OBT 人財マガジン
2012.02.08 : VOL133 UPDATED
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ライフネット生命保険株式会社
代表取締役社長 出口 治明さん常識と一線。
横並びの生命保険業界に風穴を開ける"正直な経営"(前編)創業者の出口氏は古巣の日本生命保険を飛び出して2008年にライフネット生命保険を開業。当初は「ネットで保険が売れるわけがない」と陰口を叩かれたという。それから5年。契約件数は18万を超え、海外の保険会社からの問合せも増えている。同社は保険料を下げると同時に、保険サービスの値段を開示、既存生保を震撼させた。業界内から反発も上がったが本当に消費者を見ているのは"レガシィ"である既存生保か、ライフネットの様な新興勢力か。目先の利益だけを追うあまり、供給者の論理が強固となり、いつの間にか顧客を見失ってしまう企業は少なくない。「業界の常識」は売り手都合か、顧客都合か。競争環境が厳しい今の時代、本質を見られるかどうかが企業に問われている。(聞き手:OBT協会代表 及川 昭)。
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[及川昭の視点]
私がまだ若い頃は、居酒屋等で次期総理は誰かといった話題で盛り上がったものであるが、今やそのような会話もめっきり減ってしまった。 日本のリーダーの平均寿命が長くて一年ということになると個々人の資質の問題なのかリーダーを育て輩出する仕組みの脆弱さなのか。 リーダーにふさわしい指導力とは、多くの試練を乗り越える中で獲得するしかない。 失敗を恐れて時機をうかがうのではなく、自ら進んでこの難題に挑むリーダーが現れなければ何も動かず、何も変わらないであろう。 出口社長の、生命保険というサービスの根源への回帰という強い思いにご本人の仕事への強固な哲学を感じリーダーとは何たるかをとても考えさせられた。
聞き手:OBT協会 及川 昭
企業の持続的な競争力強化に向けて、「人財の革新」と「組織変革」をサポート。現場の社員や次期幹部に対して、自社の現実の課題を題材に議論をコーディネートし、具体的な解決策を導き出すというプロセス(On the Business Training)を展開している。 -
ライフネット生命保険株式会社 ( http://www.lifenet-seimei.co.jp/)
2006年設立。2008年5月開業。『共助』という生命保険の原点に戻り、「どこよりも正直な経営を行い、どこよりもわかりやすく、シンプルで便利で安い商品・サービスの提供を追求する」という理念のもと、74年ぶりの独立系の生命保険会社として誕生する。商品は死亡保険、医療保険、就業不能保険の3種類のみ(営業開始時は死亡保険と医療保険の2種類)、生命保険につきものの特約も廃止。保険外交員も店舗も持たず、業界で初めて保険料の原価と手数料を開示するなど、異例づくめの経営で、横並びの生命保険業界に大きな一石を投じる。その姿勢が多くの共感を呼び、開業から3年半で保有契約10万件を突破。事業性と社会性のある新しいモデルを生み出したことが評価され、2011年に生命保険業界で初めて、ビジネスモデルのデザインでグッドデザイン賞を受賞する。
企業データ/資本金:132億20万円(資本準備金 66億10万円を含む)、従業員数:74名(2011年12月1日現在)HARUAKI DEGUCHI
1948年生まれ。京都大学卒業後、1972年に日本生命保険相互会社に入社。企画部や財務企画部にて経営企画を担当。生命保険協会の初代財務企画専門委員長として、金融制度改革・保険業法の改正に携わる。2006年に同社を退職し、ネットライフ企画株式会社を設立。2008年の生命保険業免許取得に伴い、ライフネット生命保険株式会社に社名を変更、代表取締役社長に就任。「生命保険入門」(岩波書店)、「直球勝負の会社」(ダイヤモンド社)、「思考軸をつくれ」(英治出版)など著書多数。
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生命保険の「あるべき姿」をつきつめる
────御社は、『正直に経営する』ということを経営理念の一つに掲げておられます。今日はこの出口社長がお考えになる経営のあり方について、おうかがいしたいと思っています。
私どもは、会社の経営の方針を『マニフェスト』として、ウェブサイトにアップしているのですが、第一章にある『私たちの行動指針』は、原案は『正直に経営する』というタイトルだったんです。ただ、自分で「正直に経営する」と言うのはアカンという意見があって、『行動指針』としましたが、理念は「正直に経営し、日本の生命保険をわかりやすく、安くて、便利に」する。これにつきるんです。
※ライフネット生命保険のマニフェスト
第1章 私たちの行動指針
(1) 私たちは、生命保険を原点に戻す。生命保険は生活者の「ころばぬ先の杖が欲しい」という希望から生れてきたもので、生命保険会社という、制度が先にあったのではないという、原点に。
