OBT 人財マガジン

2010.01.13 : VOL83 UPDATED

この人に聞く

  • ファイテン株式会社
    代表取締役 平田 好宏さん

    経営状況が『良い時』に危機感を保てるかどうかが、
    企業の成長を決める(前編)

     

    企業の成長には、外部環境に適応すべく、社内に危機感があるかどうかが重要となるが、最も難しいのは経営状況が『良い時』に保つことである。71億円だった売上高が202億円に急伸した2002年のブーム時に危機感を募らせ、社内の意識改革に着手した平田社長。同氏は「大きな成功の陰には、必ず大きな危機が潜んでいる」と語る。もし、ブームに安住していたら、その後、新たな商品は生まれていただろうか。また、社員の意識を変えるには相当な時間とパワーがかかるため、ブームに陰りが見えてから「危機意識を」と言っても、組織の活力を取り戻せなかったのではないだろうか。組織の脆弱化を防ぎ、企業としての成長を持続させるためには、経営状況が良い時に、どれだけ危機感を保てるかどうかにかかっている。

  • ファイテン株式会社 http://www.phiten.com/

    1983年設立。平田氏が個人経営による治療院から転じ、創業。プロ野球選手を始め、スポーツ界には同社製品の愛用者が多く、2002年のFIFAワールドカップ開催時には、日本代表選手が同社の『RAKUWAネック』をつけていたことから一般消費者の間でも大流行。2007年には日本で初めて、MLB(メジャーリーグ)とオーセンティックコレクションライセンス契約を締結。MLB選手がグラウンドで使用する野球製品の各カテゴリーにつき1社のみに発行される特殊なライセンスを獲得する。現在では、スキンケア製品や食品・飲料にも商品を拡大。航空会社などの他社に素材を提供する素材事業も拡大中。
    企業データ/資本金:3000万円、従業員数/680名(2009年4月末現在)、国内店舗数/150店、海外店舗数13店(2009年4月末現在)

    YOSHIHIRO HIRATA

    1953年生まれ。1972年、京都の織物メーカー・矢代仁に入社。1973年に料理人に転向し、複数の料理店で経験を積む。1980年に突然倒れ、膠原病と診断されるが半年ほどで自然治癒。この体験を機に1982年に個人治療院を開業、1983年にファイテン株式会社を設立。代表取締役に就任。

  • 大病を機に、料理人から治療の道へ

    ────平田社長は1983年、30歳のときにファイテンを設立されました。そもそもはご自身が大病を患われたことがきっかけだったと伺っています。

    そうですね。27歳のときに、国から難病として指定されている膠原病(こうげんびょう※)を発症しまして、それがきっかけといえばきっかけなのですが、当時はそれほど明確に健康産業を志したわけではありませんでした。お客さまのご要望に応えるうちに、今の姿になったということです。

    ※膠原病:自己免疫疾患の一つ。自己の免疫に何らかの異常が発生し、関節や皮膚、内臓など、全身を攻撃する炎症性の疾患。厚生労働省によって特定疾患(いわゆる「難病」)に指定されている。

    そもそも私は、京都府北部の丹後ちりめんで有名な絹織物の産地の生まれ。織物工場の跡取り息子として育ったのですが、20歳のときに父親が工場を閉じてしまったんです。本来ならば悲しい出来事なのでしょうが、私は生来の料理好き。料理人に憧れていたものですから、もう解放されたような気分で(笑)。すぐに料理の道に進みました。

    その世界で20歳といえば後発ですから、遅れを取り戻すべく飲食店のアルバイトを3つはかけもちしたでしょうか。朝は京都市中央卸売市場に買出しに行き、昼は高校の給食センターで働いて、夜は 『皿寿司』といって、今でいう回転寿司のような店の板場に立って。働く先は、あえて庶民的な店を選びました。高級店は下積みが長くて、材料を触れるようになるまでに何年もかかる。でも給食センターや皿寿司のような職場なら、すぐに仕事をさせてもらえるんですね。

    ただ無理がたたったのか、27歳で倒れましてね。病院に行ったら、「今すぐ入院してください」と。そして診断されたのが、膠原病でした。相当進行していたようで、家族は医師から「危ない」といわれていたようです。ところが、そのうちに自然と治り始めたんです。膠原病に特有の自己抗体(※)は、今も私の体の中に結構な数があるそうです。でも発症しない。なぜ発症しないのかは、今もわかっていません。謎のままです。

    ※自己抗体:自分自身の組織や細胞を攻撃の対象としてしまう抗体のこと。

    ────民間療法を試すなど、ご自分で何かされたのですか?

