OBT 人財マガジン
2011.11.09 : VOL127 UPDATED
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内部の人間による企業再生や経営改革の困難さ!
今、経営改革や企業再生に取り組んでいる企業は多いが、とても不可思議に思うことは、何故、内部の人達による改革や再生はさほどの実効が上がらないのだろうか、自分達の手で再生出来ないのだろうか。本業が成熟化し、新しい主力事業を創造しないと将来に向けての成長は期待できないにもかかわらず、内部の人間による改革は、経営改革委員会やプロジェクトチーム等といったものを発足させ形だけは整っているものの、非常に中途半端で、改革の中身も、単に、商品のバリエーションを増やす、或いは組織の変更、人事制度の改定等でお茶を濁している企業があまりにも多いのには驚かされる。人口減や技術の革新等対応が遅れれば、様々な産業で空洞化が生じ衰退していくのは明らかであり、本来であれば、会社を根底から作り変えるぐらいの改革が必要であるにもかかわらず、そのことを本当に認識出来ているのだろうか。経営危機の発端は、紛れもなく環境の変化である。経営危機に陥る企業の多くは、素早い対応をとらず様子見を決め込む。経営環境の変化の影響を軽視する、或いは変化は一時的なものでやがて元に戻るはず等、変化ときちんと対峙するということをしていない。内部の人間は、当然のことながら、それぞれの組織の分野については、深い知識を持ち、自分達の会社のことは隅々まで熟知し、また、収益性や生産性の低下という事態にもある種の危機感は抱いているにもかかわらず。改革を推進する際の内部の人間の限界は、客観的に物を見ることの難しさいえる。言葉を換えれば、内部の人間は、常に当事者としての視点でしかない。当事者の視点というのは、組織内の様々なことをわかり過ぎているためにいい意味でも悪い意味でも極めて常識的である。常識的というのは、無難ではあるが、その域を決して出ない。また、当事者の立場というのは、言ってはいけないこと、触れてはいけないこと等社内の不文律のようなものにアプローチすることを避けるため、どうしても自社の課題の本質に迫っていけないのである。例えば、経営危機の要因を作った旧経営陣が、会長や相談役や顧問等の立場で社内に残っている場合も多くそこへの遠慮がどうしても働く。また、優秀といわれる社員であればあるほど、企業という組織の中で評価されることが目的化していくために、1人1人が再生や改革という活動を自分がやるべきことではない、自分の仕事ではないと考えがちである。明日の成長の為には、抜本的な改革が必要であり、改革には痛みが伴うが避けては通れない。再生や経営改革で重要な点は、まず、改革のリーダーを誰が担うかということである。リーダーが着手すべきことは、まず、最初に危機に至った要因を論理的に把握することから始まる。自社のポジション、競争力、社員の意識や行動パターン、組織風土そして資産・負債等。経営危機に陥る企業の多くは、縦割組織の問題を抱えおり、且つ業績が悪くても危機感がなく規律も乱れていることも多い。改革や再生をするためには、このようなことを正していく必要性は高い。そのために、何のしがらみも無い社外の人間が重要となってくる。これまでのしがらみがないからこそ客観的、大局的視点からのアプローチが可能となり、ドラスチックな手も打てる。再生や改革というのは、企業経営や政治でも、これまでのしがらみをいかに断ち切れるか、しがらみの罠からの脱却に尽きるといえる。今、我々が直面している環境変化は、既存の知識や組織或いは資産等での対応は困難であり、全く新しいものが求められる。そのために我々は全く新しい問題を解決出来る能力、視点を持たなければならないのである。