OBT 人財マガジン
2011.08.10 : VOL121 UPDATED
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シヤチハタ株式会社
代表取締役社長 舟橋 正剛さん企業永続の条件とは
──過去を活かした柔軟な事業展開で、
自社の社会的価値を高める(前編)スタンプ台の要らないハンコでお馴染みのシヤチハタは、創業88年を超える老舗企業である。スタンプ台の製造からスタートし、やがて自社商品を否定することにもなる朱肉やスタンプ台いらずのハンコ、通称"シヤチハタ印"を開発。同社の名前を知らない人はいないほどの、業界トップ企業へと飛躍した。その背景には、自社の社会的な価値向上を目的に「自己否定」と称されることもある柔軟な事業展開をしてきた経緯がある。企業が永続していくためには自社の事業、製品の競争優位性を正しく認識できなければならない。そうでなければ、寿命の過ぎた事業にすがりつくだけで、やがて競争力を失ってしまうだろう。(聞き手:OBT協会代表 及川 昭)。
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[及川昭の視点]
創業86年、トヨタ自動車の車は持っていなくてもシヤチハタのハンコは持っている。紛れもなく日本人の誰もがお世話になっている会社といえる。今、日本の企業を見てみると過去にはそれなりの実績はあるが、新しい時代に対応出来ず将来に向けての展望が開けていない企業が多い。そんな時、従来の経営の基本ソフトを捨てて新しい道に踏み出すのも一案である。→→続きを読む...
聞き手:OBT協会 及川 昭
企業の持続的な競争力強化に向けて、「人財の革新」と「組織変革」をサポート。現場の社員や次期幹部に対して、自社の現実の課題を題材に議論をコーディネートし、具体的な解決策を導き出すというプロセス(On the Business Training)を展開している。 -
シヤチハタ株式会社 ( http://www.shachihata.co.jp/)
1925年に創業者の舟橋金造氏と弟の舟橋高次氏がインキ補充を不要にした「万年スタンプ台」を開発し、舟橋商会として創業。1941年、舟橋商会を改組し、シヤチハタ工業株式会社を設立。1965年にスタンプ台いらずのスタンプ「Xスタンパー(通称シヤチハタ印)」を発売。従来の看板商品である「万年スタンプ台」を否定することにもなるリスクを覚悟のうえで開発に踏み切った「Xスタンパー ネーム印」は、累計販売数1億5000万本という大ヒット商品となる。1995年にはパソコンの普及を先取りして、電子印鑑システム「パソコン決裁」を発売。海外展開にも早期から積極的に取り組み1968年には米国・ロサンゼルスに現地法人を設立。海外では筆記具ブランドの「アートライン」を主力商品に、約80カ国に輸出している。
企業データ/資本金:7億3758万円、従業員数/655人(2011年3月現在・単体)、売上高/172億8224万円(2011年3月期・連結)MASAYOSHI FUNAHASHI
1965年生まれ。1993年に電通に入社。1997年にシヤチハタ工業(現シヤチハタ)に入社。1999年に取締役、2000年に常務取締役、2003年に副社長に就任。マーケティング、企画開発、事業総括、開発・生産事業、国内販売・商品開発などの担当役員を歴任し、2006年に代表取締役社長に就任。
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"現状への不安"が新しい商品を生み出す原動力
────企業の中には、規模が大きくなると、事業を続けること自体が目的になってしまうケースが少なくありません。しかし、企業は永遠でなければなりませんが、事業や商品が永遠でなければならないといったことは全くないわけで、御社がさまざまに事業変革を行われ、海外展開も早くから進めてこられたことは、大変参考になると感じています。社長からご覧になって、ご創業からこれまでの間に、どのような変遷があったと見ておられますか。
初期の万年スタンプ台。空気中の水分を吸収するグリセリンを使用することで"乾かないスタンプ台"の開発に成功した。
当社は恐らく、きちんとしたスタンプ台を日本で初めてつくった会社なのだろうと思います。「万年スタンプ台(※)」といって、空気中の水分を取り込むことによって表面が乾かないようにしたもので、そのスタンプ台を印章店に売っていただくことから始まり、創業者の祖父から父、父から私へと受け継がれて今に至っているということです。
「Xスタンパー」、通称「シヤチハタ印」。昭和40年の発売以降、累計販売数1億5000万本という大ヒット商品となる。
そのスタンプ台がある程度認知されて、そうこうするうちに高度成長期を迎えて事務業務がどんどん合理化され始めたんですね。これは、スタンプ台とゴム印はそのうちなくなるぞ、と。そこで、既存商品とのカニバリゼーション(※)は気にせず、もっと便利なものを消費者の皆さんに届けようと開発したのが「Xスタンパー」です。
