OBT 人財マガジン
2011.04.13 : VOL113 UPDATED
-
就職氷河期には、企業側も学生達も従来の発想を捨てること!
2011年度、社会人としての第一歩を踏み出した新社会人達。恐らく大変な思いをしてようやく職を得たにもかかわらず、卒業式も入社式も相次ぎ中止や延期という先行き不透明な逆風の中での船出である。たくさんの若者が1990年代以降、雇用調整からのしわ寄せで労働市場にはじめて参入した高卒、大卒もその影響を被ってきた。例えば、我々が大学を卒業する頃は今と違って、日本経済も高度成長期ということもあって4年生の春から夏に就職活動して、その秋には内定をもらうというのが一般的であった。その頃の大方の学生の考え方は、学生時代の4年間は、読書でも旅行でもパカ騒ぎでも、とにかく勝手気ままに、自由に、自分の思い通りに、何かをすることが許される時間であるが、4年生になるとこの自由な時間には限りがあり、自由な人生がもうすぐ終わるということに次第に気づいてくるのである。社会に出たら、自分勝手は許されない。会社に入ったら勝手気ままにはできない、朝から夜まで会社に命じられたままに働かなければならない。上司の命令、会社の方針、顧客の要求によって自分の行動が制約され、彼らの役割期待に適合するしかない。「生きていく」ためには、この強制された仕事をこなしていかなければならない、自分の自由等なくなるということ観念していた。もちろん人によっては、もっと自由な生き方もできるに違いない。画家、音楽家、自営業などいろいろな職業を選択することもできるだろう。しかしこういった職業は、もし自分に才能があれば、あるいは能力があれば、出来るというものであって、取り立てて何ができるというわけでもない自分にとっては、やはり組織に入るしか手がない。就職することは「生きていく」上で重要である。給料も毎月きちんと決まった金額だけもらえるし、だからとりあえず組織に入ってやっていかなければならない。勿論、何となく就きたい職業はあったが、心中「どこへ行っても同じではないか」とややシラケにも似た感があった。「どこへ行っても同じ」という考え方だから、逆にどんなところでも働くことが出来た。しかし、今は明らかに違う。今の学生は、「自分の能力と適性に照らして」という明確な理由から志望職種、希望企業を選択している。不況だろうが、好況だろうが、就職活動中には志望する職種、希望する企業を頑なに維持し変更することはない。その結果、企業とのマッチングの可能性はどうしても低くなってしまう。そして中には就職先を決めることもなく、就職活動をやめてしまう学生もいる。然しながら、自分の適性や本当の能力なんて実際に仕事をしてみないとわかりやしないのである。だからどこでもいいからとにかく働き場所を見つけることがまず大事なのではないだろうか。何事もやってみなければわからない。学生時代に適性ありと思って選んだ仕事でもやってみたら全く向いていなかったとか、逆に好きではなかったけども止むなくやらされた仕事でもそれが生涯の生業になる場合もたくさんある。もうひとつ、大方の人は、将来の道を選ぶ時、今のような先が見えない、不況の時代はどうしても大きいとか安定している等といった有利な分野に入ろうとする。しかし、これは人生を誤りやすい。仕事は有利さよりも好きで選ぶことであり、人が成功するための第一条件は、好きな道を進むことにある。何故ならば、昨今の大企業の破綻や合従連合を見ればわかるようにひとつの組織が長期的に有利であり続けること等ほとんどない。有利と思って就職した組織が時代の変化で不利になったら、不利で嫌いな組織に閉じ込められている自分を見なければならない。好きな仕事で選べば、不利になっても好きが残る。好きなことは同じことをしても他のことほど疲れない。その分熱心にもなれるので必ず上達する。どんな分野でもその道で一流になれば尊敬と満足が得られる。有利と好きを決して誤解しないことである。学生側がこのような就職活動をしてしまうのは、企業側に大きな責任があるように思える。昨今のように学校の勉強もろくにしていない3年生の秋ごろから就職活動をさせられるため、学生時代にきちんとやるべきこと、例えば、本を読み、講義にきちん出席し、クラブや同好会に参加してリーダーシップ養う、集団で行動することを学ぶ等将来の働く力を培っていくことが最も大事なのではないだろうか。