OBT 人財マガジン
2011.04.27 : VOL114 UPDATED
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原発事故をもたらした企業風土、組織体質
日本は、大地震と原発の問題で大変な状況が続いているが、東京電力の今回の原発問題への対応は、いくつかの判断のまずさや隠ぺい問題等が発覚し始めている。原子力燃料という特殊分野の事例ではあるものの、これを企業組織という観点で捉えてみると他産業、他業界ひいては、日本の産業界で起こりうる典型的な問題である。隠ぺいせず公表した方が後から発覚するよりも大きなリスクとなるという事例は枚挙にいとまがないほどあるにも関わらず何故、隠ぺいに走るのだろうか。ひとつは、「隠ぺいがばれないだろう」と考える罠。もうひとつは、「この程度なら・・・・・」と隠ぺいを矮小化しようとする心理であろう。「このくらいならの罠」が恐ろしいのは「内輪の論理」に捉われて社会や顧客を忘れてしまうことである。一般的に、人間というのは、「想定される重大な危険」よりも「現実のわずかなコスト」に気をとられてしまう動物である。初動措置に失敗する事情も、基本的にはこれと大同小異である。短期的なコスト計算に注意を奪われ、長期的な利害得失を考える視点に欠落してしまうことにある。また、その隠ぺいが組織に承認された行為である場合、「組織に忠実な人」の定義は「その隠ぺいに加担する人」であり、隠ぺいに反対する人は、組織から除外されたり、評価や昇進で差別されたりする。その結果、組織に忠実な人の行動がそれを増長する人を生み、そのような人達がさらに隠ぺいを拡大させ、組織内に人事と違反の悪循環がもたらされるのである。こうして組織は、次第に崩壊に近づいていく。東電という企業も組織内に制度疲労を起こしていたのにもかかわらず、傲慢で自己満足に陥り問題を先送りしてきた結果といえるのではないだろうか。企業風土の改革や組織変革といった企業経営上、極めて重大な問題を先送りしてきたことが大きなツケとなって跳ね返ってきたということであろう。大きな事故のヒントが足元に転がっているにもかかわらず、それを見ようとしない人間にとっては、ただの石ころに変わりないのである。中国の諺に「心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどその味を知らず」という名句がある。蟻の穴からも堤防が崩れる、企業の信頼もこれと同じである。リーダーとしての質や能力とは、MBAの取得やビジネスススクールで学ぶといった点にあるのではなく、まさにこのような観点を持っているのかどうかということが問われるところである。企業の不祥事や隠ぺい事件から、改めて気づかされるのは「嘘をついてはいけない」ということである。経営でも、事業でも、マネジメントでも、教育でも、一番大切ことは、頭の良し悪しではなく、人間としての心の良し悪しである。企業人である前に人として守らなければならないことであり、制度や仕組みといった技術論を先行させるのではなく、リーダーとしての倫理観や資質の欠落を問うべきであろう。