(2) 一人一人のお客さまの、利益と利便性を最優先させる。私たちもお客さまも、同じ生活者であることを忘れない。
→ 詳しく見る( http://www.lifenet-seimei.co.jp/profile/manifesto/index.html────2004年に書かれた『生命保険入門(※)』の中ですでに、理想の生命保険のあり方として「わかりやすく、安く、便利に」ということをうたっておられます。マニフェストにある理念は、起業されるずい分前から温めておられたのですね。
※2009年に『生命保険入門 新版』が発刊されている。
岩波の『生命保険入門』は、僕が遺書として書いたものです。僕は1972年に日本生命に入って、生命保険のそもそもの成り立ちから、生命保険というのは時と時代に応じて変わっていくものなのだということを、日本生命や生命保険業界の諸先輩から教えてもらったわけです。
日本は戦後、統制経済の中で大きくなってきましたが、1939年につくられた生命保険業法が、1995年に半世紀ぶりに改正されましたよね。これは、もう統制経済ではダメだと。これからは自由化して、競争していかなくてはダメだと。世の中がそう変わっていく中で、保険業法も改正されたわけです。
僕自身はその当時、金融制度改革に関わっていましたから、生保業界で恐らく最初に「保険業法を改正して、新しい時代に入りましょう」ということを言った人間だと思うんです。日本生命の当時の副社長だった弘世徳太郎さんも、「その通りだ」と。そう言ってくれる立派な諸先輩がいて、僕も改革に向けた行動ができました。
ところが、約10年をかけて保険業法が改正されてさあこれからというときに、たまたま日本生命のトップが交替し、「やはり自由化は嫌だ」と。弘世さんや諸先輩の後押しがあって自由競争に向けて動き出そうとしていたのに、「今まで生命保険はセールスの数で伸びてきたのだから」と、先祖がえりを始めたんですよ。
では何のために10年もかけて保険業法の改正をやってきたのかと、僕自身は釈然としなかったのですが、でも、僕は一介のサラリーマンです。方針を決めるのは社長のマターですから、仕方がないなと。諦めていたわけです。そして、55歳のときに日本生命の子会社の不動産会社に役付き定年で行くように言われましてね。同じパターンで本社に凱旋した人はいませんでしたから、過去の例から見ても日本生命に戻る可能性はないと。でも、諸先輩から教えてもらった生命保険のあるべき姿が失われていくのは申し訳ない、何とかして残しておかなければいけないと思って、若い人に向けて遺書を書いたということなんです。
けれどもその後、谷家さん(あすかアセットマネジメントCEO 谷家衛氏)に出会い、「生命保険会社をつくりませんか」といわれ、これも運命やなと思って「イエス」と言ってしまった(※)。これが、ライフネットの全ての始まりです。僕自身は、若い人に生命保険を改革してもらおうと思って遺書を書いたわけですけれど、谷家さんに「はい」と言った以上は、自分で書いたことを自分でやるしかないと。ひと言でいえば、そういうことなんです。
※起業のいきさつは、出口氏の著書「直球勝負の会社」(ダイヤモンド社)に詳しくまとめられている。
問題の先送りが、日本の経済と企業をダメにした
────日本生命のトップが交替されて先祖がえりが起こったというのは、そのときにどのような志向があったのでしょうか。
それは日本生命に限らず、日本経済全体がそうでしょう。日本は戦後、アメリカに追いつけ追い越せで、野口悠紀雄先生がいう『1940年体制』という統制経済、談合経済で大成功したわけですね。でも80年代に入ってアメリカを始めとした世界の国々が「日本は世界で一番大きい国の一つになった。これからは、競争と分散という世界共通のルールで仕事をしよう」と言い、日本はそれを受け入れたんですよね。
そして為替を自由化し、金融制度を変え、競争と分散の中で生きていこうとしたときに、バブルが破裂した。しかも冷戦が終わり、それは中国やソ連、そしてインドが市場経済に入ってくることを意味しますから、10億人で回していた市場経済が、一挙に30億人、40億人のゲームになった。ということは、ゲームのルールが変わるわけです。
そうすると政府・日銀は何をしたかといえば「これは時間稼ぎをしないと、日本の経済は持たない」と。そう考えて、ひたすらカンフル注射を打ち続けたわけです。それが財政と金融緩和ですね。
本当は1986年に前川レポートに書かれたような、痛みを伴う改革をやるべきだったのに、日本の企業は不幸にしてダイバーシティがまったく進まず、経営者は同質グループばかりなので、成功体験を忘れられずにいるんです。「構造改革なんかしなくても、またいい時がくる。夢よ、もう一度」と。それと同じことが生保業界にも起こって、先祖がえりを始めたわけです。でも、結局はカンフル注射を打ってもらっているうちに、床ずれができて体力がどんどん弱っていったんですよ。
────国は、ただ保護政策を行っただけですからね。
そうです。保護されていると気持ちがいいから、そのまま居眠りしていようかと。例えばバブルの時点では、第一生命は世界の5本の指に入る超大手でしたが、株式を上場して、現在は時価総額で世界の30位前後に低迷しています。このことが象徴的ですよね。
