OBT 人財マガジン
2006.09.27 : VOL8 UPDATED
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株式会社三共
代表取締役社長 真田 孝範さん
二代目社長が取り組む攻めの経営とは
ゼロからすべてを切り開きいてきた創業社長に対し、経営資源がある程度用意された状態からスタートするのが二代目社長。後継者であるが故の環境には、多くの二代目経営者が共通の利点と苦悩を実感しています。
二代目だからこそできる経営とは。三共の真田孝範代表取締役社長にお話を伺いました。
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株式会社三共 (http://www.sankyo-sss.co.jp/)
1958年創業、1972年設立。建設用足場の製造・販売から事業をスタートし、「足場はサービス業である」とする独自の戦略で社員と職方の教育を徹底。施工から解体までの工事を一括で請け負う「架払(かけばらし)レンタル事業」を急伸させ、業界のイノベーターとしてトップクラスのシェアを持つ。
TAKANORI SANADA
1967年生まれ。88年、信用金庫に入社。90年、アメリカに留学。94年に帰国し、ISOコンサルティング会社を経て、95年に三共に入社し、営業職、管理部長、副社長を歴任。2000年、代表取締役社長に就任。
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33歳で二代目社長に就任。
7年間で会社を業界トップに育て上げる。────まずは、創業者であり現会長でいらっしゃるお父様から会社を継がれるまでの道のりを教えていただけますでしょうか。
信用組合に就職して社会人となり、1年半の間に営業の基礎を学んだ後にアメリカの大学に留学して、語学のほかに経営学を学びました。10代の頃は映画監督になりたいという夢があったり、留学時代にはアメリカでビジネスを起こすことを考えたり。この当時はまだ、会社を継ぐことはまったく考えていませんでした。
そして、アメリカの大学を卒業して帰国したのが、4年後の94年。27歳の時ですね。その後、ISOの認証取得のコンサルティングを手がける会社に入社して大手企業向けの営業を経験し、三共に入ったのが95年のことです。
入社した最初の3年間は、全国の営業所を回って営業を経験したり、職人さんたちと共に作業をしたり、三共の根幹となる現場の業務を一通り経験しました。その後は大阪本社に戻り、管理部長として経理や総務の統括を手がけ、99年に副社長、その翌年には社長に就任。ここからですね、私の経営者としての試練は。会長はなぜこんなに早く抜擢したのか。実は、私にもよく分かりません(笑)。
────会長は社長に非常に高い要望をお持ちで、越えるべきバーを早めに与えてこられたのでしょうか。
そうかもしれません。いってみれば、崖から落として這い上がってこいというタイプの継承といいますか(笑)。会長のお考えをいつか聞いてみたいと思うことはありますが、真意は分かりませんね。そういえば、取引銀行の幹部と会長との会談に同席した際に、一度だけ話題が継承の経緯に及んだことがありました。その時には、会長自身が20代で創業したこともあり、早いうちに経験を積ませるためにも立場を先に与えたのだと話されていました。
────会長は、今年でおいくつになられるのですか。
数えで古希を迎えますので、69歳ですね。
────では、継承されたときは、まだ62歳。お若いですよね。
状況によっては、いつでも経営に戻れるようにという意図もあったのではないかと思うんです。といっても、これは私の想像ですが。しかし戻るまでもなく、私が社長に就任してからの7年間で業績を業界トップにすることができました。実際、そのように叱咤激励もされました。当時はまだ事業所が10数カ所、売上高は約50億円でしたが、30カ所・100億円を目指せと。若いパワーで思う存分経営するといいと。
────権限と責任は一体のものであるから、継承した以上は任せたというお考えでいらっしゃったのでしょうか。
どうでしょうか。ただし、業績は厳しく問われました。当時は、建設不況の真っ只中。しかし、経営者である以上はいい訳は通用しませんし、逃げられません。そういう意味では、しんどかったですね。継承した以上は会社を潰すわけにはいきませんし、当然ながら増収増益を狙いたい。とにかくがむしゃらに取り組んだ時期でした。
