OBT 人財マガジン
2011.01.12 : VOL107 UPDATED
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学校法人品川女子学院
漆 紫穂子校長「安定」は「衰退」の始まり。
改革は、継続して緊張を維持する事で競争力に結びつく(前編)経営危機からV字回復を成し遂げた今なお「改革には終わりはない」と語る漆校長は、組織が安定している時ほど、注意が必要だという。「傍から見て組織が安定しているように見えるとき、実は、危機感の薄れから内向きになり、チームワークに乱れが生じていた・・・(記事より)」人間は本来、変化を嫌う動物。「茹で蛙」の様に差し迫った状況になって初めて、危機的な事態に気づく。人の集合体である組織が衰退するのも同じ構造だ。「・・・世の中が変わる中で、仕組みは常に変えざるを得ないのが現状」と語る漆校長。強い組織は改革を継続し、自ら揺さぶりをかけ、意図的に緊張感を走らせることで、その競争力を保っているのである。
(聞き手:OBT協会 伊藤みづほ) -
学校法人品川女子学院 ( http://www.shinagawajoshigakuin.jp/)1925年(大正14年)に荏原女子技芸伝習所として開校。まだ女性に参政権がなかった時代に、いずれ女性が活躍できる時代が来ると信じ、社会に貢献できる能力を持った女性を育てることを理念に掲げる。1929年には品川高等女学校となり、与謝野晶子作詞による校歌が誕生。1947年に品川中学校設置。 1980年代後半に、入学希望者の減少に伴う経営危機に直面するが、中高一貫教育を前面に打ち出し、授業のカリキュラムを大幅に改定するなどの改革に取り組み、1991年には 校名を「品川女子学院」に変更、 2004年に中高完全一貫制スタート。生徒の卒業後の人生を視野に入れ、社会観や倫理観、職業観を育てる「28project」を展開。企業とのコラボレーションなど、ユニークな教育を行っている。
学校データ/ 生徒数/高等部・631人、中等部・624人、教職員数:72人(2009年5月現在)SHIHOKO URUSHI
品川女子学院6代目校長。東京都品川区生まれ。中央大学卒業後、早稲田大学国語国文学専攻科修了。品川女子学院は「28プロジェクト~28歳になったときに社会で活躍する女性の育成」を目指し、従来の学校の役割を超えた生徒と社会を結ぶ学校作りを実践している。著書に『女の子が幸せになる子育て』(かんき出版)『女の子が幸せになる授業』(小学館)がある。ブログ『校長日記』執筆中。
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目指すのは、「強い学校」ではなく「人財を輩出する学校」
────今回のシリーズでは、「強い企業をつくる」をテーマに、強い独自性や競争優位性をお持ちの企業のトップの方にお話を伺っています。漆先生は、1989年に品川女子学院に来られて以来、数々の改革を手がけられ、中等部の入学希望者を7年間で60倍にされるなどの成果をあげておられます。学校法人における「強さ」をどのようにお考えでしょうか。
強い組織を目指しているわけではありませんので、「強い」と言われてもあまりピンとこないんです。それよりも大事にしている判断軸が2つあります。1つは人の役に立つことが自分の喜びになるような、そういう仕事ができる人財に生徒を育てるということ。品川女子学院は、そのための組織でありたいということが1つの軸としてあります。
もう1つは、卒業生の母校を守るということです。特に女の人は、職場での立場とか、家庭での子育てなどいろいろな事情を抱えることがありますね。そういう中で、母校が卒業生の支えになる故郷でありたいという思いがあるんです。そのためには、学校がなくなっては困りますので、「強い」というよりは「続く」というイメージでしょうか。「強い」というと何かと比べてという感じがしますが、それよりも組織の「継続性」の方が大事なんです。
────今回のシリーズでお話をお聞きした企業のトップの方々も、他社との比較ではなく、「わが社はこうありたい」というものを掲げて、それを追い求め続ける継続性が大切だとおっしゃっていました。
そういうことだと思いますね。それが結果として外から見たときに、「競争力」や「強い」といわれるものになるのだと思いますが、それを目指しているわけではないんです。
