OBT 人財マガジン
2010.11.24 : VOL104 UPDATED
-
我が社は、新しい時代に向かって本当に脱皮しているのだろうか?
新聞報道によると来春卒業予定の大学生の就職内定率が57.6%と最悪の状況とのことである。縮む市場、価格下落、利益の減少等といった状況の中で、企業は、売上高を維持するために、これまで以上にパワ-とコストを要する時代となってきた。そしてその結果、必然的に、利益額は低下する。これを回避するため、新たに人の投入が必要となると、1人当たりの稼ぎ高を試算し、必要人員を割り出して現場に投入する。然しながら、全員が試算通り同じようなパフォーマンスを上げられるわけでは決してない。結果として、企業全体としてのコストは高くなり、収益性を圧迫していくという構図が今、多くの内需型企業の置かれている状況であろう。それにもかかわらず、経営スタイルや戦略を根本的に転換することなしに、ただ商品アイテムを増やす、或いはこれまでとは異なったカテゴリーの商材を取り扱う等、といった単なる目先を変えるレベルで、従来の延長線上での経営を踏襲しているのである。そして、経営陣は、巷に溢れている管理手法を導入しながら現場の業績管理を一層強化し、執行面に強いパワーを注いでいるため現場には、疲弊感が漂い停滞している組織が非常に多い。そこには、新入社員の募集に向けてのパンフレットやHPに描かれているようなバラ色のパラダイスとは、ほど遠い状態にあるというのが現実である。日本の大学生の就職先選びを素朴に観察していると、いまだに多くの学生はある「職」を選ぶのではなく、ある「会社」を選ぶ。就職ではなく、就社なのである。それは、企業と言う組織が未だ日本人にとっては、経済組織体と職場共同体という二面性をもっていることを意味している。本来、企業とは、営利を目的として設立された組織体であり、働く人達と雇用関係を結び、働く人が労働を企業に提供し、その対価として給与という所得が支払われる。これが経済的関係である。しかし、多くの生身の人間にとって、企業は「労働とお金を交換する場」以上の役割を果たしている。それは、企業で働いている人達が長い時間を企業の中で過ごし、いろいろな仲間と出会い共同で仕事をするとそこに必然的にそこには人間関係が生まれ、共同生活が生まれるからである。企業で働くということは、つまるところ自然に社会生活の場である職場共同体をも生み出すのである。経済共同体、或いは職場共同体のどちらに重きをおくかそこに正解はないであろうが、企業の経営を考える際、人を雇用するということは、経済組織体という側面だけでものを考えると間違うことが多いであろう。人を雇用するということは、ある意味で「雇用した人間の生活を保障する」、「雇用した人財の人生に関わる」という観点が必要なのではなかろうか。そのためには、採用のHPやパンフレットに描かれているような持続的に競争力があり、収益性がある企業組織体へと脱皮していくことが、経営としての責務であろう。