OBT 人財マガジン

2012.05.23 : VOL140 UPDATED

この人に聞く

  • 三重県松阪市
    市長 山中 光茂さん

     

    経営施策の浸透・実効には「現場の巻き込み」が絶対条件(後編)

     

    なぜ、三重県松阪市の改革は進んだのか。その背景には、山中市長の徹底した「現場(市民、市の職員)の巻き込み」がある。同氏はこう語っている。「トップダウンで「これをやれ」というのは、私は違うと思います。市民から意見だけ聞いて、責任は持たせないというのも違う。地域にも役割と責任を持ってもらって、本当の緊張感が生まれる中で行政も汗と血を流し、みんなで一緒になって考える。その枠組みが大切だと思うんです。」経営施策が浸透しない組織は「プロセスより結果を重視する」と「結果を秘密裏にする」という共通点があるが。要は、経営施策を動かしていく現場を軽視しているのである。経営施策を浸透・実効させる上で最も重要なことは、経営施策を「作る側」「動かす側」を切り離さず、また、実際に動かしていく現場に主体性を持たせることにある。
    (聞き手:OBT協会代表 及川 昭)

  • [及川昭の視点]

    少し前のNHKの大河ドラマで幕末時代が取り上げられ、とても好評であった。
    何故ならば、今の時代の風潮と幕末が妙にシンクロしているからであろう。
    明治維新とは、諸外国からの圧力に何ら有効な手を打てない幕閣や有力大名への苛立ちを抑えきれない若者が興した「世代間革命」といえる。
    改革の最大の障害となるのは、目に見えない変化を嫌い、目に見える今の現実を維持しようとする人達、既得権や既得権益を失いたくない負のパワー、負のエネルギーであり、彼らこそが妨害者となっているという見方が正しい。
    これを正すのは、合議や多数決等といった美しい言葉ではなく、一人の指導者が信念を持ってリーダーシップを発揮して破壊するしかない。

    山中市長のような若い力が変化を興して行くというのは幕末の行く末が物語る。
    中高年層は、未来のこの国のために、若い次世代を生かして育てられるように積極的にサポートすべきである。

    聞き手:OBT協会  及川 昭
    企業の持続的な競争力強化に向けて、「人財の革新」と「組織変革」をサポート。現場の社員や次期幹部に対して、自社の現実の課題を題材に議論をコーディネートし、具体的な解決策を導き出すというプロセス(On the Business Training)を展開している。

  • 松阪市http://www.city.matsusaka.mie.jp/
    三重県のほぼ中央に位置し、津市に次いで県内で2番目に面積が広い市。2005年に嬉野町、三雲町、飯南町、飯高町と合併し、新松阪市として誕生する。江戸時代は伊勢参りの『参宮街道』をはじめ、『和歌山街道』『熊野街道』『奈良街道』など多くの街道が街中を通り、商業地として栄えた。『松阪商人』と呼ばれる豪商も輩出し、三井グループや東証2部上場の小津産業が松阪発祥の企業として知られる。現在も県内の経済拠点の一つとなっているが、景気悪化により市税の増加が期待できない中、箱モノ行政が行われるなどして財政が悪化する。2009年に改革を訴える無所属新人の山中光茂氏が、現職(当時)の下村猛氏を破り、全国最年少市長(当時)として当選。市民の声を反映したまちづくりに取り組んでいる。
    基礎データ/総人口:約17万人、高齢化率(65歳以上高齢者の比率):22.2%(2005年度)、面積:623.77km²

    MITSUSHIGE YAMANAKA

    1976年生まれ。慶応義塾大学法学部卒業後、群馬大学医学部に学士編入学。2003年に同大学を卒業し、医師国家資格取得。同年、松下政経塾に入塾し、2005年に早期修了。その期間中、2004年にはNPO法人少年ケニアの友医療担当専門員となり、ケニアにて医療担当専門員としてエイズプロジェクトを立ち上げる。2007年に「1%の痛みへの挑戦」という公約を掲げて、三重県県議会議員選挙に当選。2009年に松阪市長選に出馬。政党や業界団体からの支援を受けない"草の根選挙"を展開し、現職を7,829票差で破って当選する。

