OBT 人財マガジン

2009.10.14 : VOL77 UPDATED

経営人語

  • 淘汰は本当に悪いのか

    淘汰とは、 「不必要なもの、不適当なものを除き去ること」

     「環境に適応した生物が子孫を残し、他は滅びる現象のこと」  をいうそうである。

    時代の移り変わりの中で新しいものが生まれる一方で古いものが壊れていくということはよく起こる。

     

    今の日本はまさにその流れの入り口にあるといえる。

     

    これは人間の営みの宿命のようなもので、その時古いものにしがみついたままでいると

    組織も人もそれと一緒に壊れていかなければならなくなってしまう。

     

    全体が発展していくためには、古い物が残ることで新しいものの発展の妨げになる。

    より強い企業を作る時には、弱い会社が死んでその肥やしになる事も必要なのである。

    それは森林等で行われる間引きのようなものである。
    森を育てる時、まずたくさん木を植える。 そして成長過程で日当たりが確保できるように

    増えてきた木を間引き残った木はより強く育つ。


    その反対に、銀行やゼネコン等で護送船団方式に代表される庇護によって大きくなってきたが

    競争力が身についていないというのは典型的な例である。

     

    全ての産業が、時代の変化の中で衰退期を迎えると共に

    企業もまた、萌芽期、発展期、成熟期、衰退期へと向かっていく。

    これは誰にも避けることは出来ない宿命のようなものである。


    衰退期に入った企業が生き残るためは、2つの選択肢しかない。

     

    ひとつは、それ以上の成長をあきらめて小さな市場をしっかりと守っていくことに活路を見出すという選択。

    もうひとつは、従来とは異なるものを生み出すことに活路を見出すことで次代の成長を目指すという

    生き方である。

     

    こうした成熟期から衰退期への流れは、奈落の底に向かって一気に進むようなものでない。
    発展するのに数十年かかったとすれば、落ちていくのにまた数十年かかるというのが一般的である。

    緩やかに落ち続けるというのが衰退期にある企業に見られる典型的なパターンである。 

    然しながら、早い段階で別の手を打つということは、MBAの教本や経営コンサルタントの理屈のように

    簡単にはいかないのである。

     

    特にピークにある時には、 「自分がすでに衰退の入り口にいる」 ということは

    なかなか自覚できないものである。

    ピークの時の思考というのは、このままの状態が永遠に続くと考えがちなのである。

     

    何故であろうか。

     

    それは、長年の経験と学習で疑う余地のないものとして常識化してしまった判断にあるのである。

    例えば、「組織は継続を前提としている」というものがある。

    終身雇用の慣習は崩れつつあるとはいえ期限を限定しない雇用契約を結ばれている多くの社員にとって

    会社の継続は暗黙の前提となっているはずである。

     

    「前年対比伸び率」や「中期3ヶ年計画」といった言い方に、「企業は継続するんだ」という

    暗黙の前提が含まれているのである。


    また、組織に関する常識的な判断としては、

    「組織にはマネジメントのための階層が必要である」/階層性の原則や

    「組織にはウチと外を区別する境界がある」/境界性の原則等がある。

     

    これらはその全てがこれまでの長い間の経営やマネジメント上の経験と学習から培われ

    暗黙のうちに前提化してしまったものに過ぎないのである。

    これがある限り新しい発想と行動は容易に生じないし、新しいものが古いものにとって代わっていくことなど期待できない。

    現在のような大きな変革期には、長い間の経験が変革や課題解決の大きな障害になってしまうのである。

     

    外的環境が大きく変化しているにもかかわらず、少しの変化で済ませている内にその乖離が

    どんどん大きくなっていく。そして、臨界点を迎えたときに爆発し、変わることが出来なかったツケとして

    一気に跳ね返ってくるというのが現実である。


    それは、本来、変わることが求められているのにもかかわらず、自ら変わろうとしなかったことにより

    必然的に生じる人災といえる。然しながら、多くの経営に携わる人達はそれが理解できずに、

    「いかにも想像していなかった予想外のことが自分達の身に降りかかった」 ような見方をする。

     

    我々が真に学習すべきことは、2つある。

     

    ひとつは、人間は、客観的な外部環境に対して反応しているように見えても、

    それは我々が自分の主観を通して認知した、外部環境に対して反応しているのである。

    特に人と人との関わりにおいては、自分が相手の人物をどう見たかによって判断が全く変わってくる。
    相手をどういう存在(信頼できる/信頼出来ない等)と規定するかによって対応は大きく異なってくる。


    これは、その相手に対して反応しているというよりも、自分自身の中に構成されている心理的事実に

    反応しているのである。

     

    もうひとつは、本質論やあるべき姿の重要性は理解しつつも、つい目の前の現実対応に走りがちなことである。
    然しながら、そのような「その場しのぎ」の対応が問題をいっそう拡大し、解決を困難にしてしまう場合が

    非常に多い。

     

    「将来よりもとりあえず目の前の業績から」

    「急ぐからとりあえず結論を出す」

    「不十分ではあるがとりあえず了解する」 ・・・・・。

     

    「とりあえず」の意味は、「考えるより行動」、「議論するよりも行動」といった意味合いが強く

    「考える」という「思考プロセス」を軽視して「何かしていれば何とかなる」といった

    「成り行き主義」に陥る傾向が強く、これが「その場しのぎ症候群」となってしまうのである。

     

    目の前の仕事に追われることによって 「元を断つ」ということを忘れてはいないだろうか。
    目の前の仕事を一生懸命やることに気をとられ、本来やらなければならないことをやらずに

    さほど重要ではない別の仕事を生み出していないだろうか、考えてみる必要がある。

     

    これまでの、「コスト削減や営業努力」といった経営施策では、持続的な成長は勿論のこと

    「生き残り」も難しくなるような昨今の状況下でも、緊急避難の連続のような経営やマネジメントが行われている例は

    ことの他多いのである。