OBT 人財マガジン
2010.08.25 : VOL98 UPDATED
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経営と現場の断絶、我が社の現場力とは何か?
ここ数年来、ヒットした書籍の影響もあって「現場力」なるものの重要性が叫ばれている。至極当然のワードがもっともらしく経営やマネジメントの場で繰り返し語られるほど、昨今の企業の現場に活力が無いのか、或いは経営と現場との間に大きな乖離が存在するのかのいずれかであろう。筆者も仕事柄、様々な企業の経営トップの方々にお会いすることが多い。その際、私が必ず質問することのひとつに、現場の状況をどの程度把握出来ているかといった類のことをお聞きすると、「自分は現場のことを十分把握している、理解出来ている」とお答えになるトップの方々は殊のほか多い。然しながら、人財育成や組織変革を通じて現場の疲弊感や活力の無さについて、肌で感じている筆者からすると、このトップは本当のところ現場の実態が十分わかっていない、逆に、わかっているつもりになっているところが非常に大きな問題があるということを感じるのである。いくら、経営者が立派な理念を持っていても、実際に仕事をするのは現場の人たちである。その現場の細部までに経営の意思がどう伝わり、どう実行されているのか、それが最終的に経営の善し悪しを決めるのである。ヒエラルキーの頂点で最前線から遠い立場に身をおかざるを得ない人間として、最前線の現場で実際何が起きているのかきちんと想像できる能力は極めて重要である。企業組織の経営者と最前線の実務担当者との関係も同様である。経営者の判断や行動は、結局のところ現場の人たちを正しいと思う方向に動かせてこそ意味を持つ。現場が動かない経営改革や体制変更は全く意味を持たない。自分ではいいと思っているかもしれないが、現場のことをきちんと想像できていないから、正しいインパクトを実務の現場で生めない状況に陥っている。これは、ヒエラルキーとその頂点のリーダーのしばしば陥る罠である。そこには、情報の力学と地位の力学の2つが働く。情報の力学とは、情報が現場から組織の階層を通して上にあがってくるに従って、必然的に雑音と遅れが入るということである。人から人へ情報が伝わるということは、聞いた人が伝わった情報を自分なりに解釈してしまい、その解釈に基づいて、次の人に伝えることを意味する。その過程で情報は、しばしば意図せざる歪みをもって伝わっていく。そして、伝えるには時間を要するから自然に遅れが生じる。また、その権力の行使を自分の都合のいい方向に誘導したいという利害を持つ人が、ヒエラルキーのどこかに出てくるというのが普通の組織である。その誘導のために、情報を自ら有利な方へ歪めて集約する人が出てくる。こうして、自然の雑音と意図の隠された歪みと2種類の雑音がヒエラルキーの頂点に伝わることになる。それが情報の力学である。もうひとつの、地位の力学とは、地位が生み出す錯覚の力学といってもいい。錯覚とは、ヒエラルキーの頂点という地位に自分があることを単に自分の機能だと理解せずに自分の能力の高さだと錯覚する。そして、自分の出す判断に根拠の無い確信を抱き、また、その判断の結果で動かされる部下たちをあたかも自分の思い通りに動くは機械のようにしてしまうのである。この地位の力学が判断の歪みをもたらすのである。情報の歪みが判断の歪みをもたらし、錯覚を生じさせる。組織のリーダーには、現場想像力が今ほど必要とされる時はないであろう。我が社における現場力とは何か、再考すべき時ではないだろうか。