企業にとって重要なのは「人」。
人材育成を事業戦略の柱に据える。────三共にご入社されてから12年間、建設業界全体はずっと右肩下がりの環境の中で、売り上げを伸ばし続けてこられたのですね。
そうです。そこで、人材の採用と育成にはこだわりました。業界では一風変わった手法をとっているのではないかと思います。
法人向けの事業であるため、学生はもちろんですが一般的にも知られていない業種です。何をやっている会社なのか、仕事の面白さややりがいは何なのか、ということを学生がイメージしにくいため、会社説明会は、私自らが語りかける「トップセミナー」形式で行い、まずは三共という会社を知ってもらうことから始めています。
セミナーでは、さまざまな実例を用いて仕事内容を詳細に説明し、会社が抱える課題や業界独特の習慣といった、必ずしも良いとはいえない面についても、あえて率直に伝えています。せっかく参加してくれた学生にマイナス面まで伝えることがいいのかどうか、一人でも多くの人材を確保したいのであれば、良いイメージだけを持ってもらうことが得策ではないかと思われるかもしれません。しかし、分かりにくい仕事だからこそすべてを伝えたい。それを含めて当社の事業を理解してくれた学生を採用したいと考えています。
────新卒入社の1期生の方は、今年で入社何年目になられるのですか。
12年目になりますね。8名入社したうち残念ながら1名しか残っておりませんが、その1名はエリアマネジャー職に就くほどに成長しています。
────その下にいらっしゃる管理職クラスにも、新卒入社から育ってきた方が多くいらっしゃるのでしょうか。
全国に37ある営業所やセンターのうち、6名の新卒入社組が長として活躍していますね(2006年8月現在)。
※営業所は「クサビ式足場」を販売する部門。センターは足場だけでなく足場の施工・解体まで請け負うレンタル事業「架払レンタル」を手がける部門。
────一育成面では、どのような手を打たれたのですか。
まず手をつけたのは、管理職研修でした。東日本と西日本を合わせて40名くらいだったでしょうか。計画を立てることや、ビジョンを持つことなど、マネジメントの基本を8カ月くらいかけて、徐々に研修していきました。
若手社員についても、各職責に求められる人材像やスキルを明確に定義したうえで、知識や意識、技能などそれぞれにテーマを絞った研修を実施しています。企業にとってもっとも重要なのは「人」。人材育成は事業戦略の大きな柱だと考えています。取引銀行の方にも、「人材を育成することで成功されたのですね」と、いわれたことがありましたね。
────一人事制度なども改革されたのですか。
すべて変えました。変えたというよりも、当初は人事制度や給与に関する事項が整備されていない状態だったんです。本格的に取り組み始めたのは、副社長に就任してからですね。まずは、職能資格等級制度の導入からスタートし、私自身も「なるほど、これが職能資格等級制度というのか」と、勉強しながらの改革です(笑)。しかし、これはあくまでも「整備」が目的。この制度が良策と考えて導入したのではありません。人事制度は、一次、二次、三次と変え続けていきました。
具体的には、職能資格等級制度を導入したと同時に社内で「人事制度改革プロジェクト」をスタートさせ、社員10数名を選抜してチームを構成したんです。制度に関する意見や要望をつのる「ワーキングチーム」と、そこで出された意見をどのようにして制度に取り入れるかを検討する「ステアリングチーム」を組織して、制度改革の次のステップについての検討を行いました。
私が一生懸命に取り組んでいるものですから、若い社員たちも意見を出してくれるんです。「社長、給与制度だけは変えてください」とかね。私も変えるものは変えると、彼らと率直にコミュニケーションをしますから、「社長なら会社を変えてくれるんじゃないかと信じていました」と。後になって、当時の若いメンバーからこんな風にいわれたこともありました。
────人事制度のスタイルは、いつ頃定まったのですか。
目標管理制度を導入した5年前くらいがそうだったといえるかもしれませんね。同時期に、処遇については「年俸制」にたどりつきまして、目標管理制度と併用して運用を始めました。経営側として決断が難しかったのは、社員の意見を反映しながら制度を構築していきましたので、家族手当や社宅制度といった福利厚生的な支給は残しつつも、成果はしっかり評価するというメリハリのつけ方でしょうか。