  • 毎日の仕事の中で、職員の意識を改革する

    ────市民の方々に、役割と責任を自覚してもらうことから改革を始めたという山中市長のお話は、とてもよくわかります。我々が企業の経営改革や風土改革を行う際のアプローチもまったく同じです。経営トップがいくら改革を叫んでも、現場の人たちが動かない限りは話になりませんから、「あなた方の会社でしょう」と主体者意識を醸成することからスタートしていく。このやり方はパワーと時間と根気が必要ですが、これしかないと思いますね。

    職員に対しても実は同じで、トップが「これをやれ」と言って動くものではありませんし、それでは組織は変らないんです。ですから、市長が誰になっても動く組織にしなければいけないと思っています。

    ────市民の皆さんも職員の方々も、意識が変わる一番大きな要因は、市長のマインドだと思いますね。マインドが伝わると、動き始めるのだと思います。

    ですから職員とも、何事も一緒になってやる。これが大前提です。例えば予算策定は、これまでは市長査定、副市長査定、部長査定があったのですが、副市長査定と部長査定は廃止したんです。補助金なども含めると1000以上の事業がある中で、市長査定には20項目くらいしかあがってこなかったものを、これからはすべてを市長が自ら職員と一緒に査定しようと。

    他の自治体などでも、市長は20項目程度を5、6日間で議論して、細かいことは知らないということが多いんです。けれども松阪市では2カ月間をかけて、すべての項目を私がヒアリングします。市長が予算に責任を持ち、予算策定や執行のミスはすべて市長が責任を取る。そのくらいの気持ちで取り組んでいるんです。

    そのときに、職員が市長への説明責任を果たせないような予算はカットすることがありますし、逆に説明を聞いて予算を追加することもあります。そうして、マネジメントを一緒にやることが、大事なのだろうと思うんです。

    ────お話をうかがっていますと、そういうことを通して職員の教育をやっておられるのだなと思いますね。

    そうですね。ただ、松阪市の職員は非常に大変だと思うんですよ。私は、自分自身が頼りないと思っていますので、職員に責任を持ってもらわなくてはいけない。職員一人ひとりの役割が大切なんです。

    そこで、各部局長が『政策宣言』を市民に公表するという取り組みも行っています。これは、部局のトップである部局長が、1年間どのような姿勢で、何に重点を置いて取り組んでいくのかを明らかにするもので、予算に関することはやって当たり前ですから、予算関連以外の施策を挙げることがルール。できる項目ばかり挙げる人もいますので、できないことも含めて何が重点施策かを考えようという話を部局長にしています。また「税金滞納者への電話催告の会話率を60%以上達成する」など、行政が目標に掲げないようなことも数値目標にして設定するようにしているんです。

    年度の終わりには、実施内容と自己評価を私が各部局長にヒアリングし、次年度に向けた課題を取りまとめるのですが、そうすると「今年度は目標には至りませんでした」というものもあるんですね。そういったことも、すべて市民に公開しています。そうする中で、自分たちの役割と責任に対する意識を高めてほしいと思っているんです。

    ※各部局長の『政策宣言』は、松阪市のサイトで公開されている。
    http://www.city.matsusaka.mie.jp/www/contents/1330397359330/index_k.html

    ────こういったやり方はパワーと時間がかかりますね。

    かかります。他にも、財政の細かなことが市民に与える影響を考えたり、地域を支援する具体的な枠組みづくりや、職員一人ひとりに対するマネジメントに関わったり、現場重視でやっていると、政治的なパフォーマンスをしている暇はないですね(笑)。市長というのは、政治家ではなく行政官なのだなと思います。

    結果、職員の意識は非常に高まってきています。「地域が汗を流しているのだから、自分たちも汗を流そう」と職員のボランティアグループをつくり、地域に入って活動するといった動きも起こるようになりました。