改革を怠ったら当面は楽だけれども、長期には衰退していく。僕自身は、そのことを日本生命の優れた先輩から習っていましたが、たまたま保守的な人がトップになった。これはもう、運命ですよね。でもそれは日本生命だけではなくて、日本経済全体にいえることなんですよ。
────ほとんどの産業が、供給者の論理で動いていましたからね。そういう中で出口社長がおやりになられたことは、以前いらっしゃったところに対してのある種のアンチテーゼだともいえるのでしょうか。
アンチテーゼというよりも、むしろ、ライフネット生命が生命保険業界の正当な子どもだと思っているんです。生命保険は社会にあわせて変わっていくべきだという遺伝子を受け継いでいるのが、僕らだと。だから、アンチテーゼはレガシィの方で、僕らがテーゼだと思いますね。
組織を維持することが第一義になると、経営の道を誤る
────出口社長がおっしゃることは、レガシィのいわゆるこれまでの大手生保の人たちも理解するようになってきているのかどうか。どうご覧になっていますか。
彼らも一所懸命にやっていると思うのですが、強い販売ネットワークを持ってしまったら、捨てきれないんですよ。レガシィ全体で全国に1000とか1500とか、目抜き通りのいい場所に店を持って、25万人のセールスを抱えてしまっているんです。一人のセールスがだいたい月に2件の契約を獲得しますから、25万人を維持するだけで毎月50万件の伸びが期待できるわけです。
そんな強いネットワークを持ってしまったら、どんな産業でも気づかずのうちに組織を守ることが最優先になる。ということは、お客さまが消えてしまうんですね。
──── その一方で、消費者の側にも主体性がないといいますか、これまでの日本人は自分のライフプランを考えることに積極的でないという印象があるようにいわれていますが、それは、私は違うと思っているんです。
そうですね。違うと思います。全盛期は50万人のセールスがいましたから、それに合わせてロジックをつくったんですよ。一番わかりやすい神話は、「人間は死ぬことを考えるのは嫌いだ。だから、生命保険のニーズは潜在化している」というものですね。セールスマンが対面で教えてあげなければニーズが顕在化しない、だから訪問販売が必要ですと。
でもこのロジックでは、困ったことに、生命保険に入りたいという人の説明ができないわけです。そこで、「そういう人は、病気を隠して生命保険に入ろうとしているのかもしれない」と、倒錯した神話をつくった。ライフネット生命は、訪問営業は一切していませんから、その神話通りなら支払いが増えて益が出ないはずですが、保険料収入と支払金の差は初年度からずっとプラスです。セールスをすべてのスタートにしていると、そうした神話もつくってしまうんですね。
さらにいえば、この神話の一番の問題は、ドッドソン(※)はなぜ生命保険を発明したのかという説明ができないことなんです。ニーズがあったから、ドッドソンは生命保険をつくったわけですよね。
※英国の数学者、ジェームズ・ドッドソン。近代生命保険の基礎となる理論を確立し、世界初の近代的生命保険会社である英国・エクイタブル生命(1762年設立)の創立に寄与した。
────そういう意味では、いわゆるレガシィの企業群が長い時間をかけて、個人が自分のライフプランを考えるということに対して、日本人を消極的にさせてきたのではないかという気がしますね。
これも生保だけではなくて、例えば、かつて自民党の森元総理大臣が「有権者は寝ていてくれた方がいい」と言ったことと同じですよね。目覚めてもらったら困ると。
でもどんな産業でも、世の中をよくしていくのは新規産業です。新しいところが入って大きくなり、古いところが退場して、新陳代謝をして世界は変わっていく。それは、95年の新しい保険業法が目指した方向でもあるんですよね。戦後のような寡占状態はよくない。競争を活発化させて、業界を良くしようと。
────業界が大きく変革していくというのは、今、まさに社長がおっしゃられた通りだと思うんですね。新規産業が来て、初めはマイノリティであっても、だんだんマジョリティになっていく。多くの業界がそうだと思いますが、そのときに既存の大手企業もやがてそういう流れに追随せざるを得なくなってくるんだろうと思います。
それは例えば、日本の相互会社の元祖である第一生命さんもあえて株式会社化して、世界と競争する道を選ばれていますので、徐々に変わっていくとは思いますね。
────では将来は、ライフネット生命さんが描かれている構想がマジョリティになっていくと。
我々はそう思っていますが、それはお客さまに支持されて我々が大きくなっていけば、結果としてそうなるということであってね。途中で力尽きれば、改革はダメだったということになりますから。これはもう100%の自信はありますが、でも、将来は予言できませんよね。我々にできることは、正しい道を歩んでいると信じて、お客さまを徹底的に大事にして伸び続けていく。それだけですね。
────お聞きしていると、極めて当たり前のことを当たり前にやられているのだということを改めて実感します。
