OBT 人財マガジン
2010.05.12 : VOL91 UPDATED
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海の向こうで見た100年企業
「100年に一度の経済危機」「100年以上の実績のある」「100年に一度あるかないか」或いは「1世紀にわたるプロジェクト」等等、
100という単位は極めて多岐にわたって使用されており、時間としての概念を超えて、長い時間或いは卓越したという意味での強調表現として使用されている。
いずれにしても、100年というのは、単なる時間の概念を超えてそこにはいろいろな困難に遭遇しながらそれを乗り越えて現在があるというようなある種の凄まじさを
感じさせる言葉でもある。
先日、ハワイ諸島マウイ島の東にあるハナという小さな街を訪れた。
ハナは「ヘブンリーハナ」と呼ばれ、1927年にニューヨーク、パリ間の大西洋単独横断飛行に成功したチャールズリンドバーグもこよなく愛した土地で、この地で最期を
むかえた本人の墓標が海を臨む静かな丘に建てられている。
ヘブンリ-、天国と呼ばれる土地だけあってここまで来るのはなかなか大変である。
マウイ島の中心部よりクネクネした細い道を50kmもドライブしなければ辿りつかない。
とりたてて見所や派手なものは全くないが、のんびりと草を育む馬や時間がゆったりと流れている海を見ていると、天国という意味が次第に理解出来るようになってくる。
ここで唯一のホテルがハナ・マウイ、東京ド-ム5個分の敷地に、客室は93、TVも無ければ
エアコンも無い。
ハナには、ネィテイブハワイアンが多く居住し、ここで生まれた人達は交通や生活の不便さは
あってもこの土地を離れたがらないそうで
あるが、常時、ストレスや時間に追われて生き
ている身からすると、とてつもなく贅沢な時間と
空間である。
街で、唯一のスーパーマーケットは、平屋建の
「ハセガワ・ゼネラル・ストア」という雑貨屋である。
その名の通り、食料品から雑貨、釘や金槌、
オモチャ、お土産の類まで狭い店内に何でも揃って
おり、更にはATMマシンまで備えられている。
ホテル・ハナ・マウイを毎年訪れていたミュージシャンが"何でもそろう"「ハセガワ・ゼネラル・ストア」と
いう曲を作り、それがハワイで大ヒットしたことから
あまりにも有名になってしまったお店である。
「ハセガワ・ゼネラル・ストア」は、広島からマウイ島に移民してきたハセガワさんが
1910年に開業した店で、今年で創業100年、まさに海の向こうで見た日系
長寿企業である。
日本からハワイへの本格移民が始まったのは今から125年前の1885年と
いわれている。
日本の農民がハワイの砂糖きびプランテーションで3年間労働するというものだったそうであるが、当時の日本国内は、増税、余剰人口や経済問題の深刻化で
地方農村の経済が大打撃をうけ多くの農民が土地を手放したり、借金に苦しむ
という事態に追い込まれ、家族の窮状を救うために農村の若者たちはハワイへ
出稼ぎに出てその多くは3年間の契約終了後もハワイに残ったといわれ、
ハセガワ氏もその一人であった。
「ハセガワ・ゼネラル・ストア」のステッカーには、こう記されている。
I SURVIVED THE HANA HIGHWAY
"我々は、ハナハイウェイを生き残ってきた"ハナにくる道はそれほど過酷であるということをこのステッカーは言っている
のであろう。
おそらく、大変な辛苦を極めた中でヘブンリーハナに根付いてここの住民に愛され
続けてきた「ハセガワ・ゼネラル・ストア」は、まさにSURVIVED、長生き、生き残り
の歴史であっただろうと往時からの状況を推察するに同胞として胸が熱くなる。
海外で仕事をすることを嫌う昨今の若者達、安全・安定志向が蔓延する現在の日本の
風潮を「ハセガワ・ゼネラル・ストア」の創業者ハセガワさんは一体、天国からどのように
見ているのだろうか。
On the Business Training 協会 及川 昭