    職員の手当カットも実施しましたが、実は職員組合が反対運動のアンケートを取ったら、組合員の100人以上がカットに賛成だったんです。今回、給与を2%引き下げましたが、比較的すんなり組合と合意できました。地域の現場では、国民健康保険料や介護保険料が上がって住民負担が増えていることをよくわかっているので、職員も一緒に汗も血も流そうという気持ちを、みんなが持っているんですよね。これが、松阪市のあり方として今後定着していったらいいなと思うんです。

    ────市長がなさっているのは意識改革と同じだなと、改めて思います。

    まったくそうですね。

    ────意識改革をしながら成功体験をさせて、結果として行政や市民が変わっていくという市長のやり方は、とてもよくわかります。

    改革を急がず、時間をかけて議論を尽くす

    ────改革を進める中での制約条件はおそらくたくさんあるかと思いますが、市長がお感じになる制約条件にはどういったものがありますか。

    制約条件があるとすれば、『時間』だと思いますね。トップダウンでやってしまえば良くも悪くも速く進みますが、議論を尽くすことを優先していますので、結果として改革に時間がかかっているんです。ただ、それは取るべき時間なんです。

    実際、十分に議論するために、いくつかの計画を遅らせたり止めたりしました。駅西再開発もそうですし(前編参照)、都市計画の線引き問題を抱えていたある地域では、住民の意見が賛否に分かれてまとまらなかったため、県から「この時期までに結論を」と言われていたのを一年遅らせたんです。そして、地域内に30ある自治会に向けて説明会をそれぞれ3回行い、一年間に100回近い議論の場を設けました。そして最終的に23の自治会から、線引き実施の合意が得られたんです。

    それでもやはり納得しない方はおられますので、残りの7つの自治会は最後まで反対でしたが、十分に時間をかけて議論することで「ここまで徹底して説明を受けて、話し合ったのだから」という空気が生まれるんですよね。

    結局、「イエス」の人はずっと「イエス」、「ノー」の人は最後まで「ノー」なんです。その溝は埋まらないかもしれないけれども、それでも時間をかけて話し合い、住民に求めるだけではなくて行政も汗を流す。それは私だけではなく、私のそばには職員がずっと付いていますので、職員も汗を流して問題を解決していく。そうやって進めていくことが大事だと思いますね。

    ────改革の本質は、プロセスにありますね。

    プロセスです。行政が枠組みだけポンと投げて、補助金や交付金を出せばそれでいいというものではありません。確かにそうすれば行財政改革をする必要はありませんし、地域で汗を流すこともいりませんから楽なんですね。でも、トップダウンで「これをやれ」というのは、私は違うと思います。市民から意見だけ聞いて、責任は持たせないというのも違う。地域にも役割と責任を持ってもらって、本当の緊張感が生まれる中で行政も汗と血を流し、みんなで一緒になって考える。その枠組みが大切だと思うんです。

    ────住民協議会が市内の全地域に設立され、職員の方々の意識も変わってこられて、改革が進んでおられることを実感しましたが、ここまでくるのにやはり3年くらいかかったということですね。

    かかりました。ですから、この4月からが新しいスタートです。

    他力本願を捨て、自立した自治体経営を目指す

    ────松阪市の改革をお聞きしていると、国のあり方はとても貧しいですね。

    完全に機能不全と思考停止に陥っていますよね。汗も血も流しませんし。総選挙になれば政治に空白が生まれるといわれますが、今すでに空白が生じているんです。できることはたくさんあるのに、やっていない。いてもいなくても一緒だと思いますね。

    ────これからの地方自治体のあり方については、どのようにお考えですか。

    国の状況を見ていると、地方自治体の役割は、相対的に大きくならざるを得ないと思います。先日、国の政務官が来られて、被災地のがれき処理受け入れを要請されたのですが、そのときに笑いながらこう言われたんですよ。「本来、広域処理は地方の負担でやるべきもの。そのお金を国が持つと言ったら、市民にも説明しやすいでしょう」と。政務官には早々にお引き取りいただきましたが、国は財源さえつくれば、それで仕事をしたと思っているんですよね。

    地方自治体は違います。国は補助制度などはつくっても、その配分や優先順位を決める役割は地方自治体にある中で、住民に説明し、協議をし、徹底した議論をする。そして、予算の最終的な配分の責任は地方自治体が持つわけです。

