OBT 人財マガジン
2007.09.12 : VOL30 UPDATED
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寿がきや食品株式会社
代表取締役社長 遠矢康太郎さん
設立から45年。老舗の食品メーカーが挑む改革とは
大手保険会社による保険金不払い問題やテレビ番組のねつ造事件などの不祥事が後を絶たず、蟻の一穴から堤防が崩れるように盤石と目されたブランドが崩壊する様が、あまりにも多く見受けられます。企業の歴史を守り、消費者から信頼される企業であり続けるためにはどうすればいいのか。創業61年、設立から45年の歴史を持つ寿がきや食品の代表取締役社長、遠矢康太郎さんに伺いました。
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寿がきや食品株式会社 (http://www.sugakiya.co.jp/)
1946年、創業者の菅木周一氏が名古屋市に甘党とラーメンの店「寿がきや」を開店。58年に寿がきや(現スガキコシステムズ)、63年に寿がきや食品をそれぞれ設立。スガキコシステムズは外食事業、寿がきや食品は即席めん、スープの製造・販売を手がける。60年を超える歴史を持つ「寿がきや」ブランドの人気の秘密は、60年来のレシピを守り続ける伝統のスープ。「名古屋人なら必ず食べたことがある」といわれる高い認知率を誇る。
KOTARO TOOYA
1961年生まれ。84年に全日空輸に入社。95年コンビニチェーン向けの調理麺ベンダーであるニッセー(現ニッセーデリカ)に移り、2000年に代表取締役社長に就任。売上高が200億円に迫る企業に成長させる。その後03年に現社に入社。04年1月に上席執行役員専務、同年5月に代表取締役社長に就任。
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創業60年目にして3工場を一カ所に集約。
────寿がきや食品の代表取締役社長に就任されて3年半が経たれました。本日は、この間のお取り組みについて伺えればと思っております。
スガキコグループには、外食店をチェーン展開するスガキコシステムズと加工食品メーカーである寿がきや食品とがあり、スガキコシステムズは創業から61年、寿がきや食品は設立から45年という歴史を持っています。この61年、45年という年月には、創業者(菅木周一氏)や現オーナー(代表取締役会長 菅木伸一氏)を始めとする先輩たちが、名古屋に根付いて信頼を築き、愛情を込めて作ったレシピを維持してこられた歴史がある。そして今もなお、スガキコグループの商品が地元に愛されている影には、グループの社員一人ひとりの努力があります。
一方で、食品業界を取り巻く環境は、この数年で大きく変化しました。ここにきて、不祥事を起こして営業停止や廃業に追い込まれる企業が後を絶ちません。企業のコンプライアンスがこれほど厳しくわれる環境に突然追い込まれるなんてことは、誰も想像していなかったのではないでしょうか。
────その中で御社は、グループ内に3カ所あった工場を1つに統合されました。
そうです。食品業界にそういった風が吹くか吹かないかというときに、工場を統合したことは正解でした。その目的の一つは、中小のメーカーとしてグループ内のシナジー効果を最大限に活かすため。そしてもう一つは、お客さまの口に入るものを『正直に作る』ことを徹底するため。もちろん、創業以来、正直なモノ作りを貫いて今があるわけですが、トレーサビリティのシステム構築など時代の要請に応える必要があったということです。
そもそも、食品会社の経営の理念は『正直』であること、お客さまの口に入るものを、嘘をつかないでご提供する。これにつきます。当たり前のつまらないことに思えるかもしれませんが、実はその当たり前のことに一番お金がかかるんですね。工場の統合にも大規模な投資が必要でした。ですから、そのことを理解して、投資を決裁したオーナーの決断があったからこそなしえた事業だったといえます。
工場の統合にあたっては、オーナーが全社員の前で直接話し、会社が進む方向性を示してもらう場も設けました。中には反対する社員もいましたが、大事なのは向かう方向が一緒だということです。船頭が方向を決めたら、それは外れてはいけない。オーナー自らがスガキコグループの共通理念を掲げ、全社員に対して愛情を持って方向性を示せば、60年を超える歴史を持つ船も動き出す。今回の工場統合では、そのことを実感しましたね。
