OBT 人財マガジン

2009.08.11 : VOL73 UPDATED

経営人語

  • Nobless Obligeに学ぶ専門家の精神と倫理観!

     

    テレビドラマ『官僚たちの夏』が好評を得ているようである。

    戦後日本の高度成長の土台となった産業復興、特に製造業の育成・強化に懸命に取り組んでいる姿が描かれている。

     

    共鳴を呼ぶ点は、自分たちは、「国家に雇われているのであって政治家に雇われているわけではない」

    という信念に基づき、「国家の経済政策は政財界の思惑や利害に左右されてはならない」と

    ひたすら日本の発展のためにがむしゃらに突き進む姿であろう。

     

    そこには敗戦国から独立国家として立つために「国内産業の体質強化を図る」必要があるという

    強い使命感を感じさせる。

     

    「強い使命感と高度な政策立案能力」を持った官僚達と企業家精神にあふれた経営者達の思いが

    日本企業に技術革新を促し、大きく成長させたことが飛躍的な需要を生み高度成長につながった。


    いずれにしても政治とは別の次元で「日本の復興と発展」のために、国益の実現という観点で

    職務に邁進していた姿がこのドラマから窺うことができる。

     

    然しながら、昨今の状況はどうであろう。


    時代や環境が大きく変わって、日本国内需要は、構造的な低落傾向に入っても

    高度成長期に培われた、金融制度、福祉、農業等といったいろいろな分野に関わる規制や保護政策が

    取り払われる気配は全くない。


    省益と業界の既得権益維持が日本経済の長期的低迷と国際競争力の低下を生み出し

    国益という視点に欠除しているということが全く理解できていないのであろう。

     

    社会保険庁や厚生労働省のたび重なる不祥事等に代表されるように、国益や国民のためにという観点の無い仕事は

    何らの尊敬にも値しないものである。

     

    かのドイツの社会学者であるマックス・ウェーバーが、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」

    という論文の中で述べている。


    信仰が薄れ、資本主義を内側から駆動する精神が弱体化すると

    営利追求が自己目的化し、金儲けのために金儲けをする輩(やから)を生み出す。
    ウェーバーは、この種の人間を「精神のない専門人」「心情の無い享楽人」と評しているのである。

     

    官僚という行政や政策立案の専門家が何のために仕事をするのかということが

    今まさに問われているのではないだろうか。

     

    課せられているミッションの認識がないままにまた、仕事を通じて何を成し遂げたいのかという思いを持たずしては

    何事も成すことは出来ないであろう。

     

    「どのような考え方で政策を立案するのか」「その政策は国益に沿うのか」等
    個人的な利益や地域のことだけではなく、日本の運命を考える、それが自分たちの仕事のミッションであるという

    「専門家としての精神」から全てが始まるのではないだろうか。

     

    徳富蘇峰氏曰く「志在天下」、大きな志を持って仕事を行うということに尽きるのではないだろうか。

     

    リーダーは、本当に悪い時には、自ら率先して先頭に立ち、良い時には後ろに控えるという

    ヨーロッパでいう「高い地位や身分に伴う義務」を持ち、国のため、社会のため、人のために

    自分を犠牲に出来る高い倫理観を持つことが、日本の針路が厳しく問われている今だからこそ

    リーダーといわれる人たちには強く求められるのでないだろうか。

     

    いかなる仕事であってもすべからく自分の「仕事の対する精神」と「仕事に対する倫理観」であろうことを

    改めて思い知らされる。

     

    「精神の無いの仕事」、「倫理観の無い仕事」は、生きるためのただの生業にしか過ぎず

    そこには仕事を通じて周囲に何らの感動も与えることも出来ないだろうし

    また、自らも何も得ることが出来ないであろう。