────今、少子化がいわれていますが、「選ばれる学校」といったことは意識しておられるのでしょうか。
意識の半分にはありますが、それだけではありません。教育にはサービス業的な側面もありますが、学校ではニーズに応えないこともサービスなのです。子どもは楽しくて楽なことが好きですが、子どもがして欲しいことだけを提供していては、将来につながらないんですね。プロとして彼女たちの未来を見据えて、嫌がることもあえてする。本校ではよく「生徒の未来に贈り物をする」と言いますが、それが私たちの使命だと思っています。
これは親御さんにもいえることで、今は特に地域とのつながりが薄くなり、少子化社会でもありますので、ご自分のお子さんとしか密に接することがない方が多いんですね。そうすると、その子が大人になったときにどうなるかが全く見えないことがあるんです。私たちは85年間の歴史の積み重ねの中で、子どもの今と将来とのつながりがある程度見えています。だから、今ここで甘やかしてはいけないということがわかる。「可哀想だから」と手を出してしまう親御さんに、「今は我慢しましょう」と申し上げることも、私たちの仕事なのです。
ですから、ニーズに応えるということとは、少し違うんですね。プロとして子どもたちの未来を見て、未来から逆算して、未来に贈り物をする。そんな、未来へのサービスが必要なのです。
この学校は、何のために存在するのか
────生徒を社会で活躍する人財に育てるということと、卒業生の母校を守るという2つの軸は、改革の当初から考えておられたのですか。
当時はそこまでは言語化していませんでしたね。ただ、私には2つの側面がありまして、もともと幼いころから教員になりたかったんです。生徒の成長に教員として関わりたいという強い思いがあって、それが「人財を育てる」につながったのだと思います。一方、私は創業家の生まれですので、昔から卒業生と関わる機会が多くありました。あるとき80歳代の方にこう言われたことがあるんです。「戦争で家が焼け、家族も亡くした。この学校だけが故郷だから守ってほしい」と。ですから、学校を潰してはいけないという思いが若い頃からあり、そうした考えが「母校を守る」につながったのではないかと思います。
ただ、教員は目の前の生徒が一番大事ですから、改革の途上では「教育よりも経営を優先している」と言われることもあって。それが一番辛くて、かなり悩みました。例えば、より手間をかけたいと思えば、一クラスの生徒数を半分にすればいいわけですが、それには授業料を倍にしなくてはいけません。それでは経営が成り立たず、学校を継続できないんですね。その整合性が、自分の中でどうしても取れない時期が続きました。
────悩む期間はどのくらい続かれたのでしょうか。
10年以上はそんなことを考えていたように思います。人間が未熟だからなのかと思い、いろいろな本を読んで研修も受け、修行のようなことまでしました。
────富士山登山や滝業もなさったそうですね。
日々苦しかったので、悟りのようなものを求めたんですね。でも、例えば森の中では心が静かでも、日常に帰れば元に戻ってしまうんです。その苦しみの中で、学校は何のために存在するのか、私は何のために生まれ、何のために仕事をするのかといった、学校と自分の使命を考えに考えて。それを繰り返すうちに、はっとすることがあったのです。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」と祖父がよく言っていたのですが、言葉の意味はわかっても、それを言う祖父の心がわらずにいたんですね。それがあるとき、「安禅必ずしも山水を須(もち)いず」という前の句があると知りました。「安らかな心で座禅をするために、必ずしも山水の地に向かう必要はない」という意味の言葉です。何かから逃避するように修行しても、悟りは得られない。自分の軸は、日々の仕事の中から見出すものなのだということに気がついたのです。そのころから、私は在校生と卒業生のために仕事をするのだと気持ちが落ち着き、周囲にもそれが心から言えるようになりました。
相手と同じ立場で、一つの目標を見る
────教職員や生徒の方々に伝える言葉が、変わられたということでしょうか。
それまでは「生徒 対 私」といった感じだったのが、本音で話せるようになったんです。例えば、電車内のマナーが悪い生徒がいたときに、「品川女子学院は、あなたたちだけの学校ではない。社会の期待があり、卒業生の母校でもある。そういう中で、人に迷惑をかける行動をするのはどういうことなのか」といった話ができるようになりました。