基本を大切にすることが企業の永続につながる。
────では、工場の統合を進める過程では、社員の方々の気持ちが一丸となる手ごたえも感じられたのでしょうか。
そうですね。ただし、やはり中には同意できない人もいます。工場が3カ所にあったということは、その地域で働いた人たちがいたということ。それが、いくら工場新設のためとはいえ、生活の糧にしていた場所がなくなってしまうわけですから、私としても苦渋の決断を迫られた面も多少はありました。
しかし、だからといって、現状を見てみないふりはできない。50年以上も操業していれば、 冷蔵や空調の問題など、製造ラインにも見直すべきことがあるわけです。そのときにすべてに優先すべきは、『お客さまに安心なものを届ける』という基本であって、ほかの問題は基本をクリアしてからの話です。ですから苦労をかけた人たちもいましたが、極論をいえばこの企業が潰れてしまっては何にもならない。食品業界を取り巻く環境はそこまで来ているわけです。消費者側には、「この商品は安心だろうか」と疑っていることが沢山あるわけでしょう。
一度信用を失ったら、取り戻すのに何年もかかる。だからこそ、『正直』なモノ作りが大切なのです。例えば、「この材料は何月何日にどこから購入して、製造ラインのどこに納入されたものをいつ開封して、どのように保存して...」といったことを全部記録する。そして、万が一にも原材料に何か問題があるとなれば履歴をポンッと叩いて、生産工程のどの段階までの商品を回収すべきかが瞬時に分かるとかね。このように情報を川下から川上にさかのぼって遡及することを『トレーシング』というわけですが、そういうことができる体制にするには工場を変えなくてはいけないわけです。
それはもう大変なことではあるんですが、社内にその必要性を根気よく説明して、口説く。これしかないんですね。3年後、5年後、10年後に生き残るための生産、研究、開発、営業拠点作りのためにも、新しい本社工場は必要でした。ですから、寿がきやの生産環境はその辺のメーカーには負けませんよ。
新工場設立は社内のプロジェクトに任せる。
────社内には「そこまでしなくてもよいのではないか」といったご意見はなかったのでしょうか。
私は聞こえなくなりますからね、そういう意見は(笑)。そういった声を聞いてしまってはダメなんです。妥協は妥協を呼びます。そうしたら、初志貫徹にならないでしょう。『正直なモノ作り』のための環境は、何があっても初志貫徹する。それ以外については、多少は曲げなくてはいけないこともありましたが、モノ作りのクオリティを保つためには情けはありません。
一番苦しいのは現場の人たちなんですね。日勤だけだった工場を、早朝からの稼動に操業を拡張しましたし、将来的には24時間操業も考えています。コンビニエンストアのチェーンに納入するベンダーなどでは24時間、365日の操業が当たり前ですが、そうではない環境から24時間体制に変えるのは大変なこと。ですが、「それがきついとか何とかいっていたら、どんどん置いていかれるよ」と社内には言っているんです。それはみんなも話せば分かるから、「それならば、自分たちで企画しよう」と。そんなことから、新工場作りは始まったんです。
────新工場の建設には外部のコンサルタントを起用せず、工場長を始めとする社内のプロジェクトに任せられたと伺っています。
そうです。外部のプロを呼んできたって、彼らの頭の中には成功事例しかないでしょう。成功事例を持っている人というのは、それしか正しいと思わないわけです。けれどもそうではなくて、寿がきやには寿がきや独自のやり方があってしかるべき。食品メーカーであり外食チェーンであり、液体スープも粉末スープも作っている。この業態に対する改善策をパッケージとして持っている人がいるなら構いませんが、たいていは一般的な能書きだけですから。それよりも、寿がきやの生え抜きの人たちが「自分たちにあったレギュレーションはこうだ」というものを作れば、それが最高のものなんです。そのたたき台があってから、外部の方々と詳細設計に入っていけばいい訳です。
────社内に任せることのリスクはなかったのでしょうか。
