OBT 人財マガジン
2007.11.07 : VOL34 UPDATED
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黒川温泉観光旅館協同組合
代表理事 後藤 健吾さん
地域を再生させた、「本物」にこだわる改革とは(後編)
年を追うごとに時代のスピードは速くなり、企業にもますますのスピード経営が求められています。迅速な事業展開、迅速な組織変革......。しかし一方で、効率を重視するあまりに問題の本質を見失う弊害が指摘され、地に足をつけた経営が見直される機運も高まってきました。時間をかけて熟成させるからこそ生まれる競争力の強さとは。本当の変革とは。黒川温泉観光旅館協同組合の代表理事、後藤健吾さんに伺った後編をお伝えします。
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黒川温泉 (http://www.kurokawaonsen.or.jp/)
熊本県阿蘇郡にある温泉で、温泉地としての歴史は江戸時代に遡る。もともとは山あいのひなびた温泉地であったが、すべての旅館に露天風呂を設け、街全体に雑木を植えて「日本のふるさと」を再現。地域の旅館の露天風呂を3つまで自由に巡れる「入湯手形」を発行するなど独自の改革を行い、年間に100万人以上が訪れる人気温泉地となる。旅行雑誌「じゃらん九州発」が行う「行ってよかった観光地」調査では、1998年から2003年まで6年連続で1位を獲得する。
KENGO GOTO
1954年生まれ。76年、父が山河旅館開業。同年、家業を手伝うために帰郷。93年に山河旅館、代表取締役に就任、97年に黒川温泉観光旅館協同組合理事に就任。2006年、黒川温泉観光旅館協同組合代表理事に就任、現在に至る。
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黒川温泉の価値を守るために、客数をあえて制限する。
────昭和61年から発行されている入湯手形(※)は、毎年10万枚以上が売れるヒット商品となりましたが、その一方で、あえて客数を制限する施策もとっておられると伺っています。
※1枚1200円で3つの旅館の露天風呂を楽しめる、共通入浴券。手形に貼られたシールを旅館で渡せば、露天風呂に入場できる。日帰り客も利用可。小国杉の間伐材を利用した直径10センチほどの手形は、黒川温泉名物となっている。
手形の売り上げ推移を見ると明らかなんですが、平成12年に初めて10万枚を超えて、平成13年は13万枚という伸び方だったのが、平成14年と15年は21万枚。ちょっと異常な伸びなんですね。何があったのかというと、旅行会社の企画で団体のお客さんが『湯布院の散策と黒川温泉の露天風呂巡り』などと銘打って、観光バスでドーンと押し寄せてこられたわけです。大型のバスが2台も3台も止まって、お客さんが40人、50人とドーっと入ってくる。そうすると、もともと小さな旅館ばかりですから、「脱衣場が狭い」「洗い場が足りない」と苦情が出るんですね。
しかも今度は、泊まりのお客さんが「ゆっくりしに来たのに、何だこの喧噪は」となって、トラブルが起き始めたわけです。「ここは一杯ですから、こちらの露天はいかがでしょうか」といったフロントの対応で何とかしていこうと話してるんですが、添乗員さんが「手形50枚」などと一度に買われてお客さんに配ったりされると、対応しきれなくなります。黒川温泉ではお客さんにゆっくりしていただきたい。そこで、添乗員さんによるまとめ買いをお断りする文面を旅行会社さんに出したんです。団体ツアーのお客さんでも個人で買われる分には構いませんが、まとめ買いはご遠慮くださいと。
────入湯手形の売り上げは、平成15年の21万枚をピークに平成16年には15万枚弱に減っておられます。『まとめ買い禁止』の効果なのでしょうか。
まとめ買いをお断りしたことで、旅行会社さんの誤解もあったと思うんですね。「黒川はあぐらをかいて、おごっている」と。平成15年度に、黒川の南小国町のホテルがハンセン病患者の方の宿泊を拒否するという問題もありました。そのホテルは組合から除名して、その後に廃業しましたが、そういったこともあった。
考えてみれば、旅行会社さんの誤解というだけじゃなくて、実際におごりが出てきたという風にも思うんですね。手形を始めたときは、「手形だけのお客さまもありがたい」という気持ちで一生懸命対応してきたんですけども、泊まりのお客さんが増えてくると、お風呂だけのお客さんをぞんざいに扱ったりとか。そういう苦情も出てくるようになってきたんですよ。
静寂があってこそ、「日本のふるさと」を再現した黒川温泉の魅力が活きる。
