OBT 人財マガジン
2012.05.09 : VOL139 UPDATED
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三重県松阪市
市長 山中 光茂さん経営施策の浸透・実効には「現場の巻き込み」が絶対条件(前編)
なぜ、三重県松阪市の改革は進んだのか。その背景には、山中市長の徹底した「現場(市民、市の職員)の巻き込み」がある。同氏はこう語っている。「トップダウンで「これをやれ」というのは、私は違うと思います。市民から意見だけ聞いて、責任は持たせないというのも違う。地域にも役割と責任を持ってもらって、本当の緊張感が生まれる中で行政も汗と血を流し、みんなで一緒になって考える。その枠組みが大切だと思うんです。」経営施策が浸透しない組織は「プロセスより結果を重視する」と「結果を秘密裏にする」という共通点があるが。要は、経営施策を動かしていく現場を軽視しているのである。経営施策を浸透・実効させる上で最も重要なことは、経営施策を「作る側」「動かす側」を切り離さず、また、実際に動かしていく現場に主体性を持たせることにある。
(聞き手:OBT協会代表 及川 昭)
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[及川昭の視点]
少し前のNHKの大河ドラマで幕末時代が取り上げられ、とても好評であった。
何故ならば、今の時代の風潮と幕末が妙にシンクロしているからであろう。
明治維新とは、諸外国からの圧力に何ら有効な手を打てない幕閣や有力大名への苛立ちを抑えきれない若者が興した「世代間革命」といえる。
改革の最大の障害となるのは、目に見えない変化を嫌い、目に見える今の現実を維持しようとする人達、既得権や既得権益を失いたくない負のパワー、負のエネルギーであり、彼らこそが妨害者となっているという見方が正しい。
これを正すのは、合議や多数決等といった美しい言葉ではなく、一人の指導者が信念を持ってリーダーシップを発揮して破壊するしかない。山中市長のような若い力が変化を興して行くというのは幕末の行く末が物語る。
中高年層は、未来のこの国のために、若い次世代を生かして育てられるように積極的にサポートすべきである。聞き手:OBT協会 及川 昭
企業の持続的な競争力強化に向けて、「人財の革新」と「組織変革」をサポート。現場の社員や次期幹部に対して、自社の現実の課題を題材に議論をコーディネートし、具体的な解決策を導き出すというプロセス(On the Business Training)を展開している。 -
松阪市 (http://www.city.matsusaka.mie.jp/)
三重県のほぼ中央に位置し、津市に次いで県内で2番目に面積が広い市。2005年に嬉野町、三雲町、飯南町、飯高町と合併し、新松阪市として誕生する。江戸時代は伊勢参りの『参宮街道』をはじめ、『和歌山街道』『熊野街道』『奈良街道』など多くの街道が街中を通り、商業地として栄えた。『松阪商人』と呼ばれる豪商も輩出し、三井グループや東証2部上場の小津産業が松阪発祥の企業として知られる。現在も県内の経済拠点の一つとなっているが、景気悪化により市税の増加が期待できない中、箱モノ行政が行われるなどして財政が悪化する。2009年に改革を訴える無所属新人の山中光茂氏が、現職(当時)の下村猛氏を破り、全国最年少市長(当時)として当選。市民の声を反映したまちづくりに取り組んでいる。
基礎データ/総人口:約17万人、高齢化率(65歳以上高齢者の比率):22.2%(2005年度)、面積:623.77km²MITSUSHIGE YAMANAKA
1976年生まれ。慶応義塾大学法学部卒業後、群馬大学医学部に学士編入学。2003年に同大学を卒業し、医師国家資格取得。同年、松下政経塾に入塾し、2005年に早期修了。その期間中、2004年にはNPO法人少年ケニアの友医療担当専門員となり、ケニアにて医療担当専門員としてエイズプロジェクトを立ち上げる。2007年に「1%の痛みへの挑戦」という公約を掲げて、三重県県議会議員選挙に当選。2009年に松阪市長選に出馬。政党や業界団体からの支援を受けない"草の根選挙"を展開し、現職を7,829票差で破って当選する。
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市長の無選挙当選が続く松阪市に風穴をあける
────今日は『改革』をテーマに、山中市長が取り組まれていることをお聞きできればと思います。まず、市長は地元・松阪市のご出身ですが、なぜこういった改革をしようと思われたのでしょうか。
実は、私はもともと開発途上国の問題に関りたいという思いを持っていまして、政治の世界には関心がありませんでした。しかし、ケニアや南アフリカなどで活動するうちに、政治のミスや戦争がいかに深い爪痕を残すかということを目の当たりにしたんです。人の過ちは、人の力では簡単には正せない。現場の活動も大切だけれども、政治を通じて人々の当たり前の幸せを守っていくための構造をつくることも、非常に重要だと。そう感じたことが、きっかけの一つでした。