それはもちろん考えました。最悪のケースでいえば工場が建たないということもあったでしょうし、そこまでいかなくても製造ラインに欠陥がある、ラインがうまく稼動しない、不良品が出るかもしれない・・・。不安要素はいくらでも出てきます。けれどもリスクはあらかじめ手を打つことができるわけで、それよりも得るメリットのほうが大きいわけです。現場や現状、現実に即した工場を作ることができますし、何よりも『自分たちで作った工場』です。現場の連帯感は間違いなく強化されますし、工場の新設を経験することで個人のスキルも磨かれる。それが業務推進力の強化につながり、企業としての強さにもつながっていくわけです。
工場が形になるまでは、少し我慢する時間は必要でしたが、冒頭にお話しした通り、寿がきやは地元に愛されてきた会社です。だから、新工場も寿がきやの生え抜きのメンバーで作る。そういうやり方があってもいいと思うんですね。
────プロジェクトのメンバーは、どのように選抜されたのですか。
関係するすべての部署から、中堅社員を選抜しました。いわば、今後会社の中心を担っていく人物。当初は、方向性が分からないといった戸惑いがありましたが、それを乗り越えたことが「やればできる」という彼らの自信になり、「会社の中に壁はない」「できないことはない」という社風ができた。これは企業としても大きなステップアップにつながりました。
実際に効果も出ていまして、食品メーカーにとっては原価率を1ポイント下げるだけでも大変なことなのですが、それが昨年から今年にかけて1ポイントどころではない原価率の削減に成功しているんです。
────原価率を下げる秘けつが何かあったのでしょうか。
いえ、トヨタ方式ではないですが、日々の一つひとつの工程を、自分たちで見直していったということです。5Sを基本に、アイデアをみんなで出し合い、それを効率につなげる努力を日々重ねるということです。そういう努力を会社は評価しなくてはならないし、そういう会社にしないと、作る側はちっとも面白くない。そういった変化が徐々に起こってくると、現場も面白くなってくると思うんですね。
商品開発体制を一新し、女性中心で開発した新商品も誕生。
────商品開発も、営業や製造スタッフが加わる体制に変えられたと伺っています。
当社に来たときに一番印象的だったのは、営業が「売ってきてやる」という言葉でした。そして、開発は「作ってやる」という。どちらも、「何様なんだ」ということですよ。そして、その横で品質管理がいいたいこといえずにいる。そこでまず、品質管理を社長直轄にしました。今では、当社の品質管理は生産ラインに何か問題を発見した場合は、社長である私の許可なくラインを止めることができます。品質管理の担当者が、本部長よりも役員よりも偉いわけです。一般的に品質管理というのは利益を生まない部署ですから、社内のステータスは高くありませんね。けれどもそれを社長と同等に格上げして自信を持たせ、逆にいえば勉強もさせた。そういう意味では、苦労したナンバーワンはまず品質管理なわけです。
かたや営業は「売ってきてやる」と、一番偉いつもりでいる。けれども、例えば商品に何かクレームが入れば、いちいち持ち帰って工場にレポートを作成させて、それをまた客先に説明に行ったりしているわけです。生産工程の知識もなくて、どうやってモノが売れるんだということですよね。ですから、営業は全員、工場で研修を受けさせました。そうすると「売ってきてやる」などとはいわなくなりますし、開発は開発で、売る立場になった開発をするようになります。コンセプトを明確にして、どういう風に売ってほしいかというシナリオを持って開発すれば、営業も売りやすくなるわけです。
実はこれは私の父の教えでもあって、よくいわれたのが「人に"〜してやった"というぐらいなら、最初からやるな」ということ。「そういうことをいう奴は、もともと大した奴じゃない」と。そうかもしれないなと思いますね。
────初の試みとして、女性が中心になった商品開発にも挑戦されたと伺っています。
『SOUPS(スープス:スープタイプのカップ麺)』ですね。消費者には男性だけでなく女性もいます。男性中心の開発から脱して、買い手の発想で「自分が買いたい」と思う新規商材を作りたい。その考えから試みたことでした。
────『SOUPS』のプロジェクトに選ばれた女性の皆さんの反応はいかがでしたか?
