OBT 人財マガジン
2010.10.27 : VOL102 UPDATED
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ミドル層の活性度に企業の個性や実態が凝縮されている!
最近、とみに企業のミドル層が活性化していないという話をいろいろなところで聞く。小生もいろいろな企業で、組織変革、次世代経営者養成更に新規事業の構築等といった領域で、ミドル層の方々と接する機会は非常に多いが、一言で言うと、元気が無い、エネルギーが感じられない、或いは線が細い、気漑に乏しい、組織からはみ出さない、そして、思いが無い等といったことは強く感じるところである。仕事の大方は、今今の仕事ばかりに振り回されて、今日、明日のことだけが中心となっているため、新しいモノを創りだす、新しい価値を創りだす等ということが出来なくなってしまう。一体何がそうさせているのだろうか?単なる現在に生きるミドル層の特徴といった彼らの特質に起因するものと片付けてしまっていいのだろうか。勿論、特質もあるであろうが、もうひとつあるのは、今の日本企業の行き過ぎた管理主義、合理主義から発しているものといえるのではなかろうか。合理主義の代表は、効率性や生産性であろう。効率性や生産性というのは、「何に役に立つのか」という価値観を増幅させるが、役に立たないことは軽視してしまう。しかしながら、役に立たないものが実は大事であったり、非効率なものに本質が含まれているというのが人間社会である。データ偏重という行き過ぎた効率化、システム化は、何が大事で何が大事でないかがわからくなってしまう。本来、あれこれ思い悩むところに思考が活発化するにもかかわらず、あれこれ思い悩むこともなくなる。思い悩むことがないと頭が死んでしまい、考える力を失う。そして余裕をなくする。人は管理しないとさぼるという性悪説から発している米国型システムに無批判に過剰に適合することのリスクいえる。これは知識人といわれる大学の先生方の罪も大きい。自説がなく、ただ欧米からの輸入ものを翻訳することのみに主眼がおかれおりいわゆるただの物知りというレベルにしか過ぎない。人間のエネルギーの供給源は、近代合理主義の世界に生きることにあるわけではなく、人のエネルギー源は、むしろ非合理の感情の中にある。企業も組織も人から構成されている社会であり、そこで働く人は誰しも感情があり、頭があり、心がある。もともと日本人の価値観は性善説に由来しており、行きすぎたシステム化、効率化は、人や組織を弱体化させていく。我々がそのおかしさに気づけるかどうか、今、まさにそれが問われているのではないだろうか。