その後松阪市に戻り、政治家の方とご縁ができるなかで、私も政治の仕事に関わるようになりました。それでも市長選に出るつもりはなかったのですが、当時は現職の市長が二期連続無投票で再選されていたときで、それ以前にさかのぼっても、松阪市では過去40年間で選挙が2回しか行われていなかった。そんな中、市民の皆さんから「市長選に出ないか」と要望をいただいて出馬いたしました。
当時の松阪市は、借金(市債)が1300億円。市民一人当たりにして75万円の借金を抱えている中で、松阪駅の駅前開発に100億円を投じる、同じく100億円を費やして市役所を建て替えるといった計画が議論されるなど、さまざまな問題が起こっていました。
なぜそうなったかといえば、松阪市というのは市の有力団体の連携が非常に強い自治体だったんですね。過去二度の選挙も、民主・自民・公明・社民党の市会議員がそろって現職を支持し、業界団体や労働組合も現職を応援する相乗り選挙。市民が完全に置いてきぼりの構造になっていたんです。
こうした状況下での選挙で私が言ったのは、「お願いはしません」ということでした。立候補者が「当選させてください」とお願いして投票してもらうのではなく、市長を選ぶ『役割と責任』を市民の皆さんが持つ選挙をやりましょうと。そして、『当たり前の幸せ』をみんなで一緒につくっていきましょうと。そう話をして、政党や業界団体の支援を一切受けずに、市民の方々とともに選挙を闘わせていただいたということなんです。
────『当たり前の幸せ』とは、どういったこと指しておられるのですか。
『当たり前の幸せ』のあり方は、人によっても地域によっても違うと思います。ただ、『痛み』は誰でも持っていると思うんですね。その痛みや抱えている問題をちゃんと聞いて、痛みに寄り添っていく。そして施策の優先順位を考えて、市民の方々への説明責任を果たす。そういった行政が大事だと考えているんです。
といっても、幸せの優先順位や痛みの優先順位は一つではありません。行政が考える優先順位もあれば、市民の方々がとらえる優先順位もある。ですから、すべての方が100%満足する施策はありませんし、痛みをすべてなくすことも難しいでしょう。そうであってもしっかりと声を聞き、小さな声や少数派の方々の痛みにも配慮をしていく。そういった行政運営が、『当たり前の幸せ』を守る原点だと思っています。
市民不在の行政と、行政任せの市民の意識が、地域の疲弊を生んだ
────その『当たり前の幸せ』を守るのは、行政の責任だけではなく、住民の方々が自らの主体性と自己責任において実現していくものであると。そういう受け止め方でよろしいですか。
そうです。私は若くて未熟ですので、そういった市長のリーダーシップで進めるのではなく、市民の方々に役割と責任を持ってもらうまちづくりをしようと。これを一番の原点に置いているんです。
しかし、リーダーシップと独裁は紙一重だとよく言われますが、行政がやりやすいのは実は独裁なんですね。施策の説明は、議会を通ってから報告として行う。パブリックコメントを募集する、住民代表や関係者を集めて審議会を開くといったことも行政がよくやる手法ですが、あれもたいていは「住民の声を聞いた」というアリバイづくりです。こうして、従来の松阪市に限らずいろいろな自治体で、住民に対する説明責任が果たされないまま行政が行われているんです。
ただ、市民の皆さんにはこんな話もさせてもらいました。「松阪市がここまで借金を積み上げてきたのは、市長や議会だけの責任ではない。市民の方々が行政に要望や陳情をし、市の施策を認めてきた結果であって、皆さん自身の責任でもあるんですよ」と。
私が就任してから、地元の企業に寄贈をお願いして、市役所に『借金時計』を設置しました。これは、借金を削減していることを伝えるものであると同時に、この借金を次世代に残そうとしている現実を認識してもらうためのものでもあるんです。
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市役所の正面玄関横に設置された『借金時計』。一般会計および全会計の市債(借金)残高が、デジタル表示されている。残高は一秒あたり67円減少し、市の借金が減っていることをリアルに実感できると同時に、それでもまだ1000億円を超える借金があることを目の当たりにできる場となっている。
『借金時計』は松阪市のサイトにも掲載されている。
http://www.city.matsusaka.mie.jp/www/contents/1000011887000/index.html『住民が主役』の市政に、当の住民から反対が噴出
松阪市の税収は減る一方で、社会保障費はどんどん膨らんでいます。生活保護費もこの3年間で10億円以上伸びました。こういった状況で必要なのは、財政カットか増税かということではなくて、住民が地域において役割と責任を果たしていくことなのだろうと思うんです。
そのための仕組みの一つが、『住民協議会』です。これまでは、地域のマネジメントは自治会が中心になって担っていましたが、地域のその他の団体──NPO団体や福祉団体、老人会、子ども会、PTAや企業も含めた団体横断で、地域の担い手となる組織をつくろうというものです。
