OBT 人財マガジン

2011.12.21 : VOL130 UPDATED

経営人語

  • これからのイノベーションをどのように定義すべきか

    日本、米国、ヨーロッパ等が等しく成長力の減退に悩んでいる。

    持続的な経済成長が出来ないのは「イノベーション」が起きないからと言われて久しい。

    特に日本は、20年間も、将来の成長を担う新しい産業、新しい企業、新しい事業が
    台頭してこないという構造的問題を抱えてきた。

    例えば、米国では、グーグルやアップル等が次々と世界的企業に育ってはいるも
    のの、その一方で雇用が創出されるというところにはいかず、失業率も高止まりした
    ままである。確かに、様々な分野でイノベーションは期待外れに終わっているものの、
    インターネットの世界は極めて短期間に目を見張るほど進歩し、より早くより面白く
    なった。

    然しながら、経済活動という観点で考えると、インターネットの興味深い点は多くの
    商品が無料で提供されているということである。
    ブログに目を通すのもツイッターでつぶやくのもウェブサイトの閲覧、ユーチューブの
    視聴等ほとんどお金を使わずに楽しめる。
    勿論、インターネットがこれまでの経済活動と無縁というわけではないが、我々の
    生活や思考に及ぼしている影響と比較すると経済的なアウトプットの側面は少ない。

    例えば、我々がユニクロで3000円のセーターを購入すれば、その分GDPは上昇
    するが、ネット上で3000円相当の価値あるものを体験してもGDPは上昇せず、
    反映されるのはわずかな電気の使用料程度である。
    一方、ネット上に点在するひとつひとつのものは、取るに足らないものであっても、
    それをいくつか組み合わせればとても興味深いものにいきつく。

    本当の価値は我々の頭の中にある。

    ネットのかなりの部分は、我々の知的・情緒的な面でパフォーマンスの高いものを、
    新しく生み出すための自由な空間として機能しているし、我々の内面の生活を豊か
    にするための無限のキャンパスといえる。
    ネットの重要な恩恵は相応の知的能力の高さに応じて得られ、ネットが生みだす
    価値の多くは、我々個人が私的に経験するものなので生産性のデータには反映
    されない。

    これまでのイノベーションによる経済活動のほとんどは、大規模な収入源を生み
    だすものであったが、GDPを支えてきた多くの産業はもはやその勢いを失いつつ
    あり、その一方でイノベーションが起きている活動は収入を生みださないような
    産業である。

    例えば、フェイスブックが会員数8億人を突破したといってもGDPは上昇しないし、
    さしたる雇用も生みださない。むしろ総体的に言えば、デジタルの普及等により
    ジョブレスリカバリーと称される類の雇用を喪失させているものまである。

    ネットという素晴らしいイノベーションが示唆することは、我々に大きな恩恵をもたら
    してくれる反面で、現行の経済活動にさほど大きな貢献はないということである。
    これからのイノベーションは、これまでGDPを支えてきたような経済活動の中には
    なく、それとは全く異なる分野で生じる可能性が高いということである。

    このような視点で考えると"一体生産性そのものをどのように定義すべきか"という
    課題に行きつく。
    これまでのように工場で作られる過程をそれとするのか、ネット等を通して我々の
    頭の中で起こっているものを生産性とするのか。

    いずれにしてもこれからのイノベーションは、物的な経済活動を促進するというよりも、
    人としての生き方、自分らしさ、遣り甲斐、周囲との一体感等といったこれまでの
    物質主義的な価値観とは、一線を画している領域にあるのではないだろうか。
    高価なブランドものよりも自分の個性、人と人のつながりや生活環境、または持つ
    ことよりも使うこと等に象徴される価値観に既に大きくシフトしているように。

    このような流れに対応するためには、多くの産業や企業経営、或いは政治も
    根本的な構造転換が必要であるにもかかわらず、未だやり方を変えようとせず、
    これまでの延長線上の対応に終始している。

    何故だろうか。

    本来、イノベーションは、大きなハンデキャップが革新につながるという定説にも
    かかわらず、巨大地震、大津波、原発事故等がもたらした大きな災難が、我々を
    覚醒させる絶好の機会であったが、実態を正視することなく現実を正面から見据え
    ないまま終息させようとしている。
    そのため根本的な問題を是正することなく、抜本的な変革をせず、小手先の対策、
    その場しのぎの対応で再び安易な道を進もうとしている。
    喉元過ぎればで何とか乗り切れるという安易な楽観論や過信、そのことは、
    我々がますます大きなリスクを背負って将来に向かって歩んでいるのに等しい。