他社と違うところがあるとすれば、制度の内容が何か特別なものだということはなく、制度構築のプロセスに違いがあるのではないかと思います。どんな制度であっても、社員が納得しなければ「絵に描いた餅」。また、時代や外部環境の変化に合わせて制度も進化させないといけません。ですから、どんな意見であっても社員から出てくる声を大事にするということが、改革の大原則なのです。今年も社員を巻き込んだ制度改革のプロジェクトを発足し、現在の年俸制の見直しを計画しています。
不況だからこそ見えてきた組織の課題に、
正面から取り組む。────その一方で、先代を支えてこられた幹部の方もいらっしゃるのではないかと思うのですが、そこでの軋轢はなかったのでしょうか。
私の社長就任と時期を同じくして、主だった幹部の方が勇退されましたので、そういったことはありませんでしたね。
────では、非常にいいタイミングで、社長が采配を振るいやすい状況になったのですね。
ただ、現実には古い社員たちの間での不正が発覚したこともありまして、その処理には苦労しました。私が入社した当時は、まだ市況がよくて販売も好調だったんですね。営業所は待っていても注文がくるような状態でした。それが、だんだん売れなくなってくるわけです。当時の売上高が約50億円でそのうち販売がおおよそ32億円。売上高が100億円を超えた今も、販売は約30億。成長の原動力はレンタル事業です。売れなくなると、営業所に不正が起こる。その解決に当たったときはしんどかったですね。副社長に就任する直前でしたが、この健康優良児の私がストレスで倒れて入院したこともありましたから。経営者はそのくらいは潜り抜けないといけないという試練だったのかもしれません。今から思えば、経営に大事なことは一通り勉強してきたかなと思います。
これらの経験から振り返って思うのは、経営者の権限というのは集約すると人事権と財政権だということです。人事権とは、採用する権利や配置転換させる権利、また解雇する権利も含まれる。改革を強く推し進めるには、人事権は欠かせません。財政権は、資金の使い方を決定する権利。人材育成や人事制度の整備にはかなりの予算を投じましたが、私が主導していますので、これも存分に行うことができました。
────ご業界が右肩上がりであれば、そういった問題点も表出しなかったかもしれませんが、外部環境が厳しくなったおかげで問題が顕在化したという見方もできるのでしょうか。
そうですね。ですから、99年に副社長に就任してから初めて中期経営計画を作った2003年までが、今考えてみると一番キツかったですね。その頃の手帳を見るとスケジュールや書き込みがビッシリで、素晴らしいですよ(笑)。ほとんど家にいなくて、いつ寝ているのかといわれていましたから。しかし、そういう時は不思議と病気をしない。好きなことをしている人に、病気はないんですね。
────どのようにすれば、プレッシャーを楽しめるのですか。
やはり、副社長就任の直前に倒れて入院したことで、私自身も成長したのではないかと思います。その日に忘れないとダメだと思いましたね。「嫌なことは1日で忘れなさい」などとよくいわれますが、それは理屈であってなかなかできることではなかったけれど、あの入院を境に何かがふっきれたように思います。
単純労働集約型から、知識・技能集約型へ。
時代の変化を見据えて、事業を改革。もう1つ、私には人を活かす企業にしたいという信念があるんです。世の中には、いろいろなタイプの経営者がいます。お金儲けのために起業したという人もいる。どちらが良い、悪いということではありませんが、世の中を見渡した時に、人を活かそうと本気で考えている経営者がどれくらいいるでしょうか。社員は忠誠を尽くして頑張ってくれたとしても、育成に投資しない限りは古くなって時代に通用しなくなるんですよ。そうすると、分かりやすくいってしまえば、いらなくなるから使い捨て。そんな会社も、世の中には少なからずあるように思います。私の考えは理想論だと、周囲にいわれたこともありました。もちろん、結果を出さずに人事制度だ、社員の育成だと主張しても理屈っぽいといわれるだけ。赤字だったら、誰も認めてはくれません。ですから、人材の潜在能力を発揮させることと収益を上げること、この両方を満たすことが経営だと考えて取り組んでいます。
────人材の育成や活用については、具体的にはどのようなことをイメージされているのですか。
