお話がありましたが、日本の地域医療を考えたときに、そうしたことがいろいろなところで起きる可能性がありますね。

    すでに各地で起きていますよ。今後さらに増えるでしょう。

    ────そうなったときに、亀田さんがここでやられているようなことがモデルになって各地で展開される、そういったことが実現する可能性はあるのでしょうか。

    私たちは、チェーンみたいな形ではできません。我々にはそんな力はありませんが、ほかの人たちが何かしら真似をして、広がっていけばいいと思っています。だから何も隠しませんし、聞かれたら何でも答えます。現に年間で1500人近い見学を受け入れているんです。あまり多いと患者さまの快適な療養環境を損ねてしまいますので、今は制限しています。というくらいオープンにやっていますので、皆さん真似をされていると思いますよ。

    ────ただ、今のところは亀田さんのような病院はほかにはないと思います。それほどの方が見学に来られて、なぜこちらに続く病院が出てこないのか。単に真似をすればできるものではないというのはわかりますが、何かこう、根底で違うものがあるように思うのですが。

    それは例えば、人間がつくった規則に絶対的なものはないとか、いざとなれば規則を破ることもやぶさかではないとか、我々の考えにはかなりドラスティックなところがありますので、そういったことかもしれないですね。

    だから医師会とはまったく相容れなかったし、今でも相容れません。こちらがものを申したら、自分たちの利益のために正反対のことを言うわけです。看護師の協会もそうです。これだけ看護師が足りない、現場が疲弊しているというのに、看護師を増やそうと提案したら全員反対です。医師会だって、医学部の定員を増やそうといった瞬間に全員反対する。1対1で話せばわかり合えるのに、利益団体として固まると突然ひっくり返るわけです。自分たちの利権が大事なんです。

    私どもはおかしいものはおかしいと面と向かって言い、自分たちが正しいと思うことを実践する。そこが決定的に違うのではないでしょうか。最初は、どこまで本気なのかと思われていたようですが、どうも本気らしいと理解されてきたようでしてね(笑)。ですから、世間の評価も少し変わってきたのではないかと思いますね。

    経営トップに求められるのは、変化に対する感性と危機感

    ────医療とは、本来はどうあるべきものなのか。理事長はどうお考えになりますか。

    まず、医療は基本的にはインフラです。消防や警察に近い。だから本来は、既得権がどうこうという話ではないんですよ。もう一つ、現代の医療は、人間がつい最近見つけたある種の"不老長寿の薬"だということです。考えてもみてください。江戸時代の平均寿命は、中期・後期でも50歳位だったと言われています。では、太古の人類はどうだったか。子どもの死亡率が高かったと考えられることから、例えば縄文時代の平均寿命は30歳程度だったと想像できます。とすると、1万年以上かけて20年しか延びなかった寿命が、江戸時代から現在までの瞬きするような間に30年も延びた。この間の変化を微分してみれば、その角度は従前とはまったく別物です。これには栄養面の改善などいろいろな要素が影響していますが、それでも、医療というのはそのくらいドラスティックに人類を変えたものだということです。

    ────医療のあり方は、今後ますます変化が求められますね。

    もちろんそうです。医療なんて変化の連続です。これほどの変化が起きているときに、自分たちが変化できなければどうなりますか。あっという間に化石になりますよ。人というのは、変化することのリスクを考えがちですが、変化しないリスクの方が何倍も怖い。我々は、純粋にそう思っているだけのことなんです。

    この病院にしてもそうです。亀田家のルーツは江戸時代にまでさかのぼりますが、うちの父と祖父が戦争中軍医にとられ、その時点で事実上ここは壊滅しました。その間、祖母や親戚がつないでくれたお陰で何とか存続したのですが、戦後、復員した父が最初にやったことは、看護学校をつくることでした。それともう一つ、何もなかった海辺に、当時流行していた結核のサナトリウムを開設したんです。

    しかし、そのわずか10年後に結核がなくなりました。抗生物質が発達し、栄養状態がよくなって、関東一円から結核の患者さまがいなくなったんです。そこでうちの父は、すぐに小さいながらも総合病院をつくった。その後も医療内容をどんどん変え、今に至るということです。父がサナトリウムにしがみついていたら、今の亀田病院はないんですよ。

    今年の夏にオープンした新A棟も、時代の変化を反映したものです。7年前にできたKタワーは、現代日本の文化レベルに合わせて全室個室にしました。ところがその後、超高齢化社会を背景に認知症が進んで看護の負担が大きすぎるとか、一人にしておくことが危ないという理由で、個室では看護できない患者さまが増えてきた。我々が想定したよりもはやく超高齢化が進んだわけです。

    そこで、新A棟は全室4人部屋という設計にしました。今までの相部屋にはなかったセミプライベートな空間も確保し、広いシャワー室とお手洗いを全室に完備。これによって、介護依存度の高い患者さまを看護する体制を整えたということです。Kタワーと新A棟のどちらが正しいという話ではありませんが、こうして自分たちの頭を常に柔らかくしておかないと、良かれと思っていたことが実はそうではないということに、すぐになってしまうんですよ。

    ────その時々の患者のニーズを先取りしていくということですね。

    患者さまのニーズだけではなく、医療者のニーズもそうです。個室ではもう看きれない。そうした現場の問題にも対応していくということです。これでも現場からすれば対応が遅いと思うこともあるでしょうし、早すぎると言われることもある。「いくら何でもそそっかしいんじゃないの」と言われることもあります(笑)。

    ────医療のご専門の方にお話を聞きますと、よく言われるのは「変化が必要だというけれど、医療とはそうものではないんですよ。他の仕事とは違うんです」と。この一言に象徴されるようなことが、世の中にはあまりにも多いように感じます。変化に対応できるかどうかは、そうした意識のありようなのだろうなと思いますね。

    私は同業者とこういう議論はあまりしたことはありませんが、うちはとにかく「変わらないリスクは、変わるリスク以上に怖い」と。それを絶対に忘れるなと言っています。そうでなければ、あっという間に不要な存在になってしまう。私が父の背中を見てきた数十年の間でさえ、これだけの変化があった。今後ますます変化は加速していくでしょうね。

    ────変化の中でも経営の軸をぶらさずに、チャレンジし続けることが大切であることを、改めて実感しました。本日はありがとうございました。

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