OBT 人財マガジン
2012.10.24 : VOL150 UPDATED
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心の能力は鍛えられるか?
長い間、我々は何をもって〝ビジネスマンの優秀さを定義してきたのだろうか?〟
考えて見れば単なる論理的思考や分析力、或いは"きれいな企画書や報告書を作る能力"
或いは"人前で要領よく説明出来る力""他人が知らない情報や知識を知っている"等といった
類の左脳レベルのものであり、それをも以ってして能力の全てのような看做し方をしてきた。
然しながら、情報技術の進化やさらなる発展等を考慮した時、この種の能力はもはや簡単に
ITで代替可能になるであろう。
そうなるとこの成熟化社会において、縮みゆく経済の中で、本当に必要となる能力とは一体
何だろうか。
情報技術やネットでは代替できない能力、いわゆる右脳的な能力が重要になることは
間違いないし、その根幹をなすのがホスピタリティではないだろうか。
全ての産業がサービス業化し、そして少子高齢化・人口減少というビジネスの対象となる顧客の
絶対量が減少していく日本の市場では、これが絶対的に必要となる能力であろう。
例えば、「人と良好な関係を結べる能力」「相手の立場に自分を置きかえて考えられる能力」
「感情を読み取る力」「その人の気持ちを直感的に感じ取る力」「喜びを感じる力」
「社会的な器用さ」等である。
企業の経営者を見ても、組織のマネジャーを見ても「組織や人に対する感性が無いと効果的な
マネジメントは出来ない。
感性が無い人が経営者、或いはマネジャーになると単なる管理志向となってしまい
組織は概ね停滞し、閉塞感が高まっていくことは多くの組織の事例が物語っている。
これは、医者であっても患者の立場に身をおいて診察出来るか、或いはクライアントの状況や
背景を考えて法律相談が出来る法律家であるかが受益者の選択の大きな決め手になるであろう。
何故ならば、患者もクライアントも供給過剰な市場で、豊富な情報に基づく選択肢は山ほど
入手できるからである。
そうなるとこれまでのように単なる専門スキルレベルだけでは通用しなくなるであろう。
これからの世の中で大切なものは、数値で測ることが出来ない能力、履歴書の様式では、
特技として表現出来ない能力になるであろうし、これらはすべての業界、あらゆる仕事において
必要とされる能力となってくるはずである。
それは、昨今の日本人に最も欠如しているといわれる「人との付き合い方」「多様性」
「コミュニケーション能力」「社会性」等等幅広い教養教育が必要となってくるであろうし、
グローバル社会では、その国の文化や風土、歴史等を知らずして仕事が成立しない。
そのためにはより一層幅の広い教養が求められるところである。
これらの能力は果たして養成出来るのだろうか?
例えば、雪と氷に囲まれた南極の基地。
閉じ込められた空間で厳しい環境で生きる観測隊員は、知性や技能だけではとても務まらない。
体力とそして耐久力、粘り、さらにお互いに「うまくやっていく能力」が不可欠となる。
随分前の話であるが、都内で「孤住から集住へ」と題したシンポジュウムが開催された。
家族以外の人と生活空間の一部を共有する住宅が次々と紹介された。
子育て中の家族、単身者、高齢者がひとつの食堂を使ったり、また、障害者と健常者の同居等。
これにより大小様々なトラブルは必ず生じるものの、こういった雑居型集合住宅が年々増えている。
広がる「非家族型同居生活」が心の能力を鍛える場になっているのでないだろうか。
年齢も職業も立場の異なる人々が、対等の立場で対話し、規則を決める中で、主張や譲歩や
妥協の技術を自然に身につけていくのである。
価値観の異なる相手に慣れ、子育て等でも助け合う。
また、若者達には結婚生活に向けての心の準備にもなる。
昔の長屋、親類縁者の同居、旧制高校の寮、下宿の独身寮等かっては物差しの異なる他人と
「うまくやっていく」能力を経験的に育む場がたくさんあり、これが組織の強さや近所同士の
助け合いにつながっていた。
昨今、若い人達の間で人気が高い「シェアハウス」がある。
勿論、その理由は、合理的にはコストの問題もあるであろうが、敢えてわずらわしさを求めて
雑居を選ぶ人が若者達に増えるのは我々が失くした心の能力を取り戻す試みかもしれない。
「異なる他者といかにその違いを受け入れて仕事や生活が出来るか」という視点からも、
心の能力を鍛える上で非常に重要なステップであろう。
生産性や効率化等といった経済合理性だけでは、国も企業も一時的には伸びても
長きにわたっては成長は持続しない。
先進国の先進、成熟化の成熟というものの本質的な意味は、全ての営みに人間を根幹において
国や企業、そして組織の成長を考えるということではないだろうか。
On the Business Training 協会 及川 昭