OBT 人財マガジン
2010.07.14 : VOL95 UPDATED
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豊かさを謳歌してきたことの代償として失ってしまったもの!
筆者は「次世代経営者の養成」や「組織変革の支援」等で様々な企業のビジネスマンに出会う機会が非常に多いが、昨今、とみに感じることのひとつに、『当事者意識の足りない傍観者や評論家的発言を繰り返す管理者層』の多さと『目線が低く主体性が欠如して安定志向が目立つ若手層』 の多さに唖然とする機会が多い。もう一方で日本企業の競争力の弱体化も顕著になってきて多くの産業で韓国企業や中国企業との戦いでも勝てなくなってきている。このふたつの事象は、強い因果関係で結ばれているように思えてならない。日本企業が国際競争において勝てなくなってきていることもさることながら、問題視すべきは、敗北という実態に接してもさほど悔しさや怒りを覚えないビジネスマンが非常に増えていることである。これはスポーツの世界にも象徴的にあらわれている。例えば、アフリカW杯では、2002年の日韓大会以来2回目の決勝トーナメント進出したが、1回戦でパラグアイに敗退。この結果にマスコミ等多くの日本人の感想は「感動を与えてくれてありがとう」ということに代表されている。例えば、決勝戦まで勝ち残って惜しくも敗退し2位であったというのであれば「残念ではあるが本当によく頑張った」といえるであろうが、「ベスト16に入った」というレベルを「本当に頑張った」と捉えるべきであろうか。これが「今の日本を象徴」しているように思えてならない。求めるレベル、設定しているバーが低く過ぎないだろうか。そもそも自ら設定しているバーが低いところで「よく頑張った。感動をありがとう」なんて言っているからますます弱体化していくのである。敗れる、勝てない、或いは売れない、収益が下降している等といった事実ときちんと向き合ってそのことに怒りを覚えなければ、心から、頭を使って、知恵を出して、勝ち抜くための努力を本当にするだろうか。難しくてもそれをクリアして戦い抜いて勝利するといった思いや志が全般的に非常に希薄になってきているように思える。識者の方々の主張である輸入物の「ワークライフバランス」や「余暇生活の充実」等といった"出来るだけ働く時間を短くする"という指向は、我々にとって本当に正しかっただろうか。『働き過ぎ』ということが『何をもってして働き過ぎ』と言っているのか『どこと比較して働き過ぎ』なのか、逆に『働き過ぎで何が悪い』のかということをきちん検証しないまま単なる輸入ものの情報をステレオタイプに唱えてきたことが、一体、日本という国に、そして我々日本人に何をもたらしたのか。仕事の質、スピード、業績、競争力そして仕事に対するコミットメント等あらゆる面において韓国等の企業にはとても対抗しえない。喪失していったものはあまりに大きいといえる。「幸せで恵まれている人達は当面の安泰と満足を得ることに力を尽くすが、決して長期的な視点から物事を考えて行動しようとしない」という見解。そして「当面の最適さを求めてそのことを繰り返していくことが、長期的には大きな過ちにつながる」という見解。これは、まさに今の我々、日本を暗示しているのではないだろうか。識者といわれる連中の主張である、技術志向の強さが日本企業の強さを失わせた、だからこれからは技術経営(MOT)が重要等といった、またしても輸入もののレベルの低い議論を繰り返すだけでは何ら本質的な解決にはならない。後々振り返った時に「ただただ間違ったことを一生懸命やっていたに過ぎない」ということにならないことを切に望むばかりである。