OBT 人財マガジン
2010.04.07 : VOL89 UPDATED
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標準化の呪縛から解き放たれる時代の到来!
1989年の東西冷戦終了後から世界を単一モデルとして、米国標準=世界標準、
グローバル化=米国化といった世界を米国スタイルで染め上げようとする一極
集中時代の終焉を迎えつつある。
新興諸国の台頭により多極化に向かう世界の中で、例えば、経済の国際化、
市場化、金融化等が促す会計基準の統合等も世界では、国ごとに制度も
企業の実態も異なるという現実を踏まえた上での柔軟な対応が必要となるという
のが昨今の状況であろう。
また、日本国内を見ても1人暮らしが数の上でトップを占めている現状では、
かつての標準世帯なるものの概念は今や成立しなくなってきているにも
かかわらず、マスプロダクション、マスマーケティングに代表されるニーズを
ひと固まりに捉える大衆という時代のパラダイムが未だに根強く残っている。
頭では、大衆ではなく、分衆、そして個という捉え方が必要と言ってはいる
ものの、実際の行動となるとすべからく標準化という呪縛から解放されていない
というのが現状である。
生産方法の標準化、商品のパッケージ化、営業方法の標準化、或いは
フレームワーク化等等限りなくいたるところに標準化の世界が蔓延している。
この背景にあるのは、顧客のための標準化では決してなく、すべからく、売り手の生産性、効率性が起点となった供給者の論理から発しているものである。
作るコストの低減、頭を使う必要なく誰でも売ることを可能とするための
標準化等、1900年代初頭に確立されたフォード生産システム時代の価値観を
脈々と引きずったパラダイムは、今や大変滑稽以外の何物でもない。
とかく組織が大きくなると現場から遠く離れた中央でスタッフが集まって現場の
具体的な事情を見ないまま、あれもこれもという問題点を羅列し、長い時間を
費やし、全体最適的結論を出そうとする。
或いは全体の効率を重視するので、大都市の大きなマーケット、実績構成比の高いマーケット、新しいマーケット等を標準にした政策を決定する。
逆に地方の古いマーケット、小さいマーケット等、実は圧倒的多数にのぼる
局地戦は放置している。
これに加えて、多くの管理項目を設定し、複雑なクモの巣のような予算を編成
して全ての項目の達成を求めようとし、そして中央でコントロールしようとする。
重要なことは個々の現場で起こっていること以外何もないのである。
ひとつひとつの局地戦の勝利に有効な問題解決の積み重ねこそが実績である。ひとつひとつの局地戦略の合計や平均値という虚像を見て全体計画の策定、
打ち手の決定等前近代的な全体主義のマネジメントが行われているのが
実情である。
個々の現場が困っている問題点は長い間放置され、そこには不信感と諦めが充満している。
例えば、拠点が100あれば、100の局地戦があるわけで同じ戦い方は
ひとつも存在しないのである。
顧客特性、競合、全てが異なる。
そうなると求められる武器も違えば戦いを優位にするための作戦も違う。かつての高度成長時代と異なり、現在の戦いは、ひとつの局地戦でどれだけの
勝利を連続的に手にするかが全てである。
つまり、ひとつひとつの異なる戦いにどれだけ有効な手が打てるかで決まり、
局地戦に勝てない戦いは全体の敗北につながってしまう。
標準化とは、その流れに携わる人達全てに「頭を使う必要性を排除させる」と共に
「顧客は何もわかっていない」という考え方が根強く存在しているのである。
もう、そろそろ標準化、パッケージ化、フレームワーク等といった、いってみれば、
「考えなくさせる、頭が悪くなる」呪縛から自らを解き放ち「自分の頭を使ってより
精緻な答えを導き出す」ことが現代の経営であり、ビジネスであり、生きる
ということだと心から理解すべき時機を迎えているのではないだろうか。