OBT 人財マガジン
2012.07.11 : VOL143 UPDATED
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会社は誰のものか?
"会社は一体誰のものか"というテーマを我々日本人に投げかけたのは、2005年のライブドアが
ニッポン放送に買収を仕掛けた事件であろう。
ニッポン放送の経営陣もその社員も、ライブドアの買収に反対であると公式に宣言した。
この事件をきっかけに行われた各種の調査でも、多くの人達は、買収という行為に否定的であり、
企業というのは、実際にそこで働いている人達のものであって株主のものであると答えた人は
極めて少数であったし、これが間違いなく我々日本人の感覚なのであろう。
何故ならば、多くの日本人にとって会社とは、単なる契約上の組織ではなく、それを上回る場が
そこに存在するからである。
具体的には、働いている時間の長さだけ、そこにたくさんの人と人との関係が生まれ、さまざまな
意味での社会生活の場が生まれる。
こうした場では、我々は、契約関係である単なる経済的な報酬を超えたものを満たそうとする。
それは、そこに、契約ではなく所属という概念が存在するからである。
それにも拘わらず、企業の買収には、働く人達の意見は全く反映されない。
会社法という法律のもとでは、株式を過半数持てば、働く人達の意思とは全く別に株主は、
社員の将来を左右しうる決定が出来るのである。
会社法という法律は、「企業に資金を提供する人達の権利義務関係を定めた法律なのである。
つまり、会社法というのは、企業を資金の結合体という領域だけで捉えている法律であるために
資金提供者である株主だけを企業の主権者としているのである。
然しながら、現実には、企業というのは、資金の結合体であると同時に働く人達の結合体でも
ある。確かに、金がなければ事業は出来ないが、同時に人がいなければ仕事はできない。
それも長期的にその企業や組織にコミットする人達が中核として存在しなければ組織として事業を
継続することはできない。
要は、会社とは、おカネの結合体と人の結合体としての2面性を持っており、本来、これは
表裏一体で切り離せない。
会社法という法律が、企業のこの2面性を考慮していないために、現実との間に大きな齟齬が
生まれるのである。
企業は誰のものかという問いかけは、企業の運命を左右する力を誰が持つのかという問いかけ
である。これは、単に誰の所有物という法的な所有権の問題を超える問題を含んでいる。
企業という経済組織体である限り、経済合理的には、競争力という視点は欠かせない。
一方で、その競争力を生みだすのは一体誰なのか、競争力を高め企業の発展という結果に
結実させられるのは一体誰なのかということであろう。
企業にとって働く人達の意欲やロイヤリティがあってこそ競争力が生まれ発展できるのである。
企業は誰のものか、企業の主権を誰が持つのか、換言すれば、誰が持った方が企業としてより
競争力が生まれ発展しうるのか。
男女差、学歴差、国籍差等を一切排除して"社員の成長は企業の成長である"としている、
株式会社日本レーザーの近藤社長の経営姿勢。
成長しない日本経済の中で"競争力の源泉を喪失"しつつある企業経営者に対する本質的な
問いかけである。
On the Business Training 協会 及川 昭