「日帰りでも泊まりでも、手形があればご自由にお風呂に入っていただけます」ということがお客さまに支持されて、ここまできたわけですよね。けれどもそのことで、受け入れきれないという新たな問題が起っている。矛盾をはらんでるんですね。ですから今後は、日帰りのお客さまは16時ぐらいまでで、後は泊まりのお客さまというように時間帯を分けようかとか、そういった議論をしているところなんですが、なかなかこれも難しくてですね。
────成功したことによる新たな問題が発生するのですね。
そうなんですね。難しいです。
成功に慢心せず原点に立ち戻り、ビジョンを作成する。
────『黒川温泉一旅館(※)』というビジョンは、どのようにして生まれたものなのですか。
※道は廊下、各旅館は部屋と考え、黒川温泉の全体を『一つの旅館』と捉える黒川温泉の改革ビジョン。
入湯手形を始めたのが、昭和61年ですね。初年度の発行が6000枚だったのが、2年目には約2万枚、5年目には約5万枚と、どんどん伸びてきたわけです。当然、お客さんも増えてきた。ありがたいけど、不安なわけですよ。「黒川は、このままいけるんだろうか」という不安が、やっぱりあったわけですね。
ちょうどその頃に、ビジョン作りに補助金が出るという話があってですね、その補助金をいただいて黒川のビジョンを作成しようという話になったわけです。もう1回原点に戻って、自分たちの考えを固めたいということですね。県の計画整備課長と知り合いになっていたもんですから「ビジョンを作りたい」と相談に行きましたら、ブレーンといいますか、先生方を紹介していただいたわけです。「やはりこういうのは、自分たちの考えだけではできない。生物学の先生とか、建築学の先生とか、素晴しい人がいるから紹介するよ」と。
そこで1年間、その先生方に入っていただいて討議をして、黒川のビジョン作成をしたわけです。そのときに一人の先生が、「黒川温泉は共同体宣言をしたんだ」といわれたんですね。「旅館のものを黒川という共同体に提供して、それをみんなで分かち合おうとしたのが入湯手形だよ」と。もう一人の建築学の先生は、「黒川温泉一旅館だよ」といわれる。「旅館は部屋で道は廊下、地域全体が一つの旅館だ」と。
────『黒川温泉一旅館』という言葉の印象は、いかがでしたか。
「ああ、そうたい」と思いましたね。それまでは、『黒川温泉離れ屋点在構想』とか、そういう言葉を自分たちで作っていたんですよ。でも何か堅いなと思っていたときに、先生方からそういう風にいっていただいて。自分たちでやるだけじゃなくて、外の目で黒川温泉を見ていただいて、「黒川は、『晴れと褻(け)』でいえば『褻(け)』の部分でやっていくべきだ」というアドバイスを受けてですね。『黒川温泉一旅館』という言葉をいただいたことで、みながより明確な意識を持てるようになったと思います。
────黒川温泉は入湯手形が有名ですが、これも『黒川温泉一旅館』という発想につながりますね。
そうですね。入湯手形には、実利もありました。手形の利益でいろいろな事業ができるわけです。平成19年度も組合の収入として約2億4000万円を見込んでいますが、その中で『売上』は1億9450万円。そのうちの8割から9割は手形の売り上げなんです。10万枚売れば、利益が3800万円ぐらいになります。平成18年度は15万枚売れましたから、5000万円以上の利益が出ているわけです。
※1枚1200円という入場手形の売り上げは、次の仕組みで組合の収益となる。「制作費は250円で、各旅館が回収したシール1枚につき、組合は250円を旅館に払い戻す仕組み。仮に客がシール3枚を使い切ったとしても、(制作費250円)+(旅館への払い戻し250円×3)=1000円で、1200円―1000円=200円が組合のふところに入る。(中略)実際にはシール3枚を使い切る人は少ないというから、組合の利益はそのぶん膨らむわけだ(「黒川のドン」より)」
その利益があるもんですから、事務職員も5人いて外回りのスタッフも雇えるんですね。組合の事業費も平成19年度は3300万円を組み、これを事務所と広告部、環境部、研修部、改善部で使ってるんです。あがった利益を、黒川温泉に投資していこうという考えで最初からやってきましたから、手形のお陰で黒川はいろいろな取り組みができるわけなんですね。中でも特に力を入れているのが景観です。
例外が一つでもあれば、全体が崩れる。
────さらに副次的な効果として、黒川全体の連帯感と競争意識も芽生えたのですね。
一橋大学大学院教授の野中郁次郎さんという方が、『イノベーションの本質』(日経BP社)という著書の中で黒川温泉を取り上げているんですが、その中で、『共創』と『競創』の2つの論理で黒川は歩んできたっていうことが書いてあって、「あ、なるほどな」と思いましてですね。共に創りながら、共に競いあう。そういうことかなという気がします。