ええ。ですから、我々が生命保険業界の正当な子孫であり、テーゼなんですよ。
過去の人脈には頼らずに、独立系生保の立ち上げを成し遂げる
────起業にあたっては、過去の人脈には頼らないと決めて臨まれたとうかがいました。
ゼロからつくるわけですから、過去の遺物を引きずってはよくないですよね。生命保険の正しい道とは何か、もう一度きちんと歴史を調べて、原理原則に則って一つ一つ積み上げていこうと思いましたから、過去は全部捨てたんです。
────それは、レガシィとはまったく違うゼロからの起点、つまり「お客さまのために」ということが唯一の起点になった、ということですね。
そうです。会社の経営方針は、『正直に、わかりやすく、安くて、便利に』という、もうこれだけですから。でもこれは、日本生命の諸先輩に教えてもらったことなんです。生命保険というのは、お金持ちには不要なのだと。しかも極端にいえば、年を取ったら生命保険(死亡保障)はいらない。働いているとき、あるいは小さい子どもがいるときにこそ必要なのだということは、僕が日本生命の諸先輩から教わった生命保険の本質です。その原点に戻そうと考えたんです。
──── 一般的に我々は、私も含めて生命保険に入っていますが、ほとんどが無知のまま加入していて、まったく売り手側の論理で買わされているだけだと思っているんです。
おっしゃる通りです。
────まず、差別化がほとんどない。どこの保険会社を見ても、みんな同じですよね。
だから我々は、生命保険というのはもっとわかりやすく、安くて便利なものだという原点に戻したいと考えたんです。これが250年前にドッドソンが描いたことですから。
おそらく今、ドッドソンが日本にやってきたら、レガシィの保険商品を見て仰天すると思いますね。こんなに高くて複雑なものを、供給者の論理で消費者に押しつけているのは、自分が考えたものではない。この国にはもう俺の子孫はいないと、嘆くと思うんです。でもライフネットを見たら、小さいけれども俺の遺伝子を受け継ぐ会社があったと。その自信は100%あります。だから、ドッドソンから引き継いだ生命保険のあるべき姿はライフネットが体現していると、僕は思っているんです。
「生命保険の正しい遺伝子を守る」という強い信念のもと、74年ぶりの独立系生保誕生という偉業を成し遂げた出口社長は、「100年後には世界一の生命保険会社を目指す」といいます。そのためには何が大切になるのか。出口社長の経営観を、後編でもじっくりとうかがいました。
*続きは後編でどうぞ。
常識と一線。横並びの生命保険業界に風穴を開ける"正直な経営"(後編)
- 株式会社JR東日本テクノハートTESSEI
専務取締役 矢部 輝夫さん - 経営改革は、実行する「現場の実態」を把握して、初めて実現する(前編) - 千葉夷隅ゴルフクラブ
総支配人 岡本 豊さん - 企業の競争優位性は結果指標ではなく
それを生み出す組織の強さ、社員のモチベーションに規定される(後編) - 千葉夷隅ゴルフクラブ
総支配人 岡本 豊さん - 企業の競争優位性は結果指標ではなく、
それを生み出す組織の強さ、社員のモチベーションに規定される(前編) - 七福醸造株式会社
代表取締役会長 犬塚 敦統さん - 【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】
人が気づき、変わる瞬間とは(後編) - 七福醸造株式会社
代表取締役会長 犬塚 敦統さん - 【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】
人が気づき、変わる瞬間とは(前編) - 株式会社キングジム
代表取締役社長 宮本 彰さん - 【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】
知というアイデアを製品化し、利益に結びつける組織とは(後編) - 株式会社キングジム
代表取締役社長 宮本 彰さん - 【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】
知というアイデアを製品化し、利益に結びつける組織とは(前編) - 東海バネ工業株式会社
代表取締役社長 渡辺 良機さん - 【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】
やること、やらないことを決める
競争優位を明確にすることは、社員育成にもつながる(後編) - 東海バネ工業株式会社
代表取締役社長 渡辺 良機さん - 【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】
やること、やらないことを決める
競争優位を明確にすることは、社員育成にもつながる(前編) - 人とホスピタリティ研究所所長
前リッツ・カールトン日本支社長
高野 登さん - 【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】
成熟化社会は、ホスピタリティが鍵となる(後編)