ドラッカー氏の著書に影響を受けたのですが、ポイントはマネジメントにあります。社員に知識や情報を提供することなんですね。「時代に通用しない人材」というのは結果であって、原因は新しい知識を得ていないから。パソコンのハードディスクも古いものを入れていると、容量が一杯になって重くなりますよね。それと同じです。ですから、マネジメントする側の人間が古い価値観で一杯になって新しいものをはじき飛ばしてしまっているとしたら、これは脅威です。
────変革を叫ぶ企業が変革できない理由は、現場が変革に取り組んでも評価されないことにあるケースが多いですね。評価する側の人たちが、従来の価値観から抜け出せずにいるということなのでしょうか。
ある調査によれば、自分が勤めている会社のミッションや理念を理解しているサラリーマンは2割しかいないという、悲しいデータもありました。すべてがマネジャー層や経営層の責任だとはいえませんが、やがてそれでは通用しなくなる時代がくると思っています。
足場業界もこれまでは単純労働集約型事業であったわけです。そこから、知識・技能集約型事業を目指そうと99年に立ち上げたのが、「SSS事業理念」という理念です。3つのSは"Safety"(建設現場での安全性の追求)、"Speedy"(プロのスタッフによる工事の短縮化、効率化)、"Smart"(プロフェッショナルな人材・施工スタッフの育成)です。
これらを実現するために、従来の足場(パイプをネジでつなぐ単管パイプ足場)を改良し、クサビ式足場(ネジは使用せずにフックをかけるようにつなぐ足場)を開発しました。今ではこのクサビ式が業界の標準になっていますが、三共はそのパイオニアとして約30%のシェアを持っています。
ただし、クサビ式足場を開発しただけでは、私が目指す知識・技能集約型事業には不十分。「足場はサービス業」なのだという発想の転換が必要でした。そこでスタートさせたのが、足場の製造・販売だけでなく、施工から解体までの工事を一括で請け負う「架払(かけばらし)レンタル」事業。同様のサービスを行う業界他社もありますが、三共の圧倒的な差別化ポイントは、職方教育を徹底したことにあります。これまでの足場業界は、職方さんのウデと経験に頼るところが大きいため仕上がりにバラツキがあり、品質上の問題を抱えていました。そこで職方教育に力を入れて、顧客に高度なサービスを提供できる仕組みを作ったのです。
建物を建てるということは、夢のあること。
社員や職人が夢や目標が持てる組織を目指す。────いってみれば、サービスの最前線にいる人たちが一番の商品ですから、そこにいかに投資するかということですね。
信念のもとに立ち上げた事業でしたが、当初は不安もありました。職方を教育するというこれまでにはなかった取り組みへの、現場の抵抗もありました。自分の中でも何度も検証しましたし、いろんな人と議論もしました。そうすると共感してくれる人もいまして、徐々に自信が持てるようになってきましたね。
─────お客様の反応が一番の評価だということでいえば、顧客の支持も確実に得ていらっしゃいます。
そうですね。さまざまな業界でデフレが進行し、あらゆるものが、さも中国で生産されたかのように単価を叩かれています。足場業界も同じ。効率化、作業の短縮化をいわれて単価を叩かれ、現場は過酷な労働を強いられています。しかし、この状況は行き過ぎるといずれ破綻をきたす。それに対する、警鐘でもあるんです。
本来、建物を建てるということは、夢ですよね。高度な技術が必要とされることでもある。耐震強度の偽装問題以降は、安全性も一層重視されるようになってきました。その一方で、叩かれている職人たちがどういう状況になっているかというのは、我々が一番よく知っています。ですから、一生懸命勉強することを厭ってはいけない。「単純労働の集約から知識・技能の集約へ」という取り組みの出発点は、こういうことなんです。
────現場にも、社長の理念は浸透しておられるのですか。
最初は、そのままストレートに伝えたら「社長は、何をいってるんだろう」という反応でしたね(笑)。しかし、難しいことを要求していることは分かっていましたので、相手が理解しないことを責めたことはありません。どのように表現すれば伝わるのかを手探りしながら、一生懸命に言い続けることで少しずつ浸透していったように思います。
────社長自らが社員の皆さんと語り合いながら一緒に作り上げてこられた。解決策は現場にあったということですね。