────『競創』という意味では、『黒川温泉一旅館』というビジョンを掲げながらも、「独自のこともしたい」というジレンマが経営者の方々の中に生まれるように思います。
それはあります。やはり、経営者によって考え方は違うんですね。私とか哲也さん(※)はどちらかというと、作為性がない素朴さで「言葉にはできないけれども何かがいい」という雰囲気を作っていこうとするわけですよ。しかし湯布院なんかを見に行くと、洋風でおしゃれな旅館があったりしますね。他の経営者の中には、そういうものを取り入れようとする人もいるわけです。外観は田舎風な雰囲気でというのは、みなが統一してやっていることです。ですから、旅館の中で競うということですね。
※旅館『新明館』の経営者であり、黒川温泉の改革の旗手。詳細は前編参照。
────外観は基準があるのですか。
※黒川温泉の旅館はみな、外壁は自然土を思わせる茶色の土壁や黒が基調の木の板で統一されている。
これまでは、『申し合わせ』といったことできたんですが、平成14年度からは、自治体主体で行っている街並み環境整備事業という事業の一環として住民協定を結んでいるんです。屋根の勾配はこのくらいにしましょう、家を建てるときは2階までにしましょう、壁の色はこうしましょうとか、いろいろと協定を結んでやっています。
当初は、集会所の建設や橋の架け替えがあったときに協定を結ぼうということになって組合主導でやってきたのが、住民全体が参加して街作りをしようという動きになってきたんですね。また、グッドデザイン賞という賞がありますね、その中に環境土木デザイン部門っていうのがあるとある方に勧めていただいて、今年は自治体と組合が応募しているんですが、そんなこともやっていますね。
────橋の赤い欄干もこげ茶色に塗りかえられたそうですね。
街並み整備事業の一環として、黒川の中心街に『丸鈴橋』という橋ができたんです。それを2003年に町が新しく造り直したのですが、そのときに欄干が赤く塗られてしまったんですね。
橋の架け替えにあたっては、大学の教授といったアドバイザーの先生方とも議論を積み上げて、それで赤にしようということで決まったことではあります。けれども、橋ができて実際に見たら、ちょっとけばけばしいなと思ったんですね。アドバイザーの先生としては、「緑がいっぱいの温泉街に色を添える意味で赤もいいんじゃないか。赤い橋が黒川にあったという思い出作りにもなるから」ということだったんですが、ちょっとこれは黒川に合わんなと、われわれは思ったわけですね。
黒川温泉では、消火栓やカーブミラー、ガードレールといった公共物まで、徹底して黒く塗られている。
そして、半年ぐらいかけてみんなでシミュレーションをやり直して、こげ茶色に塗り直したんです。組合で予算を出して塗ったんですけども、今になってまた「赤が良かった」というような意見もあるわけですよ。「アクセントが欲しい」「やっぱり派手さがほしい」という意見も出てくるわけですね。ついには、「色の好みは感覚の問題だ」という。そりゃあ、感覚の問題といってしまえばそれまでですけど、どっちかに選ばにゃいかんわけですね。僕からいわせると、赤い色は景色を遮断するわけです。橋が自己主張するといいますかね。本当にいい風景というのは、自然とつながった感じがするものです。
────「昔からこうだったんだろうな」と感じさせる。それがいいですね。
町に黙って道路脇のアスファルトをはがしたこともありますよ(笑)。何もいわれんかったですけども、最初は町も快く思わんかったでしょうね。
黒川温泉の価値を、次の世代にどう継承していくか。
しかし、平成13年から15年ごろをピークに全体の売上が少し落ちてきているんですね。すると、何か派手なものが欲しいという考え方が出てくるわけです。モノトーンの中に、ポンと何か目立つものがあったらいいんじゃないかと。しかもどれだけ議論しても、「感覚の問題だ」となってくるわけですよ。
先ほど、街並み環境整備事業の話をしましたけれども、黒川の風景というのは、田んぼや農家の倉や馬小屋といった、そういうものも含めて成り立っているんです。ですからここにきて、旅館の景観だけでなく、そういった素朴な風景がものすごく景観に貢献してるということが見直され始めていましてですね。ここはどうしても残したいという倉や馬小屋などと決めて、保存しようという動きが出ているんです。改修する場合には、街並み環境整備事業が1/3、町が1/3を負担しましてですね、残りの個人が負担する分の半分を組合が出して。残すところはぜひ残していこうというようなことを、まだ決まってはないんですが、話をしているんですね。