ですから、子どもたちも「自分たちの品女」だと思っていると思いますね。卒業生も、「後輩のためなら」ということをよく言います。組織の話に戻れば、経営者がいて対顧客や対職員というのではなくみんなが一つになること、私たちはそれを「品川ファミリー」と呼んでいますが、同じ立場で組織を良くしようとすることが、結果として永続する組織につながっていくのではないでしょうか。
──── 一つのファミリーになるために、周りの方々をどのようにして巻き込んでいかれるのでしょうか。
巻き込むという考えがおこがましくて、それでは対面していることになるんです。そうではなく、同じ位置に立って一つの目標を見る。横に立つというイメージです。
────教職員の方々とも生徒さんとも、同じ位置に立つということですか。
そうですね。学校では、それぞれの先生がその場で臨機応変に考えることが大切ですので、「管理する」といった組織ではないんです。生徒を叱るにも褒めるにも、その場で判断して、その場で接しなければ効果がありませんから。例えば、ホテルでいえばリッツカールトンがそうですね。バジェット(※)をどんな人も持っているという、そういったことが日常的に行われている組織だと思います。ですから、「巻き込む」という感じではないんですね。
※リッツカールトンでは従業員1人あたり1日2,000米ドルまでの決裁権が認められ、個人の裁量で顧客サービスを提供できることになっている。
また、よく親御さんが「うちの子はやる気がない」と言われますが、全くやる気のない子はいません。「いつもですか?」と聞くと、「クラブ活動ではやる気があります」等とおっしゃる。つまり、親や、会社でいえば上司が望む場面では、スイッチがオフになっているわけです。でも、自分が望む場面ではスイッチがオンになる。やる気にはスイッチがあって、私たちの仕事はそのスイッチが入る環境を整えることなのではないかと、私は思うのです。
例えば、本校では職員室前の廊下が質問コーナーのようになっていますが、これは若手の教員の提案が発端です。生徒の質問を受ける机がほしいからと、まずは自分で机を持ってきて実験的にやってみたんですね。すると生徒が集まるようになったので、ではやってみましょうと。カウンターをつくって椅子を置き、さらに多くの人が集まるようになって、今度は「空調もほしい」と言われてエアーカーテンをつけて。今ではそこで自習する生徒もいて、しょっちゅう来る子が増えました。提案した本人がこう言っていましたね。「提案がこうしてすぐに形になると、自分の責任だからやらざるを得ない」と。
このように一人ひとりの価値観に寄り添って、何に困っているのか、どうしたいのかという声に耳を傾ける。同時に、学校を将来どうしたいかということが私たちの中にあるわけですが、そこに合ったものを整えていく。そういったことが大事なのかなと思いますね。
業績V字回復後、改革疲れに直面する
────企業に置き換えると、現場に任せることができず、経営側の考えをトップダウンで強制することも少なくありません。
わかります。本校にもそういう時期がありました。初期の改革は教職員と危機感を共有していましたので、会社でいえば業績V字回復で7年目まで毎年、応募者が倍増したんです。はた目にはうまくいっているように見えたと思いますが、順調になったときに改革疲れを起こしてしまいました。
生徒の将来のため、学校の維持のために、いいと思ったことは何でもやった結果、「あれもこれも」とやることが増えてしまったんですね。1人の人間にできる仕事量には限界があります。それを超えると疲れてミスが起こるとか、プロジェクト形式でスピーディに進めた分、連絡や報告が滞ってコンセンサスが取れないとかいう副作用が表面化してきたのです。
でも、みんな自分がしていることは大切なことだと思っているので、止められないんです。最初は1の労力で10の成果があがったものが、8、7、6と徐々に減っていき、費用対効果がどんどん下がっていったのですが、それでも頑張ればほんの少しは良くなるものですから、どうしても止められない。苦しいループに入っていきました。
────その状況を、どう克服されたのでしょうか。