    いえ、何もしていません。あえていえば、気を楽に持ったということぐらい(笑)。ただ、難しい病気ですから、いくら楽天的な性分とはいっても心配で、再発しないように『家庭の医学』を始めいろいろな医学書を読み漁って自分なりに研究を続けました。そうするうちに、自分が得た知識や技術を使って、人のことも治したくなってきたんです(笑)。

    そして調べてみると、私の年齢からでも取得できる治療家の資格があった。『療術』という、整体やカイロプラクティックなどで知られる治療法の資格で、夜間の定時制専門学校に通えば取得できると知り、すぐに京都市内の夜間学校に入学しました。そして2年間通って『療術師』の資格を取得し、治療院を開業したんです。これが、健康産業に携わるようになったきっかけです。

    独創的なアイデアの源は『素人の発想』

    ────まずは飛び込んで"実践"するという発想は、料理人時代の店選びと共通していますね。

    そうですね。ですから、私はいつもプロではなくてアマチュア。しかし実は、そのことが一番の強みになりました。アマチュアは知識がありませんから、何にでもゼロから挑戦できる。これが大きいんですね。

    どういうことかといいますと、治療院を開業したときに私が目指したのは、患者さまを『治す』ことでした。それまでの整体やカイロプラクティックは、肩こりや腰痛を『和らげる』治療が主。つまり、症状緩和のための治療なんですね。でも、私は大病をした経験があったせいか、根本的に治す治療がしたかったんです。

    症状の原因の多くは普段の生活習慣にありますから、治すには生活改善が不可欠です。そこで患者さまにホームケアを勧めるのですが、誰もやってくれない(笑)。簡単なホームケアだったのですが、やはりご本人の意思の力がないとだめなんですね。ところが当時は、小さな磁石を絆創膏のようなテープで貼る健康グッズが流行っていた頃。ホームケアができない人も、それは使っているんです。「効きますか?」と聞くと、「いや、どうかな」と首をかしげるんだけれども貼っている。効くか効かないかわからなくても、絆創膏なら貼るわけです。

    これだ、と。絆創膏のように貼るだけでいい手軽なもので、治療に効果のあるものがつくれないかと考えたんです。といっても、私はアマチュアで知識がありませんから、人がいいという物を手当たり次第に試しました。そして最初に見つけたのが、超伝導のセラミックです。次に、独自に加工した石英ガラスの粒を開発し、これが大評判になりました。ホームケア用の貸出用品として開発したものでしたが、「わけてほしい」という依頼が次々とくるようになり、治療院を閉めて製造に専念するようになったというわけです。

    これが、『素人パワー』なんです。専門家なら、できるかできないかをまずは理論上で判断しますね。しかし、素人は理論を知りませんから、人がいいといえば何でも試します。そうやって、普通の治療家なら絶対に思いつかないような素材と出会ったことが、今につながっているんです。

    ────石英ガラスに出会われるまでに、どれくらいの数の素材を試されたのですか?

    それはもう、ものすごい数ですね。当時はヒーリングストーンがブームになっていた頃でもありましたので、天然石は一通り試しました。でもダメでしたね。「"気"が入る」とか何とかというけれども、あれは『イワシの頭』の世界ですよ(笑)。

    ────素材はご自身の身体で試されるのですか?

    自分自身でも試しましたし、患者さまにも使ってもらいましたね。気心の知れた方ばかりでしたから、「いい物をつくりましたよ」といってね(笑)。たいていは効果を確認しても、「効いてるようにも思うけれど、気のせいかもしれない」という程度の反応だったのですが、石英ガラスを試したときだけは「先生、あれはものすごくいいですね」と、みなさんがおっしゃる。「うわあ、じゃあこれだ」と。偶然の発見です。

    ほかの業界でも、こういうことはよくありますね。例えば日本酒なども、昔は濁り酒しかなかったのが、たまたま樽に木灰が混入し、灰のアクに濁りが吸収されて澄んだ清酒ができたと聞きます。新しい発見は、偶然によるものも多いですね。

    思い込みを捨てれば、不可能も可能になる

    ────どのようにすれば、偶然の発見に出会うことができるのでしょうか?

    これという方法があるわけではありません。アマチュアの発想を大切にして、人がいいということを素直に受け取る。これだけです。プロ意識を持つと、素直に取り組むことができなくなるんですね。そうならないように、今も意識してアマチュア精神を忘れないようにしていますが、当社の開発スタッフなどはすぐに『知識汚染』を起こしますね。

    ────『知識汚染』、ですか?

    私にいわせれば、知識は汚染物です。開発スタッフに新しいテーマを与えると、すぐにわかりますよ。「頭の中で否定し始めたな」と。研究室に入ったばかりの何も知らない社員は、私がいうことはすべて信じますから、「これはできる」といったら「できる」と信じるんです。「社長、そうはいっても...」と異論を唱える社員には、「試しもしないで、なぜできないといえるのか」と。その点は、よく話すようにしています。

    ────その後、水には溶けないといわれていたチタンを溶かすことにも成功されました。

    これもまずよかったのは、チタンは溶けないということを、我々が知らなかったということです。チタンは加工用素材としては、非常に優れているんですね。チタンそのものには健康に対する効力はありませんが、我々はある種のエネルギーを帯びさせる技術を開発したわけです。チタンは硬くて扱いにくい。水に溶かして布に染めることができれば、応用範囲はグッと広がりますから、「ならば、水に溶かそう」と。