    ただ、地方の首長の中にはどこか国や県に甘えようとして、市民に対する説明責任を持つという意識が弱い方も少なくないように思います。全国市長会や全国町村会にしても、これまでは国に「やってくれ」と言うばかりで、それに対して国はばらまき施策や地方交付税の増発を続けてきた。それがもう限界にきているんです。

    地方交付税にしても、実際は国からはほとんど支払われておらず、不足分は自治体が地方債を発行して、借金で賄っているのが実情です。将来、地方債を償還するときにその分も上乗せして交付税を払うと国は言っていますが、そんなものは信用できませんので、松阪市では不足を借金で埋めるといったことはせず、財源を縮小してやっているんです。市民は国民でもあるわけで、国が破たんしたら影響を受けるのは市民ですから。

    ですから、地方は国の財政が限界にきていることを理解して、自分たちが自立してやっていく道を考えなくてはいけません。そして、地方が連携して現場のあり方を国に提言し、国の制度を変えていかなくてはいけない。そういったことに、地道に取り組んでいかなければいけないと思います。

    具体的には、大阪都構想などの大枠の構想や、増税・減税といった大きな問題も重要ですが、現場のきめ細かな課題も非常に大切なんです。住民主導のまちづくりのあり方をどうつくっていくのか。市長が動くよりも職員が動くことが大事ですし、職員が動くよりも地域の住民が動いた方が、まちを変える力は大きい。地域の一人ひとりが動いて、最終的に国を変えていくような、そういうシステムをみんなでつくっていくことが大事だと思いますね。

    利己を超えて、他者を思いやれるまちへ

    ────当初は市長選に立候補するつもりがなかったというお話でしたが、今はいかがですか。市長という立場になられて良かったと思われますか。

    そうですね。体力的にはかなりきついのですが(笑)、市民の方々の前向きな意欲が見えるようになり、職員の意識も変わってきて、みんなでやっていこうという空気が生まれてきている手応えを感じています。私自身も地域の方々と話ができて、一緒になって汗を流させてもらって、その流した汗がこうした結果に反映されているなと思いますので、うれしいですね。

    次の市長選挙では、もう一期だけは立候補しようと思っているのですが、選挙運動はしないと宣言しているんです。ポスターも貼りませんし、街頭演説もしない。それでも私を選ぶのかどうか、市民の皆さんが考えてくださいと。誰を市長に選ぶのかも、皆さんの責任なんですよということを、今から言っているんです。

    ────この先の松阪市をこんな風にしたいという構想は、どのように描いておられるのでしょうか。

    私はしがらみが一切ない形で当選しましたので、本当に多くの方から声を聞いて、いろいろな施策を実施してきました。それでも、すべての声が反映できるわけではないんです。しかし、すべての声に対して行政としての説明責任を果たす。そして、住民の方々にも権利を主張するだけではなく、役割と責任と持っていただく。こうしたまちをつくることが、まずは大事だと思っています。

    もう一つ私が言っているのが、『他者への思いやりが持てる地域』ということ。自分がよければいいというのではなく、地域のこと、他人のこと、痛みが大きい人のことを、みんなで思いやれるまちをつくろうと。その思いから、東日本大震災の直後に副市長を3カ月間、被災地に派遣しました。議員や一部の市民の方々からは、「まちづくりが大事な時に、なぜ松阪市が副市長を派遣しなくてはならないのか」と反対されましたが、被災地という離れた地域を思う心を持つことが、思いやりのあるまちをつくることにつながると思うんです。

    他の市民のことを思いやり、他の自治体のことも思いやる。市民がみんなで汗を流して、役割と責任を持てるまちづくりをしっかりとやっていけたらいいなと思いますね。そしてこうした松阪市のモデルが、他の地域にも広がっていけばいいなと思います。

    ────リーダーの資質というのは、市長の場合は政治家ですが、政治経験の長さや行政のスキルなどではなくて、考え方やマインドが一番大切なのだと、改めて実感させていただきました。本日はありがとうございました。

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