OBT 人財マガジン
2009.01.14 : VOL59 UPDATED
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ヨリタ歯科クリニック
ドリームマスター・理事長 寄田 幸司さん
スタッフに夢や目標を与える組織のつくり方(前編)
朝、出勤しても誰も挨拶を交わさず、上司や同僚とのやり取りはメールのみ...、今、さまざまな職場でコミュニケーション不全が深刻化しています。『ワクワク楽しい歯科医院』をコンセプトに掲げるヨリタ歯科クリニック理事長の寄田幸司さんは、その状況を打破するには「スタッフが夢と目標を持ち、感動と感謝があふれる職場をつくることが必要」だといいます。では、どうすればそのような職場を実現できるのか。クリニックの改革を成功させ、2007年には『患者が選ぶ病院ランキング』で1位に輝いた寄田幸司さんに伺いました。
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ヨリタ歯科クリニック ( http://www.yorita.jp/)
1991年開業。「患者様に愛される地域一番の歯科医院」を目指し、開業当時から順調な経営を続けていたが、2002年に経営理念を大きく転換。「スタッフや取引先に愛される、ワクワク楽しい歯科医院」を理想としてクリニックの全面改装と運営の改革に取り組み、近隣の他府県からも通う患者がいるカリスマ歯科医院に。「患者が決めた!いい病院ランキング・近畿東海版」(オリコン・エンタテイメント刊)では歯科部門(ムシ歯)で№1の評価を得る。またベストセラーとなった「不機嫌な職場」(講談社刊)の中では、グーグル、サイバーエージェントと並び、協力し合う組織を実現している企業の一つとして紹介される。
KOJI YORITA
4年間の勤務医を経て、1991年に大阪府東大阪市でヨリタ歯科クリニックを開業。2002年にはワクワク楽しい歯科医院実践会を設立し、会長に就任。全国に"ワクワク楽しい歯科医院"を広げる活動に注力している。
※ワクワク楽しい歯科医院実践会 http://www.wakuwakufun.jp/ -
「患者に愛される医院」から「スタッフに愛される医院」へ
────寄田先生は、「ワクワク楽しい歯科医院」という従来の歯科医院にはないコンセプトを打ち出しておられます。これは開業当時から掲げておられたものなのですか。
いえ、開業した当時は、「患者さんに愛される地域一番の歯科医院」をつくりたいとは考えていましたが、理念うんぬんといったことは何も考えていませんでした(笑)。私は、人よりもほんの少し技術力とコミュニケーション力があったものですから、勤務医時代から患者さんの紹介が多く、開業してからもすぐに「この医院はいい」という評判がつきました。だから、技術力とコミュニケーション力があればそれでいいと錯覚してしまいました。
それが災いのもとでした。忙しくなって、当時3人いたスタッフ(衛生士)に目が行き届かなくなっていました。給料をもらっているのだから働くのが当たり前だという考えもあり、スタッフをケアしようという意識もなかった。今から考えれば、最低の経営者です。開業4カ月目のこと。ある日突然その3人が「今日で辞めます」と、本当に辞めてしまいました。
────ご本人たちからは、事前に何の相談もなかったのですか。
ありませんでした。午後の診療が終わったとき「話があります」といわれ、「何ですか」と聞いたら「今日で辞めたいです」と。「えっ!?」という感じです。スタッフ同士の仲が悪くなって人間関係にヒビが入っていたのですが、私がしっかり対応できていなかったのです。業績は順調でしたし、スタッフも仕事はちゃんとやってくれていたので、問題を感じていませんでした。
その翌日も診療の予約が40人ほど入っていました。私一人でどうすればいいんやという状況で、必死でスタッフが操作していた機器の説明書を読んだりして。でも、その日のうちに1人だけは、「申し訳ありませんでした」と泣きながら帰ってきてくれました。そんな辞め方は非常識だと、ご両親にも叱られたといってね。でも結局、それからの1週間、私と彼女の2人でクリニックを切り盛りしました。
────それは大変でしたね。
今思い出しても怖いですね。でもそのときの私は、悪いのは相手だと考えていました。仕事というのはお金のためにするものであって、大変なのは当たり前だと思っていました。私はまだ、気づいていなかったんですね。