これに伴って各団体に拠出していた補助金を整理し、住民協議会への交付金に一本化しました。この4月から、松阪市内の全43地域で住民協議会が発足することが決まりましたので、次年度は交付金として、これまでの実績のない予算を1億円近く計上しています。国がお金を持つよりも、松阪市がお金を持った方が効果的に使えるのと同様に、松阪市がお金を持つよりも、地域をよく知る住民の方々がお金を持った方がいい。そこで、各地域が役割と責任を持ち、お金の使い道の優先順位を地域で考えてもらう仕組みにしたということなんです。
────住民協議会に対する、市民のみなさんの反応はいかがでしたか。
最初は大反対が出ました。「今の自治会体制でうまくいっているのだから、そんな新しい組織をつくる必要はないじゃないか」と。住民協議会の役員は基本的にはボランティアですので「報酬は出ないのか」といった声もありましたし、「書類は誰がつくってくれるのか」とか、「若手を呼び込めといっても地域に若者がいない」とか、いろんな声がありました。各団体の補助金を住民協議会への交付金に一本化したことで、予算の取り合いのようになったこともありましたね。
────改革の妨げになるものとして、そうした抵抗する方たちの他に、無関心層の存在も怖いと思います。そもそも、地域住民の方々の参加意識はどうだったのでしょうか。
無関心が怖いというのは、そう思いますね。やはりこれまでは、若い世代や女性が地域の活動に参加することが少なかったんです。各団体の連携も、例えば小学校の運動会でPTAと自治会が一緒に動くことはあっても、健康づくり運動をすると主催団体のメンバーだけが頑張っているとかね。地域全体が一緒になって動くということが、あまりありませんでしたね。
成功体験の積み上げと徹底した議論で、市民の意識を改革
────そうした状況を、どのようにして打破されたのですか。
これはもう本当に大変だったのですが、2年間かけて地域に入り、議論をし尽しました。私だけではなくて、職員も担当部局の人数を倍に増やし、土日や夜も説明会を開いて住民の皆さんと徹底して話し合ったんです。「皆さんが地域のことを一番知っているのだから、皆さんで頑張れるところは頑張っていただきたい」と。
そして半年ほどしたころに、「これからの時代はこうした仕組みが必要だ」と自治会連合会の賛同が得られ、最初にできたモデル地区でいろいろな案件が進んだことをきっかけに、他の地域の意識も少しずつ変わっていきました。
例えばある地域では、地元名産の鶏肉を使ったメニューを県内のアウトレットパークで販売し、1食につき10円が住民協議会に入るという取り組みを始めています。収入は月に約7万円、年間で70万円以上。500人ほどの地域ですので、この金額は大きいんです。その他にも、地域の草刈りを行政がやると30万円かかるところを、地域に15万円で引き受けてもらったり、火葬場の管理も行政が年間210万円かけてやっていたのを160万円で委託するといったように、地域がいろいろな形で財源確保に取り組むようになってきました。
松阪市としても、大手スーパーと協定を結んで、売り上げの1%を住民協議会に還元していただく制度を構築しました。ふるさと納税も、通常は都道府県や市区町村に入りますが、松阪市は全国で唯一、住民協議会が受け取れるように制度設計しています。
早い時期から住民協議会が設立された地域では、例えば防災訓練もこれまでは自治会単位だったのが、学校区という大きい単位で実施されるようになるなど、地域が活性化し始めています。住民協議会に反対する地域の方々には、こうした成功事例を紹介しながら話し合いを何度も重ねました。「強制ではありませんから設立しなくても構いませんが、やったほうが皆さんにとって将来につながると思いませんか」と。「補助金も交付金も、次の世代からの借金で賄っているわけだから、地域で有効活用した方がいいですよね」と。こうした議論を、徹底して行ったんです。
────民主主義の議会に何かをゆだねるとか、町内会やマンションの自治会に何かをゆだねるということがあると、それに参加していない人は極めて無責任になり、主体性がなくなるように思いますね。
そうです。ですから、市民にも役割と責任を明確に持っていただこうと。その代り行政も、汗も血も流さなくてはいけないということなんです。
市民を議論に巻き込み、主体的な判断を促す
もう一つ力を入れているのが、市政に市民の『声』を届ける仕組みをつくるということです。そのために、就任以来何十回というシンポジウムや意見公聴会を開き、就任前に議会を通過していた案件も大規模なものはゼロベースにして、行政に現場の声を反映させてきました。
ここで大事なのは、市民に複数の案を提示するということです。A案、B案、C案と複数のシミュレーションを示して、どの案が一番満足度が高いのか、次の世代のためになるのか、住民の方々に意見を聞く。そうすると、意見が分かれてもめることになるのですが、議論を尽くした中での、最後の覚悟ある決断は行政がやりましょうと。ただ、市民の方々にも、こうした議論の場に参加する役割と責任がありますよと言っているんです。