企画から開発、発売まで任せましたから、やりがいは感じつつも不安も大きかったようです。そこで男性社員のオブザーバーもつけたのですが、徐々にオブザーバーの存在意義がなくなるほどの力を発揮し始め、途中からは女性メンバーだけの活動になっていきました。
プロジェクトが発足して最初にメンバーで決めたスローガンは「できないと言わない!」。当初は、作り手主導の旧メンバーと「お客さまが欲しいモノを作りたい」という女性メンバーとギャップを埋めるのが大変でしたが、このスローガンを最後まで貫くことができたので、今までにない商材『SOUPS』が完成したんです。これによって性別も年齢も関係ないという社風が生まれ、「次回作は何?」と商品への関心も高まった。何よりも「チャレンジできるんだ」という前向きな気持ちが社内に生まれましたね。
▼商品開発の新体制で生まれた、『「弾」えび入りかき揚げうどん』と『「吟」えび入りかき揚げそば』
社員一人ひとりが本物の美味しさを追及する姿勢から生まれた商品。本当に美味しいと思えるものをつくるため、うどんの本場四国に足を運び、研究・開発。かき揚げは、さくさく感を実現するため、機械ではなく手作りで一つずつ揚げている。発売3年目を迎えて、こしに加え、つるみなども加わったより美味しい麺にリニューアル。2007年9月10日より全国(沖縄を除く)で発売中。
社員を信じて任せることで組織は強くなる。
────工場新設を決定された当時、現場の方々は会社の将来に対する危機感をどの程度に感じておられたのでしょうか。
最初は危機感はあまりなかったと思いますよ。けれども、いいタイミングで某大手食品メーカーが営業停止になり、廃業に追い込まれるメーカーも出てきて...と、次々と始まったわけです。
────しかし、世の中の動きを"わが事"に置き換えられない企業も多くあります。
そう。「うちは大丈夫だろう」と思いがちですね。ですからそれはもう、耳にタコができるぐらいに社内にいい続けました。そうするうちに、みんな分かってくれましたしね。工場新設には副次効果もあって、若い人たちに主体性が出てきたのもよかったことの一つ。新しいシステムや機械が入ると、年輩者はついて来られなくなってくるでしょう(笑)。まあ、意地でも分かったフリをするわけですが(笑)、そうすると若い連中とベテラン陣とがいい連携になってきて、若い社員が得意なことを伸ばせる環境になっていくわけですよ。工場の会議で数字を発表するのは40代、50代の社員ですが、事例研究や5Sの発表をするのは、今では20代の社員。これは、面白いですよ。
────そういった変化は、社長から何か仕掛けをされたことなのですか。
いやいや、私一人ではまったく何もできないわけで、全部私が仕掛けたのでは、会社は変わりません。本部長や部長クラスへ権限を分散し、各部門が精一杯動けるような環境を作る。これだけです。その過程では多少のトラブルは付き物ですから、対外的なクレームにつながる場合は私が行って謝る。社長は謝るのが仕事ですから(笑)。朝礼や会議も最初は私がしゃべりっぱなしでしたが、今では私が発言することもかなり減りました。
────口を出したくなることはありませんか。
社員の間に自主性が出てきましたからね。朝礼の手順もすべて30代の課長たちが組んでいますし。だいたい、つまらないじゃないですか。社長がどこかから仕入れてきたような話をしても(笑)。ですから、今は本部長や部長クラスがそれぞれ時間を持って現状を話すようにして、私の話はそれを受けて少しだけというようにしているんです。
そもそも社長なんていうのは、いなくても会社が回らなくてはしょうがないでしょう。オーナーが示した方向に従って、肝心なときに決断するのは社長かもしれないけど、例えば社長が何かで入院したら会社が潰れてしまうのでは困るわけです。
「正解」は誰かが与えてくれるものではない。