ですから、その後も悶々とはしていましたが、10年近くは同じ状況が続きました。スタッフのほとんどは女性ですから、結婚や出産で退職していきます。3年もすれば、顔ぶれはだいたい変わります。だから極端にいえば、結婚するまでの3年間を気持ちよく働いてもらえればそれで十分だと。そんな考えでいたわけです。
それに、歯科業界というのは特殊な業界なんですね。ドクター、歯科衛生士、アシスタント...というヒエラルキーがあって、ドクターが一番偉いというトップダウンの世界。スタッフが定着しないことを先輩ドクターや大学の同級生に相談しても、「それが普通だ」と。「経営が安定していれば十分じゃないか」と。
────先生のお考えが変わったきっかけは、何だったのでしょう。
「患者さんに愛される歯科医院」という理念そのものが間違いだったと、はっきりと感じた出来事がありました。2000年の2月のことですが、私の母が亡くなりました。そのときに、私は自分の間違いに気づかされました。
────「患者に愛される」という理念は、間違いなのですか。
そう、間違いなんです。それまでの私は、患者さんの方ばかり向いていたわけです。けれども本当は、スタッフや取引先の人といった、医院に関わってくれている人たちに愛される歯科医院をつくらなくてはいけなかった。それが、やっとわかったんです。
私の母は、私の患者第一号になってくれた人です。仮歯を入れて歯ぐきの状態を良くして、約1年かけて全部治療していきました。といっても、私は大学を出たばかりの新人でしたから、技術的には未熟だったはずなのですが、「今までで最高の治療だった」と喜んでくれて。私が歯医者としてやっていける自信がついたのは、母のお陰です。
それなのに、母が亡くなったときに私は診療中で、最期を看取ることができませんでした。病気で容体が悪いのは知っていたのですが、患者さんに愛される医院をつくることを重視し、仕事を休む勇気がなかったのです。
そのとき、はっきりとわかりました。患者さんの方しか見ない医院は、やめようと。そして、大切な家族に何かがあったとき、いつでも駆けつけられる医院をつくろうと。それらから、今の理念や目指す方向性をつくりあげていきました。
スタッフが大反発する中、医院の改革を決行
────目指す方向性は、すぐに明確になったのでしょうか。
いえ、それから1年間くらいは、自己嫌悪に陥りながら自問自答する時期が続きました。どんな医院にしたいのか、すぐにはわからなかったのです。そのため、ビジネス本を読んだり一般企業のセミナーを受けたり、いろんなことをしました。そうする中で、イメージが固まってきました。仕事を心から楽しめて、最高に幸せだと思えるチームをつくろうと。その思いが、だんだんと強くなっていきました。
目指すことが明確になってからは、やるべきことをかなり具体的に細かく決めて、実行していきました。やるべきことが明確でしたから、実際の改革は、思いのほかスムーズに進みました。
────どのようなことから手をつけていかれたのですか。
自分たちが目指す3つの理想の歯科医院を掲げ、スタッフを集め私の思いを伝えました。すなわち、「患者様に感動を与え続ける」、「患者様・チームメンバー・取引先から感謝の言葉があふれる」、そして「ワクワク楽しい」。この3つを発表し、「1年後には医院の建物も全面改装して、愛と感動、夢と希望あふれる歯科医院を形にしたい」と話しました。しかし思いもよらない反応が返ってきました。そう、みんなに大反発されたんです(笑)。
────なぜですか。
「そんな医院はありえない」。私は夢を熱く語っていたつもりでしたが、実際は、「早く夢から覚めてください」といわれました。仮に夢のある医院をつくることができたとしても、「それで患者さんが増えて、忙しくなるのは私たちです。もう十分じゃないですか」と。
────非常に現実的なご反応ですね。スタッフの方々にそういわれて、ショックではありませんでしたか。
安定を求めたいというスタッフの気持ちもわかります。人間は皆そういうものですから。でも、ショックでしたね。結局、当時4、5人いたスタッフの半分は辞めていきました。しかし、このときは私はもう諦めませんでした。一人になっても、やりたいと思っていましたから。やりたいというよりは、やらなければならないという気持ちです。