    さっそく実験を指示したところ、「チタンは水に溶けるのですか」と開発チームが聞いてきましたので、「世の中に水に溶けないものなんてないだろう」と一喝しましてね(笑)。彼らは私の言葉を信じますから、あらゆる資料を調べて、物を溶かす方法を片っ端から試し始めるわけです。そうこうするうちに、「溶けました」と。開発スタッフがチタンの水溶液を持ってきたんです。

    コバルトブルーの溶液でした。しばらく待っても沈殿せず、上下の濃度が変わらない。これは溶けたぞということで特許申請したのですが、最初は受け付けてもらえませんでした。「ファイテンさん、嘘はいけませんよ」と(笑)。水に溶けるということが、信じてもらえなかったんです。そこで追試を行って改めてデータを提出し、『超微粒子チタン分散水』として特許登録しました。

    先が見えないときには、トップのリーダーシップが不可欠

    ────「チタンは溶ける」と信じて疑わなかったことが、画期的な発見につながったのですね。

    そうです。「できない」と思った瞬間に、人間は思考と行動を止めます。能力があろうがなかろうが、「できる」と信じている人間だけで開発しないと、新しい試みは実現しないんです。

    ただしスタッフを動かすには、「できる」と確信させなければならない。では誰が確信させるのかといえば、当社でいえば私です。「なぜできるのか」と聞かれれば、「俺には未来が見えるんだ」くらいのことは言いますからね。いや、実際には見えませんよ(笑)。けれども先が見えないときには、トップがしっかりとリーダーシップを取らなくてはいけない。自分の直感を信じて、得体の知れない物事に向かって行動を起こせるかどうか。その勝負だと思いますね。

    「できる」と信じて行動を起こすと、実践を通して得た知識が自分の中に入ってきます。『実践知』ですね。『暗黙知』といってもいいでしょう。自覚していなくても、暗黙知が潜在意識の中にどんどん入ってくる。このことに、非常に意味があるんです。やがて、暗黙知からアイデアが自然と湧き出てきます。そうなれば、不可能を可能にするような発見も、次々と生まれるようになる。そのときのトップの役目は、不可能へのチャレンジを面白がる風土をつくることです。人間、気持ちがのってこないとアイデアは出ませんからね。

    ────そのためには、まずはアイデアを生むに足るだけの暗黙知を蓄積する必要がありますね。

    そうです。ですから、まず、自分は物を知らないということを悟る。そして、夢中になって手足を動かすことが必要なんです。

    ファイテンブームの後に訪れた危機

    ────その後、2002年に行われたサッカーのワールドカップで、日本代表選手がファイテンの『RAKUWAネック(※)』を身につけていたことが話題になりました。その直後からファイテンブームが巻き起こり、2002年度は約71億円だった売上高が、翌年度には202億円にまで急伸したと伺っています。

    ※RAKUWAネック:ファイテンの代表的な製品。ファイテンの『アクアチタン(ナノレベルでチタンを水中に分散させたもの)』を含浸させた生地でつくられている。

    あのブームを境に、当社は明らかに変わってしまいました。ブーム以前は、当社の商品はやはり売りにくいものだったんですね。特に、新規のお客さまにどういうものかをなかなか理解いただけなかった。ですから、どんなものかを解いて理解者を開拓していくという、地道ですが、非常に固い地盤を築く営業スタイルで、右肩上がりの成長を続けてきたんです。

    それが、ワールドカップで大ブレイクして、待っていればお客さまの方から買いにきていただけるようになってしまった。これも、ある種の暗黙知です。一度甘い汁を吸うと、何度も同じ汁が吸いたくなる。ですから、有名なスポーツ選手に『RAKUWAネック』をつけてもらって、コマーシャルをバンバン打って。プロモーションに頼って商品を売るようになり、きちんとした理解者をつくる努力をしなくなってしまったわけです。それ以降、業績は伸びても、企業の実力としての地盤は沈下する時期が続きました。

    ────どういったときに、地盤沈下を感じるのですか。

    お客さまに会うとわかります。当社の商品への期待が薄い方が増えているんです。「(阪神タイガースの)金本選手がつけているから」といって購入される方もいらっしゃいます。当社の商品は、健康を本気で取り戻したい方にご利用いただきたいものであって、ファッショングッズではないんです。それなのに、非常にライトタッチに売れ始めている。ですから、よく売れますが、ドロップアウトしていくユーザーも非常に多くいらっしゃいます。

    ────顧客が定着しないということですか。

    新規のお客さまは次々と獲得できていますが、このままでいけば、業績にも影響しかねません。ですから、我々は大ヒットする前の、昔のファイテンに戻らなくてはいけない。そのためにここ3年ほど、いろいろな工夫や努力を続けているところです。

    「大きな成功の陰には、必ず大きな危機が潜んでいる」と平田社長はいいます。組織をどう立て直すのか。後編では、ファイテンの組織活性化への取り組みを伺います。

*続きは後編でどうぞ。
  経営状況が『良い時』に危機感を保てるかどうかが、企業の成長を決める(後編)

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