────また、社長は社員の方々の名前を覚えておられるだけでなく、家族構成や置かれている環境など、皆さんのことをよくご存知だとお聞きしています。
300名弱の会社ですからね。願わくば全員が辞めないでくれればいいけれど、そんなことは無理ですよね。それぞれに人生がありますから。でも、せめてここに関わっている間は、お互いのことを多少は分かっていてもいいかもしれないとは思いますね。いつかまた、どこかで会うことがあるかもしれないわけですから。
私自身も前々職の航空会社からは遠く離れた業界に来ましたが、今この名古屋で全日空時代の上司(現・全日空名古屋支店長)との交流が復活したんです。全日空を入社11年目で辞めたときはもう会うこともないと思っていたのが、こうやって会うんですね。こういう想像し得ない出会が、この先にもまたあるかもしれない。そのときそのときの関係を丁寧に築いておけば、それはいつか自分に返ってくるわけです。
────社長から見て、社員の方々にこうあってほしいという"求める像"はどのようなものなのでしょうか。
『正直』であること。『嘘をつかない』こと。これだけですね。これからは、コンプライアンスが問われる時代です。そうなったときに、『正直』であることだけは譲らないという人でないと、特に食品なんていう事業は成り立たないわけです。新工場はモノ作りの環境を徹底して整えていますが、それでも悪いことをしようと思えばいくらでもできる。工場の規模が大きくなればなるほど、そういうチャンスも増えますから。
────想像するだけでも、恐ろしくなりますね。
そう。考え始めると、寝てもいられなくなりますよ。
────ご業界は違いますが、例えばIT企業などでは、パソコンのログインを指紋認証に切り替えるなどの対策を採っている例があります。見方によっては性悪説に立っているともいえますが、こういった風潮をどのようにお考えになりますか。
どういった対策が有効かは、業界によるのではないでしょうか。当社でも工場では制服に着替えますし、ピアスも指輪もすべて外す決まりになってしますしね。ただ一ついえるのは、どれだけの対策を講じようと悪いことをしようと思えばいくらでもできるということです。しかし、会社が大きな投資の決断をして、こういう方向でいくんだということを示して、みんなで一丸となって頑張っている姿を見れば、悪いこともできないんじゃないかと思うんですね。仮に社長のことは嫌いでも、一緒に働いている仲間は憎くないわけですから。
────現場の信頼関係が、砦になるのですね。
そうあってくれればいいと思いますね。「人には生まれ持ったものがあって、それは変えられない」というのが私の父の持論でした。だから、「努力しろとか何とかいっても、生まれ持ったものを変えようとすることだけはやめろ」と。けれど私は、そのうちの何%かは変えられると信じているんです。
そうしたときに何が拠り所になるかというと、身近な人のことを好きでいる人に悪い人はいないということなんですね。今まで何人も採用の面接をしてきましたが、両親や家族、同僚を大切にする子に悪い子はいません。
ですからそんなことも含めて、地元に愛されて育ってきたスガキコグループのビジネスモデルは、ここにしかないビジネスモデル。どこかに参考になるいい事例があるのではないかとか、誰か指南役がいて新しいアイデアを出してくれるのではないかとか。そういう誤解をしがちですが、そういったことはまったくないわけです。地元で愛されている会社ですから、地元の社員がリーダーシップを握ってやっていくのが一番。地域密着の企業がビジネスモデルを組み立てるというのは、そういうことなのだと思いますね。
────ありがとうございました。
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