例えば、市内の再開発事業である「駅西再開発(松阪駅西地区市街地再開発)」も、議会で可決されていましたが、シンポジウムを経て計画を見直しました。約100億円をかけてホテルやマンションを建てるという計画で、海沿いの地域も中山間地もあるも広い松阪市で、駅前の開発に多額の税金を投入することが、果たして活性化につながるのかと。市民にアンケートを取って、3段階で意見聴取会を開き、現場にも行って、ワークショップ形式の部会も実施し、最終的に「大規模再開発は必要ない」という結論に至りました。私が決めたのではなく、市民の皆さんがそう決めたということです。
その代わり、街づくりの役割と責任は市民みんなで負わなくてはいけない。そこで、再開発計画の原型にとらわれずに再検討し、『食と歴史』をテーマに松阪の特性を活かしたまちづくりを進めています。駅前に物産館を開く、観光客向けのレンタルサイクルサービスを始めるといった、これまでにない施策をどんどん打ち出しているんです。一年後には活動報告をまとめて進捗をみんなで話し合い、積み上げ方式でまちづくりをしていきます。
────さまざまな報告書や議事録が松阪市のサイトで公開されていますが、こうした情報公開も山中市長になられてからのことなのですか。
以前も一部の議事録はサイトに載っていました。ただ、作成に時間がかかって公開が1年後ということもありましたし、審議会の議事録などは非公開でした。私が就任してからは、すべての議事録を2週間以内に載せようと言っています。2週間で校正や関係者の確認まで済ませるのは大変なのですが、でもやろうと。
────公開のスピードもそうですが、議論の内容をすべてオープンにされていることにも驚きました。
それについても「そこまで公開する必要はない」と、反対はありましたね。でも私はもっと進化させて、審議会や検討会を公開の場で開いてもいいと思っているんです。例えば、デパートの中でやるとか。市民に「聞きに来てください」ではなく、人が集まるところにこちらから出ていく。今後は、そういうこともやってみたいと思っています。
市長就任後、市内の全地域を行脚して、市民の声を聞き続けてきたという山中市長。その信念と情熱、そして膨大な量のコミュニケーションが市民を動かしました。その姿勢は、市職員に対しても変わらず、市役所内でも『現場重視』を貫いているといいます。後編では、山中市長の職員育成術をご紹介します。
*続きは後編でどうぞ。
経営施策の浸透・実効には「現場の巻き込み」が絶対条件(後編)- 株式会社JR東日本テクノハートTESSEI
専務取締役 矢部 輝夫さん - 経営改革は、実行する「現場の実態」を把握して、初めて実現する(前編) - 千葉夷隅ゴルフクラブ
総支配人 岡本 豊さん - 【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】
見えざる資産を競争優位にするために必要なこと(後編) - 千葉夷隅ゴルフクラブ
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見えざる資産を競争優位にするために必要なこと(前編) - 七福醸造株式会社
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人が気づき、変わる瞬間とは(後編) - 七福醸造株式会社
代表取締役会長 犬塚 敦統さん - 【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】
人が気づき、変わる瞬間とは(前編) - 株式会社キングジム
代表取締役社長 宮本 彰さん - 【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】
知というアイデアを製品化し、利益に結びつける組織とは(後編) - 株式会社キングジム
代表取締役社長 宮本 彰さん - 【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】
知というアイデアを製品化し、利益に結びつける組織とは(前編) - 東海バネ工業株式会社
代表取締役社長 渡辺 良機さん - 【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】
やること、やらないことを決める
競争優位を明確にすることは、社員育成にもつながる(後編) - 東海バネ工業株式会社
代表取締役社長 渡辺 良機さん - 【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】
やること、やらないことを決める
競争優位を明確にすることは、社員育成にもつながる(前編) - 人とホスピタリティ研究所所長
前リッツ・カールトン日本支社長
高野 登さん - 【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】
成熟化社会は、ホスピタリティが鍵となる(後編)