※自社の商品同士で市場を奪い合う「共食い」現象のこと。
「Xスタンパー」の発売が昭和40年、その後、シヤチハタの社名やブランドの認知を大きく高めることになった「ネーム印」を出させていただいたのが昭和43年。画期的な商品でしたが、印章店さんからは「スタンプ台が売れなくなる」「印鑑メーカーをつぶす気か」と、かなり抗議があったようです。
ネーム印が認知されるようになってからも品質が安定せず、大手銀行にも扱っていただきましたが、印影が変色してしまうといった耐光性の問題を含めて不具合がいろいろとあり、会長曰く「謝ってばかりいた」と。「この改良でダメならもうやめよう」というところまで追いつめられて、何とか踏ん張ったと。だから、今があるということだと思います。
そうしてできたXスタンパーは46年選手、スタンプ台は発売から86年になります。事業の次の柱として、パソコンやインターネットの普及に対応した「パソコン決裁(※)」を開発し、コンピューター上での認証も手がけていますが、こうした事業の流れを見ると、やはり現状に対する不安が商品開発の原動力になってきたように思います。当社の事業展開は、「自己否定」とマスコミなどではよく言われますが、結果的にはそう見えても、実際は「次はこういう時代がくるから、こういう商品が必要だ」と。そういった考えから、今に至っているように思います。
※電子印鑑を捺印・管理するためのソフトウェア。
新事業は、既存事業の経営資源が活かせる分野で勝負する
──── 一般的には、既存事業がかなり追いつめられてから動き出すことが多いように思います。特に業界のナンバーワン企業の場合は、その傾向が極めて強いように感じますが、御社はどういった着眼で先手を打ってこられたのでしょうか。
業界自体が右上がりではありませんので、常に危機感は持っていますね。次の商品や次の軸といっても、そんなに簡単にはできませんから、どうしようかと一所懸命に動いています。
ただ我々には、新しい事業は既存技術の延長線上でなければやらないという暗黙の考え方があるんです。スタンパーに使うゴムの素材こそは買ってきますが、カーボンや薬品を配合して自社で製造していますし、本体のプラスチックも、ペレットになる素材は買ってきますが、成形は自社で行います。インキも顔料や染料、溶剤は調達しますが、何万種類という配合は自社で開発しています。ブルー・オーシャンな市場(競争が少ない未開拓市場)が近い業界にあったとしても、こうした既存技術が活かせなければ進出しないという考え方がベースにあるんです。
その結果、従来からの商品とのカニバリが起こることもあります。例えば、我々はオフィスに納品する商材がメインですが、最近では企業の経費削減で、職場の文房具を個人で買われるケースが増えているんですね。それに対応して、パーソナルを意識した商品構成に変えていこうと。すると、どうしても従来品とのカニバリは起きますが、そんなことをいっている時代ではないという考えでやっていくということです。
また、既存技術を活かして"素材ビジネス"や"個体差認証"といった新事業にも着手していますが、これらは言ってみれば、今まで手をつけてこなかったものです。ですから、過去の成功体験がぬぐえずに苦労している面はありますが、失う物がないんですね。
既存事業の足腰を強化してこそ、新しいことに挑戦できる
────同様に、現状に不安を抱きながらも、事業を変革できずにいる企業も少なくありません。捨てることへの怖さがあって、経営者自身が思い切れないのではないかと思います。
私には、「捨てる」という意識はないですね。現在の基盤をつくってくれた先輩方には感謝していますし、変化するためにはまずはその基盤を強くしなくてはいけないと思っているんです。海外も含めて、実際に使ってくださっているお客さまのニーズやクレームをどれだけ聞けているかといったことを考えると、既存の商売自体も全くやり切れていないわけです。まだまだやれることはある。そうして足腰を強くしてこそ、新しいことができると思っていますので、何かを捨てて新しいことをするという考えはないですね。
また、既存の商品や市場が消えてなくなってしまうということもないと思います。細くなってくるのをどうプラスアルファしていくかという考え方ですので、新しい事業を手がけることに対してリスクは認識していても、不安はありません。ただ、新事業が成功して一つの柱になるには時間がかかりますので、どうしても焦るんですね。そこはじっくりと育てていかなければいけないと思っています。
────今までの商品の中でやり切れてないことに注力すれば、まだいろいろなニーズがあるということですね。
ありますね。国内でいえば、事務用品の納品が主流でしたので、個人消費者へのマーケティングはほとんどしてこなかったんです。ですが、先ほど申し上げたように、オフィスで使うものも個人買いが増えてきていますし、オフィス向け以外では子どもさんやシルバー産業といった完全にパーソナルなところで我々に何ができるか。例えば、「おりがみ工場」というチラシなどで折り紙をつくって楽しんでいただくようなものも開発し、ハンコに限らず取り組んでいます。