「やる」と決めて、次にしたのは理念を明確化すること。いわなくてもわかってもらえることはありません。きちんと伝わるように、文字にすることが必要です。ですから、スタッフには私たちの信条をまとめた「Our Credo(アワ クレド)」というカードを、患者さん向けには「ココがポイント!あなたが望む歯科医院との出会いかた」という小冊子をつくりました。ホームページも立ち上げて、初診の患者さんに渡す冊子集「初診セット」もつくった。そうやって、一つひとつ形にしていきました。
信条を文字にすることは大切だが、小冊子を配るだけで浸透させることは難しい。ヨリタ歯科クリニックでは、スタッフが回り持ちで毎日1項目を朝礼で読み上げ、その項目についての自分の考えを述べる。毎日の地道な習慣が、クレドの徹底を支えている。
「Our Credo」はクリニックのサイトにも公開されている。
http://www.yorita.jp/job/credo/index.htmlこうして、どんな医院をつくりたいのかを発信していくと、それに共感するスタッフが私の周りに集まり出しました。もとからいたスタッフも半分は残ってくれました。ホームページを見て「こういう医院なら働きたい」と応募してきてくれた人もいました。スタッフの半分が去ったことで、新しく人を採用することができました。だから、うまくいったのでしょう。
クリニックの診療理念は、待合室に設置されたボードの一番うえにも明記されている。
────辞めるスタッフの方がいても妥協をせずに、理念を貫かれたことがよかったのですね。
そうです。スタッフ全員が納得する着地点を見つけようとしていたら、うまくいかなかったと思います。妥協せずついてきてくれる人たちとだけでやると決めたことが、よかったのだと思います。
イベントを企画して、「感動・感謝・ワクワク楽しい」を創出
次に私がしたのは、患者さんのコミュニティをつくり、イベントを企画することでした。対象は子どもたちです。「カムカムクラブ」という名称をつけました。3カ月に1回来院して歯の健康学習を行う、むし歯予防のクラブです。ニュースレターも発行し、年に2回「カムカムフェスタ」というイベントも行いました。
(写真左)カムカムクラブの対象は、4~12歳。待合室には、最近来院したメンバーのポラロイド写真が貼られている。(写真右)そのほかに、妊娠中~3歳を対象にした「ハイハイクラブ」、矯正診療を行う患者向けの「スマイルクラブ」も運営(写真はスマイルクラブ)。自分の子どもの写真があれば、うれしいもの。コミュニティの一員であることを患者が実感できる仕掛けの一例だ。
なぜ、このようなコミュニティを考えたかといいますと、「感動・感謝・ワクワク楽しい」ということを実現するには、子どもたちがたくさん来るクリニックにすることが一番だと思ったことが一つ。そしてもう一つ、コミュニティやイベントを運営すると、スタッフの中に強固なチームワークが生まれます。これが大事です。だから私は、スタッフを主役にするイベントを開催することに徹していきました。
そのときにこだわったのは、「感動」。例えば、もう恒例になりましたが、海の日には、毎年「いりこ」「しそわかめ」を待合室で販売しています。これはたまたま、ご実家が山口県の萩で乾物屋を営んでいる歯科衛生士さんがいまして、「いりこ」と「しそわかめ」をいただいたら美味しかったのです。待合室に置いてみたら、用意した100セットが1日半ですべて完売。でも、これだけなら「売れてすごいね」とは思っても、感動はありません。
ところがこれには続きがあります。その後すぐ「この夏あなたの思いが届く」という第二段のイベントを私は企画しました。乾物の売上金に医院からの協賛金をプラスして一人一万円をスタッフに渡し、「これで何か親孝行をしてください」という課題を出しました。スタッフの中には地方から出てきている人もいます。時期もちょうどお盆のころです。ご両親に何かプレゼントしてもいいし、食事をしてもいいし、とにかく何かしてくださいと。
宿題の感想文に、みんなすごくいいことをいっぱい書いてくれました。あまりに素晴らしいので、本人たちの了承を得て小冊子にして、待合室限定で患者さんにも見てもらいました。スタッフが綴る両親への思いが、自分と重なるんですね。読みながら、感動で涙ぐむ方がたくさんいらっしゃいました。このように小冊子をつくるだけでも、感動って与えられるのです。
────スタッフと患者さんとの関係も深まりすね。