企業がよくやる研修を取り入れるといったこともしましたが、みんな嫌々参加して、「希望者だけにしてほしい」とアンケートに書かれたこともありました。でも、あるとき個々にヒアリングをしていたら、みんなは学校に目標がないと感じていたことがわかったんです。私は、目標があるのにみんながそれをわかっていないと思っていたのですが、「学校のビジョンが見えない」、「何をしていいかわからない」と。そのとき初めて、組織目標というものは言葉になっていても、一人ひとりの心に落ちていなければ、本当の目標にはならないということに気づいたのです。
教職員全員でミッションをつくり、原点に立ち戻る
そこで、2年をかけてみんなで新しいミッション(※)をつくりました。自分の思いと学校の歴史をひも解くことから始めて、この学校は何のために創立され、どこに向かうのかをじっくり考える。並行して一人ひとりの教職員が、何のためにこの職業についたのかという個人の思いを拾っていきました。そうして出てきたものと、本校の創立の理念をひも解いたものをドッキングさせて、新しいミッションとビジョン、バリューをつくる。それを2年かけてやりました。そこで初めてみんなの思いが一致したのです。
これによって、経営としてもミッションにそぐわないことをしていたことに気づきました。例えば、本校は中高一貫校として特徴ある教育をしてきたわけですが、当時は高校の生徒募集もしていたんですね。でも、高校の3年間でその教育を浸透させることは難しい。ミッションと違うことが行われていると、教員がどっちを見ていいかがわからなくなってしまいます。それに気づいていなかったんですね。そこで収入減を覚悟して、思いきって高校募集を廃止したのです。
よく、部下に伝わらない、上司がわかってくれないという話を耳にしますが、情報と目的を共有すれば、考えることはそんなに変わらないんじゃないかと思います。組織の中に上下があるとすると、上の人がもっと聴いて、伝えなくてはいけないのです。そのときにはやはり言葉が大事で、私は10年近く苦しんで「改革の軸はこれだ」とようやく言えるようになりましたが、伝わる言葉というものは、そういった生みの苦しみの中から生まれてくるものだと思います。自分が心の底から信じることしか、伝わらないんですよ。
────企業では、「何のためにこの会社があるのか」を考えるプロセスには時間をかけず、「会社をどう変えていくのか」という結論を急ぐケースが多いように思います。
私が改革に行き詰ったのは、学校を守ることが優先されて、「何のために」を考える余裕がなかったからでした。生徒や卒業生、先生、職員が集まって初めて品川女子学院という学校になるわけですから、何のためにこの仕事をするのか、何のためにこの学校に通うのかを、一人ひとりが持っていなければ、実際に動く組織にはならないと思いますね。
※ミッションを明文化したものとして、品川女子学院では下記の教育目標を掲げている:
「私たちは世界をこころに、能動的に人生を創る日本女性の教養を高め、才能を伸ばし、夢を育てます」
http://www.shinagawajoshigakuin.jp/01guide/index.htmlミッションを伝え続けることが、第二段階のテーマ
────組織と個人のミッションを明確にしない限りは、どのような方策を講じても組織運営はぐらついてしまうということですね。
そうですね。ただ、生徒は新陳代謝しますでしょう。教職員もそうですね。ミッションの作成に参加していない人が入ってきますから、第二段階としては伝えていくことが大事になります。また、教職員の採用でも生徒募集でも、ミッションに合っている人かどうかを大事にしないと、もう一度やり直しになってしまいます。
学校は志望してくださる方がいらして成り立つのですが、「誰でもきてください」ではだめなのです。説明会では、「私たちはこういう学校です。合う方は入ってきてください」とお話しますし、学校の悪いところもお伝えします。例えば、高等部の1・2年生を対象に、文化祭の模擬店を会社に見立てる「起業体験プログラム」という活動を行っているのですが、昨年は生徒が商品を発注した会社に夜逃げされて大騒ぎになったんです。これは、おそらくマイナス情報ですね。高校生にそんなことをさせるなんてと思う方は、本校は受験されないでしょう。
けれども、私はこうお話するんです。「お子さんが28歳のときに、親御さんはおいくつですか。そのときには、助けたくても助けられないかもしれませんね。しかし学校の中で起きることは、いざとなれば大人がいます。この状況の中で、失敗も含めてなるべく多くの経験をさせたいのです。社会とつながる学校ですから、社会の諸問題は学校の中でも起こりますが、それは本校をお選びになるリスクです」と。そして、「本校はチャレンジを楽しむ方に向いています」とお伝えしています。