「おりがみ工場」:不用になったチラシなどを使って折り紙を作ることができる。
────これは素材の用途開発と考えてよいのでしょうか。
そうですね。プラスチックの成型品ですので、既存技術の延長線上にあるものだといえます。パーソナル市場として、お子さんや高齢者の方々に目を向けていますので、そこでのニーズを考えたときに、「おりがみ」というキーワードが出てきて、こうした商品が生まれたということです。
────新しい領域に行かれると競合企業が変わるように思いますが、いかがですか。
それはないですね。確かに折り紙の道具としての競合は印章とは違いますが、折り紙専門でやっておられる会社を競合と考えるのではなくて、「餅は餅屋」ですから専門のところに売っていただこうと。ハンコの業界もそうですが、競合だからと肩肘を張るのではなく、あいまみえる部分は協力して、いかに「Win-Win」の関係をつくるかに注力した方がいいのではないかと思うんです。徐々にですが、文具のメーカー同士でコラボレーション商品をつくるといった動きも起こりつつあります。
──── "B to B"と"B to C"の売上比率は、将来的にはどのような割合を目指しておられますか。
文具市場がどう変わっていくか、なかなか読みづらいことではありますが、"B to B"が6割、"B to C"が4割といった辺りになるのではないかという気はします。つい最近も、出張先の東京のホテルでフロントの女性が当社のピンクのネーム印を使っておられましてね。何も知らないフリをして、「こんな色のものがあるんですね。個人で買われるのですか」と尋ねたら、「会社が買ってくれないものですから」とおっしゃるんです。同様に、いろいろな企業が文房具を個人買いにして経費を削減されていますので、個人のニーズをよく知らなければならないと考えています。
"印章から認証"へ。技術の内製化を強みに事業を拡大
────新事業として「個体差認証システム」の開発も手がけておられますが、これは考えてみると、従来の印鑑も認証であるということですね。
そうですね。ただ我々の商品は基本的には簡易なハンコですので、セキュリティとしては脆弱な面があります。といっても、我々は認証制度自体には手を出していませんし、印鑑登録制度がなくなることもないと思いますが、やはり、国内や海外の今後を考えたときに、本当に安心、安全を提供できる認証システムをつくりたいと考えています。
例えば、最近ではスーパーなどで「○○さんがつくった有機野菜」といって、生産者の写真付きの野菜が通常よりも高い値段で売られていますよね。けれども万が一、そこに悪意があればいかようなことでもできるでしょう。過去にも食品の偽装問題がありましたし、製造部品などでも同様に偽装の問題を抱えておられます。
安心・安全で正しいものを提供したいというメーカーの商品を、最終的にお届けするまでの流通の中で、登録して認証し、OKなものをお客さまに渡す。そういったシステムのニーズが、今後非常に高まるのではないかと感じています。それも、インターネットとアナログとを紐付けていくことで、市場が広がるのではないかと。今はそうしたことを手探りでやっている段階です。
────御社の技術はどういった形で活かされるのでしょうか。
我々はインキ屋でありハンコ屋でありますので、ハンコで言いますと、出荷するときにポン、ポンと包装資材に検印を打ち、その印影を一つひとつCCDカメラ(※)のようなもので撮影してデータをサーバーに保存しておくんです。そしてスーパーなどの小売り側が、受け入れた商品の印影を撮影してサーバーのデータと照らし合わせれば、正規品かどうかを確認できるという仕組みです。
※小型の高感度カメラの一種
────そのときには、やはりハンコが不可欠ですか。
作業を考えるとハンコもありかなと思いますが、印刷物でも認証できます。印刷の色むらをナノレベルで判別すると、まったく同じ印刷物ということはありえませんので。
────ニセ札を見破るようなものですね。
そうですね。ダイヤモンドもまったく同じ結晶のものはありませんから、同じ技術で本物かどうかを識別できるんですよ。
────これはまだ世界にない技術なのですか。
大阪大学の教授を研究パートナーに今、一所懸命にやっているところです。まだ少し深堀りしなくてはいけないところがあるものの、中国など海外からも引き合いがあり、そろそろ実証実験を開始したいと考えているところです。
────印刷物も識別できるということは、インキの技術の応用になるのですか。
派生したきっかけは、電子印鑑システムの「パソコン決裁」の開発です。実は「パソコン決裁」を開発したときには、外部からシステムエンジニア(以下SE)を大量採用したわけではなく、社内からできそうな人間を集めて教育してつくったんです。その頃、西和彦さんという方が率いておられたアスキーさん(※)のグループ会社で、ネットワーク技術を手がけるアスキー・ネットワーク・テクノロジーさんと提携しましてね。勉強させてもらいながら開発しました。ですから今、ソフトをつくっているのは、昔はハンコを持って営業していた人間だったりするんです。