黒川の外から新しい店が進出してくることもあります。そういうところには、こちらの意向を聞いてもらう努力をしてるんですけども、最近では、景観法に基づいて必ず街並み環境整備委員会に相談をして店舗を開設するという形にして、町から権威をもらわないといかん状態になっているわけです。
────黒川温泉の景観ができあがった後も、守っていくためには議論を続けていくことが必要なんですね。
いや、そうなんですよ。建物も改装すると、「昔の黒川じゃなくなった」という批判も出てくるわけです。「昔は何となく素朴さがあったけども、最近は何か派手になってきたね」という意見もあるわけです。
その辺が一番の悩みどころですよね。若い人たちは新しいものにしたがるけど、お客さんが今まで黒川に来てくれていたのは、ひなびた良さがあったから。それがなくなると、「別に黒川じゃなくてもいいじゃないと」なっちゃうんだけど、若い人にとっては今のままでは面白くない、といったね。
────若い方たちには若い方たちのお考えがあるのですね。
そうですね。ですから、若い人にいかに黒川温泉を継承していくかが、今の課題になってますね。ちょうど私らの子どもたちの年代が、Uターンして黒川に帰ってきているんです。私たちは、運良く、30代から組合の中枢的なことに関わることができた。今度は我々が継承していく側になったんですけども、いかに伝えるかが課題になってきたんですね。イベントとか祭りなどは、今の若い連中が中心になってやってるんですよ。しかし景観をどうしていくかということを、いかに若い人に繋いでいくかというのは、今の課題ですね。
組合もですね、環境部、広告部、研修部と部があるんですけども、副部長には30代を入れてるんですね。部長と副部長がコンビになってやってほしいという思いがあるんですよ。けれども、なかなかうまくいってない面もありますね。
────その昔に雑木林を植え始めたときにも、今と同じようなこと世代間の確執が起きていました。
そうです、そうです。「何でこんな雑木を植えるか」という話が多かったですね。
────時代も変わって温泉のご業績が良くなられても、同じ問題が起こるのですね。
業績という意味でも、今は大事なときなんです。宿泊客数も平成14年の約40万人をピークに、平成17年は33万人にまで落ちているんです。平成18年は34万人に少し持ち直しましたが、そういう意味でも「次に何をしたらいいか」という気持ちに、みんななってくるわけですね。
すると、「宣伝を打たないといかん」という話が出てくるわけですね。「環境部の予算を削ってでも、1000万円ぐらいかけてコマーシャルを打って」などという話が、理事からもあがってくるわけです。しかし黒川は、派手に宣伝するということではなくて、質の充実を図るために環境を整えたり従業員の研修をしたり、そういうことをやってきた。だから、「ウチらが自信を持って提供できるものをちゃんとしていくことが大事だ」ということを、今、話しているところなんですね。
────組合に『研修部』がありますが、これは各旅館の従業員教育も担当されているのですか。
そうです。接客や電話応対のコンテストをしたり、コンサルタントの先生を招いて講習を受けたりですね。そういうことをやっています。
────そういった教育研修は、他の温泉の旅館組合でもされていることなのでしょうか。
どうでしょうか。そういうのはなんじゃないでしょうか。予算がいりますからね。黒川は、やはり手形の収益があるからできるんですね。各旅館の従業員の勤続表彰なんかもやってるんです。3年表彰、5年表彰、10年表彰と、永年勤続表彰みたいなものですね。
────従業員教育も各旅館に任せるのではなく、『黒川温泉一旅館』として全体で取り組んでいらっしゃるのですね。
そういうことになりますかね。黒川温泉が有名になってきて、お客さんの要求が高まっているのも事実なんです。宿泊料もそれなりに高くなってくると、「これだけの料金を取るのにサービスもできないのか」という風になってくるんです。
────そういった一連の危機感は、黒川全体で共有されているのでしょうか。
そこが難しいところなんです。危機感を共有したらしたで、みんな、何か新しいことをしたくなるんですよね。「どんどん宣伝をしようじゃないか」となるわけですよね。でも、的確なことをやらないことには、無駄になる。やるよりもやらないほうが大事なことがいっぱいあるような気がするんですね。
だからですね、今は一つの、黒川にとってのターニングポイントなんじゃないかなという気がしますね。いろいろと議論をしても、最後には一致団結してみんなでがんばるのが黒川温泉のいいところです。ここでもう1回ふんばって、確かなものにしないといかんなという時期なんですよね。
────ありがとうございました。
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