OBT 人財マガジン
2009.06.24 : VOL70 UPDATED
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我が社にとって「正しいこと」と「効率のよいこと、生産性のいいこと」を混同しないこと
昨今、どこの企業に行っても大方
「国内市場が縮小傾向に入っているので海外に展開して成長の活路を・・・・」
とグローバル戦略論を語る経営幹部が多い。
然しながら、この主張にもいくつかの疑問を感じざるを得ない。
ひとつは、海外に自社製品の販売活路を求めて進出するというレベルの話をグローバル戦略と
表現すべきなのかどうか。
グローバルという意味を本当に理解できているのだろうか。
もうひとつは、進出国、進出地域で「自社のビジネスモデルをどのように進化させてくのか」という視点の欠如である。
生産コストの安さだけ求めても、高い市場性というところに対象を求めてもどこの国でも経済成長と
共に賃金は必ず上昇し、スキルも向上し即競合化していくという構図は必定である。
自社のビジネスモデルを進化させていくという意味は
「世の中がグローバル化すればするほどその一方で地域化の重要性が増す」という視点である。
グローバライゼーションは、情報・カネ・人・モノの流れの中に、個を埋没させてしまう動きである。
個を埋没させるような動きが高まれば高まるほど人と人との直接的なつながりや交流がより望まれるようになるのは疑いのないところである。
例えば、現場で工夫する自由が仕事のスキルを向上させる、それぞれが個性を発揮して工夫して周囲の優れた点を共有し、それが組織としての強さへと発展していく。
例えば、経営統合やグローバリゼーションといった流れに抗らい減益なからも黒字を維持したホンダ。
技術の裏付けのある製品を出し続けること、顧客や市場とどれだけ真剣に向き合えるか等ということが世界を一色に染める均質化にはいかせないところであろう。
「ホンダであり続ける事ことはどのような経営を行うことなのか」といった意味への問いかけが独自性や競争力につながっているのであろう。
米国一極集中体制がゆらぎ、新興途上国の存在感が増す中で、均質化から多様へと向かう方向が変われば
企業の経営、戦略も一様ではなくなる。
単なる、コスト低減や市場性といったレベルでのグローバル化ではなく
「我が社にとっての海外展開とは」「我が社におけるグローバル化とは」
といった根源的な問いかけを行うことが無用な過ちをヘッジすることにつながるのではないだろうか。