※株式会社アスキー。コンピューター関連の雑誌や書籍の制作を手がける企業。
────なぜ、外注やエンジニアの中途採用ではなく、自社開発を選ばれたのですか。
私が陣頭指揮を取っていたわけではありませんのでわかりませんが、やはり自分たちでつくる苦しさみたいなものがないと、強みがそこに残らないからではないかと思いますね。
────確かに、自分たちで汗をかいたもののほうが後に残りますね。
最初のころは定期的に何人かを出向させていただき、徐々にいろいろな企業とアライアンスを組んで、学びながら今に至っているのが「パソコン決裁」です。そうして蓄積した技術がベースとなって、個体差認証システムが生まれたということです。
ペーパレス時代を迎え、印章の"その先"を見据える同社ですが、新たな事業展開はこれまでの延長線上にあるものであって、決して「自己の否定」ではないと語る舟橋社長。後編では今後の事業展開に加えて、同社の人と組織についても伺います。
[及川昭の視点]
創業86年、トヨタ自動車の車は持っていなくてもシヤチハタのハンコは持っている。紛れもなく日本人の誰もがお世話になっている会社といえる。
今、日本の企業を見てみると過去にはそれなりの実績はあるが、新しい時代に対応出来ず将来に向けての展望が開けていない企業が多い。
そんな時、従来の経営の基本ソフトを捨てて新しい道に踏み出すのも一案である。国内生産にこだわってきたが海外生産に軸足を移す。高付加価値路線をやめて廉価路線に舵を切る。やみくもに過去を否定しろといっているわけではないが、未曾有の環境変化に直面する企業にとって捨てないリスク、過去にしがみつくリスクは日々大きくなってきている。
21世紀の最初の10年が過ぎてしまったが、この間、最も輝いた企業はどこだろうか。アップルであろう。同社は、2001年に従来の基本ソフト(OS)に見切りをつけ、OSX(テン)と呼ぶ新しいOSに切り替えた。PCの頭脳であるOSの全面刷新は容易なことではない。以前のOSに準拠した応用ソフトや使い勝手の熟練は水の泡となるのでかなりの抵抗があったとのことであるが、ジョブスの決断で押し切った。旧OSにしがみついたままでは、アップルを支える商品競争力は生まれず、今日の繁栄はなかったであろう。
要は、捨てる決断が功を奏したのである。
シヤチハタ株式会社 舟橋社長とお会いして改めて企業の永続の条件を実感した次第である。
*続きは後編でどうぞ。
企業永続の条件とは
──過去を活かした柔軟な事業展開で、自社の社会的価値を高める(後編)
- 株式会社JR東日本テクノハートTESSEI
専務取締役 矢部 輝夫さん - 経営改革は、実行する「現場の実態」を把握して、初めて実現する(前編) - 千葉夷隅ゴルフクラブ
総支配人 岡本 豊さん - 企業の競争優位性は結果指標ではなく
それを生み出す組織の強さ、社員のモチベーションに規定される(後編) - 千葉夷隅ゴルフクラブ
総支配人 岡本 豊さん - 企業の競争優位性は結果指標ではなく、
それを生み出す組織の強さ、社員のモチベーションに規定される(前編) - 七福醸造株式会社
代表取締役会長 犬塚 敦統さん - 【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】
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代表取締役会長 犬塚 敦統さん - 【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】
人が気づき、変わる瞬間とは(前編) - 株式会社キングジム
代表取締役社長 宮本 彰さん - 【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】
社員の「思い」を信じて任せることが強い人財、強い組織を育てる(後編) - 株式会社キングジム
代表取締役社長 宮本 彰さん - 【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】
社員の「思い」を信じて任せることが強い人財、強い組織を育てる(前編) - 東海バネ工業株式会社
代表取締役社長 渡辺 良機さん - 高付加価値化実現の背景に「経営者の本気」と「社員の士気」(後編) - 東海バネ工業株式会社
代表取締役社長 渡辺 良機さん - 高付加価値化実現の背景に「経営者の本気」と「社員の士気」 - 人とホスピタリティ研究所所長
前リッツ・カールトン日本支社長
高野 登さん - 【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】
成熟化社会は、ホスピタリティが鍵となる(後編)