OBT 人財マガジン

2012.12.26 : VOL154 UPDATED

経営人語

  • 知っていることの落とし穴

    人間は誰でも強がりは言っても根っこでは弱いものである。
    弱いからこそ何かに頼ろうとする。

    例えば、「データがないとわからない」とか「もっと人の話を聞かないといけない」とか
    「もっと調べないといけない」とか一生懸命知識や常識に頼ろうとする。

    そうするうちに次第にその知識や常識に縛られてしまうようになる。
    調べることは重要であるが、「わかること」「わかろうとすること」だけで大方終わってしまう。

    そうすると「分かること」「知っていること」にそれだけの価値があると思っている。
    「分かること」と「知っていること」だけに時間を費やしてしまいがちである。

    「分かったり、知ったり」ということをほどほどにしておかないと「結果を出す」ところまでに
    いかなくなってしまう。
    「わかっている」、「知っている」ということで満足してしまって、「実際にやる」ことの手前で
    とまってしまうのである。

    本当に難しいのは、「知っていることではなくやること」なのである。
    結局、「わかるとか知っているというのは、自分の経験や知識でわかるとか知っているという
    だけのことであって、新しい知識に出会っても自分の経験や知識という過去の基準でそれを
    整理しているに過ぎない」。

    考えて見れば、人間が、この世の中で知っていることなんて0.0001%ぐらいで、
    知らないことのほうが99.9999%あるはずである。
    知っていることはごくわずかで知らないことの方が圧倒的に多いにもかかわらず、
    人間は自分が見たり聞いたり経験したことの範囲内でいろいろなことを判断しようとする。

    知が無を規定するのではなく、極めて狭い範囲の知がはるかに広い範囲の無知によって
    支えられているのである。
    従って、人間は何かを知っているのでなく、何も知らないということの方が正しいのである。

    例えば何が損で何が得かということも知っているようで誰もわからないのである。
    人は知らないということが不安なためにデータや資料に頼ろうとするが、過去のデータや資料で
    将来を推測すること等全く出来ないのである。

    もし理論やデータが役に立つとすれば銀行や証券会社等は不況が来る前にいろいろな手を打ち
    今頃、隆盛を極めているのではないだろうか。
    こうすればこうなるといった過去の事例のデータの集積はあるが、現実の経済は、それから溢れ出し
    て変化し変転しいくのである。

    従って、本当にわかるということは「わかり方を変える」ということである。
    自分の生き方を変え、ものの見方、考え方、感じ方を変えることである。
    「わかる」とは自分のこれまでの生き方を変えることである。

    それはひいては新しい見方や価値観を持つということにつながる。

    学ぶとか知るということにエネルギーを使い、そのことを自己目的化しないようにしたいものである。

    On the Business Training 協会  及川 昭