OBT 人財マガジン
2011.01.12 : VOL107 UPDATED
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新しい時代「・・・・ごっこ」では生き残れないことを「抱負」とすべし!
新しい年を迎えると「今年の抱負」ということをよく目にする。ビジネスに携わる人間であれば、今年の経済や景気の回復を願いながら自分達の事業の成功を目標とする。それぞれがその立場で立派な目標を掲げるのはとても大事なことである。然しながら、それは、掲げた立派な目標を達成出来なくても自己の責任として負える場合の話である。それと比較すると、毎年の如く繰り返される多くのエコノミストやアナリストと称せられる人達による年始恒例の経済予測がある。今年の予測も「景気は後半には上向く」とのこと。この予測は。ここ10年来繰り返されている主張であるが、結果はどうだろうか。予測が的中しなくても何ら責任を問われることも無いので極めて甘いのである。また、政治も同様である。OECDの事務総長であるアンヘル・グリア氏が「日本の20年にも及ぶ景気低迷という現象は、非常に複雑な経済問題への直面と同時に統治にも問題がある」と指摘した通り、頻繁に変わる総理大臣に問題があるのか、国のリーダーとして適格ではない人間がリーダーになることに問題があるのかいずれにしても、その結果はどうだろうか。マニフェストや公約が実現出来なくても何らの責任を負う必要もない。せいぜい辞任で決着がつき後は議員として高額な報酬を得ながら居座り続ける。中には、次ぎの選挙には出馬しないと宣言したにもかかわらず、簡単に前言を撤回する言行不一致。無責任の極みであり、一国のリーダーなんて代物ではないのである。要は、「アナリストごっこをしている人達の経済予測」と「総理ごっこをしている人達の政治」にすぎないのである。所詮「ごっこ」をしているだけなので底は極めて浅く自らの使命感や職業としての軸も何ら感じさせない。「アナリストごっこ」「総理ごっこ」にとどまらず、今の日本を見ていると何と「・・・・ごっこ」をしながらそれを生業としている人達の多いことか。そして、それが業として成立しているのも非常に不可思議な光景である。例えば、今我が国の成長を妨げる最も大きな難題となってきている少子高齢化。「少子高齢化が進展するとやがてこの国は立ちいかなくなる」そんなことは1980年代から指摘されてきたことである。然しながら、その間の20数年間、何らの効果的な手が打たれないまま今事態は一層悪化し、経済破綻さえ囁かれている。何故だろうか?「・・・・ごっこ」の連中は、目の前の問題には関心はいくが、そのことにより中長期的な大きな障害に発展するような問題には視点がいかないのである。一般的には、新しい変化についていけない組織や人に対して、過去の成功体験が邪魔して適切な行動をとれなくしているといわれているが、成功体験があるからというよりも、「・・・・ごっこ」の人たちは、とにかく新しいことに対する論理的理解が出来ないから適切な行動をとれないのではないだろうか。そのために、将来起こるかもしれない大問題よりも今ある痛みに対応する方を選択するのである。直接的な脅威には、すぐ反応するが、長期間にわたって少しずつ蝕んでいくような脅威には非常に反応が鈍いのである。そのために、当面の痛みを取り除くことに力を注ぎ根本的な問題への対処はついつい後回しにしてしまうため、ある時間を経過してから重大な課題を先送りしてきたつけが我々の前に立ちはだかるのである。いずれにしても経済、政治、事業に携わる人たちは、これからの時代「自分の抱負」「自分の言葉」に対する責任を再確認すべきであるし、「ごっこレベル」では衰退していくのみで「本物」しか生き残れない時代が到来しているということを再認識すべきであろう。