また、学校のホームページでは校則や財務情報も公表しています。おそらく、中高法人で財務情報を載せている学校はほとんどないのではないでしょうか。しかし、特にお金の使い道には、言うこととやることが合っているかどうかが明確に出ますので、オープンにしているのです。
常に相手の立場に身を置く
────日常の中では、どのようにしてミッション共有されているのですか。
まず一番苦労してやっているのは、毎日ブログ(※)を書くということですね。これは、相手を意識しています。生徒、卒業生、受験生、教職員、そして世の中。この5つの方向を意識して、自分で写真も撮り、1時間から2時間近い時間をかけて書くこともあります。
※校長日記
http://shinagawajoshigakuin.jp/21fromPrincipal/index.html職員会議や朝礼でも「何のために」を補足するようにしています。生徒に対しては、日ごろの立ち話的なインフォーマルなコミュニケーションを心掛けています。そのときには、その子の立場からはどう見えるのかを考えます。これは大人も同じで、相手の立場になれるかどうかが大切なのです。親御さんにはよく「お子さんが大切にしていることを10個書いてください」と言うのですが、意外と書けないものなのです。会社でいえば、部下が大事にしていることを10個書いてみる。合っていなくてもいいんです。書くという作業によって、相手の立場に身を置けるようになる。これが大事なのです。
また例えば、私は物事のゴールが見えるタイプですが、プロセスのリスクが見える人もいます。そうすると、私が「こうしましょう」と言うことに、「もしこんなことがあったら、どうするんだ」と、反対意見も出ます。それを、「生徒のためになることをなぜやらないのか」と言ったのでは平行線ですから、お互いの価値観の違いを知る必要があります。相手がプロセスを見ているなら、「できたとしたらどう?」とゴールを共有する。また、どんなリスクを見ているのかを聴き出して、回避する方法を一緒に考える。「聴く」と「伝える」ですね。そうすることで、ゴールまで一緒に歩いて行けるのです。
────そういったことをすべてのシーンにおいて繰り返すことで、ミッションの共有化を図っておられるのですね。
そうですね。ただ、常に"だめ"です(笑)。今も、コミュニケーションが足りていないということを感じています。
────どのような場面でお感じになるのでしょうか。
教職員のやり取りや、生徒が教員に反抗したりするのを聞いて、なぜかと考えると、やはりミッションが伝わってない、生徒の声を聴いていない。だからだなと感じますね。
────リーダーは日常の些細なことにもアンテナを立てて、そうした兆しを見過さないことが大切になるのですね。
それには、方法が2つあると思います。部下に任せて、上がってくる話を受け取ることが1つ。一方で、そうした話は必ずフィルターを通ってきますので、現場に行って自分の目で確かめる。この両方が必要なのかなと思います。人を信じてないわけではなく、自分でも確認作業をするということですね。そうしないと判断がブレてしまうと思うのです。
学校経営を建て直し、明確なミッションを掲げる品川女子学院では、「28project(プロジェクト)」という教育方針を掲げ、生徒の未来から逆算した長期的な教育を実践されています。ミッションをどのように教育に反映させておられるのか、ミッションを追求する組織であり続ける秘けつは何か。後編では「28project」の概要と、漆校長の教育観、組織観を伺います。
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聞き手:OBT協会 伊藤みづほ
OBTとは・・・ 現場のマネジャーや次世代リーターに対して、自社の経営課題をテーマに具体的な解決策を導きだすプロセス(On the Business Training)を支援することにより、企業の持続的な競争力強化に向けた『人財の革新』と『組織変革』を実現している。
*続きは後編でどうぞ。
「安定」は「衰退」の始まり。
改革は、継続して緊張を維持する事で競争力に結びつく(後編)
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