そうです。あの手この手でアプローチしましたね。社員や職方の教育は業界他社にはマネはできないと自負しています。顧客にも、「そこまでやっているのか」といわれますから。人を育てることを通じて、他社との差別化を超えた圧倒的な独自性を確立する。これが三共の強みになると考えています。
守るべきものと捨てるべきものを見極め、
常に一貫性を持つことが、二代目としての経営哲学。────現在は社員が300人とのことですが、協力会社の職方さんを含めるとどれくらいの規模になられるのですか。
約700人です。
────それだけの規模になりますと、社長の声が隅々まで届かないということはありませんか。
そうですね。ですから、私が働きかけるのは営業所長やセンター長をはじめとする主要な社員が中心で、その先は彼らのマネジメントに委ねることになります。そこはまだまだ途上、コミュニケーション能力を鍛えないといけないと感じています。マネジメントするうえで、伝える能力というのは非常に重要ですね。理念に共鳴してアクティブに取り組もうという思いはあっても、それが空回りしていることもある。思いだけではダメで、思いと計画と実行。この3つが揃うことが大切なんです。ただし、実行も1回やっただけでうまくいくとは限りませんから、粘り強いくり返しが必要。
ですから、リーダー養成が目下の課題です。今、求めているのはマネジャークラスに加えて、経営幹部クラスの人材。任せられる社員が育ってきてくれればいいのですが、経営幹部となると短期間での育成では無理がありますし、経営にはセンスも必要。外から人材を迎えることも検討していますが、社内に受け入れる風土があるかというと、それもこれからの課題。売上高100億円を達成しましたが、それにふさわしい組織や風土のあり方という意味では、まだハードルがあります。100億の壁が、なかなか越えられない。難しいです。
─────売上高100億円の壁、従業員数300人の壁、1000人の壁とは、よくいわれることですね。
本当に、その通りです。100億円以上の売上高をコンスタントに維持できるようにすることが、当面の課題ですね。
─────社長の改革に対しては、業界他社の抵抗もあったのではないですか。
いえ、「あの二代目は変わりモンだ」ということだけですよ(笑)。出る杭は打たれるけれど、出すぎた杭は打たれない(笑)。最初は、叩かれたこともありましたよ。でも、中途半端だと叩かれるけれど、出すぎるとそれも個性の1つということになるんです。
─────社長の信念がゆらがないのは、どうしてなのですか。
「信念」といったほうが伝わりやすいからそういっただけであって。何でしょうね。昔から、正義感が強いというか、妥協しないところはあるかもしれないですね。
─────最後に、二代目の経営者の方々にメッセージをお願いいたします。
経営の方法は人それぞれではないでしょうか。ただし、変えるべくは変えなくてはいけないということは、いえると思います。とはいえ、先代はやはり偉大です。何もないところから立ち上げた創業者というのは、本当に偉大なんです。しかし、いくら先代が偉大であっても、時代は変わります。その中で守るべきものと捨てるべきものは、やはりあるんです。先代を否定するということではなく、時代に合わせるということなんですね。しかし、時には先代との衝突もあるかもしれません。ですから、必ず一貫性を持つことです。創業者も一本貫いてやってきていますから。
─────同時に、ご自身も変わっていかなくてはならないということを常にご自分にもいっておられる。経営者も時代と共に変化しなくてはいけないということも、大切だといえるのでしょうか。
養老猛さんの本で共鳴した言葉に、「自分を変えないと、相手も変わらない」というものがあります。「変われ」といわれるだけでは、相手もいい気はしませんね。けれども、こちらが変われば、相手もちゃんと変わってくれる。
しかし、自分を変えるのは難しいことです。資質もあるのでしょうが、志も必要だということを感じます。何か、超えたような思いにならないと、こういうことってできませんから。お金儲けだけでなく、世のため人のため、次の世代のためになることをしたいという志。それがないと、人は説得できないですね。
────社員を経営の手段と見るのではなく、育成して潜在能力を伸ばすという社長のお考えに、本質を教えていただいたように思います。長いお時間、ありがとうございました。
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