そうです。日常の診療の中で「感動」を与えるのはなかなか難しいですが、イベントなら「感動」をつくることができます。患者さんに向けに「母の日プロジェクト」をやったときもそうでした。
母の日の何日か前に来院したカムカムクラブの子どもたちに、歯のクリーニングが終わった後で、お母さんへの手紙を書いてもらうというものです。お母さんは待合室で待っていますからそれを知りません。サプライズです。シワにならないようにラミネート加工して、カーネーションも添えて。記念にポラロイドで親子の写真も撮って、それもプレゼントしました。
そうしたら、お母さんたちがすごく感動してくれました。子どもも小学校高学年くらいになると、お母さんへの手紙なんて普通は書かないから、感動して涙を流すお母さんもいました。
こういう小さな成功体験を、手を変え品を変え、たくさん企画していきます。私は小冊子だけでも50冊以上書きましたし、ポスターもDVDもつくりました。それも「人の真似はしない」「歯科医院では絶対にやらないようなことをする」と決めています。クオリティとオリジナリティに徹底的にこだわりました。
スタッフに成長の場を与えることが、経営者の仕事
────そういった企画は、どのようにして思いつかれるのですか。
発想を変えれば、何でもできます。歯医者だからこれはしてはいけないといったことはありません。
────お手本にされている企業などはありますか。
もちろんあります。私が徹底的にこだわっているのは、患者さんのリピート率をあげること。リピート率が日本一の施設はどこかご存知ですか?
────ディズニーランド、でしょうか。
そうです。私の中では、ディズニーランドがライバルです。といっても、ディズニーランドとここでは規模が違いますが、基本は変わらないと思います。ディズニーランドは、「非日常」です。歯医者も実は、「非日常」なんです。普通は「怖い非日常」なんですが、それを私は、「夢と魔法の王国」と同じように、「ワクワク楽しい非日常」に変えたいのです。
それともう一つ、ディズニーランドは「ここで働きたい」と憧れを持たれる場所でもあります。茶髪を黒く染めてでもディズニーランドで働きたいという若い人が、たくさんいます。私も、「この医院で働いたことで、自分を変えることができました」といってもらえるような組織をつくりたい。その意味でも、私が目指していることはディズニーランドと一緒だと思っています。
こういった「ヨリタワールド」をつくりあげるため、専任の職種も設けています。「感動クリエーター(※)」という職種です。この人たちは受付にも診療室にもいません。もちろん電話を取ることもありません。ヨリタ歯科ブランドを守るためいろいろな企画や制作物の製作に専念してもらっています。
────その職種は、いつ頃導入されたのですか。
もう4、5年になります。手の空いている人にイベントをやってもらおうにも、毎日130人以上の患者さんが来院しますから、暇な人は誰もいません。でも、「暇なときはやるけれども、忙しくなったらできない」ということでは、ブランドをつくることはできません。だから、忙しいかどうかに関わらず、きちんとしたクオリティの企画を考えて実行できるスタッフが必要なのです。
────しかし、専任のスタッフを置くとそれだけ人件費がかかります。
それは仕方がないでしょう。コストを削減することだけを考えれば、そんなスタッフはいりませんし、イベントをする必要もありません。さらに、そういったことをしないのなら、ヨリタ歯科クリニックが存在する意味もありません。
結局、一番大切なのは、この医院で働いたことで人生が変わった、夢が持てたとスタッフが思えるかどうかです。仕事を通じて、どれだけ人を成長させられるか。そのための場を提供するのが、私たち経営者の仕事だと思っています。
もちろん私たちは技術集団ですから、歯科技術の勉強会もしてスキルアップにも努めています。それだけではなくて、ここで働けたから、前向きに生きられるようになったと言って頂けたら最高に幸せです。
イベントやさまざまな企画を打ち上げ花火で終わらせずに、「感動、感謝、笑顔が溢れる」という文化として定着させることができたのはなぜか。後編では、奇抜なアイデアだけに頼らない、綿密な経営術について伺います。
*続きは後編でどうぞ。
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