OBT 人財マガジン
2009.05.27 : VOL68 UPDATED
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学習しない組織
かつてトム・ピ-タ-ズとロバ-ト・ウォ-タ-マンによる
「エクセレントカンパニ-」から始まり、TQMが注目を浴びそして
ビジネスプロセス・リエンジニアリング、コア・コンピタンス
さらに学習する組織等一連のアプローチがもてはやされた。これは、企業活動の盛衰は、戦略論よりも
その企業の内部に存在する資源のレベルに規定されるという考え方に立脚している。
資源のレベルによって選択できる戦略のレベルが限定されるということを考えると
極めて当を得た考え方といえる。企業活動の盛衰を組織学習という視点で捉えてみると、
組織変革、人財育成という領域で日々多くの企業に関わっている筆者からすると
非常によく見えてくるものがある。
要は、"学習している組織"か"学習しない組織"かで
企業活動のパフォーマンスに決定的に違いを生じるということである。学習しない組織の背景に存在するのは、
1.組織に影響力を有するリーダーの"私の教育論"の弊害
多くのビジネスマンの誰もが被教育経験を持っているが、
そうであるが故にその経験に照らして展開する「私の教育論」は
ともすれば弊害をもたらすことが多い。特に企業内の人材教育をマネジメントする立場にある人間の被教育経験からくる
「私の教育論」は限定的な一事例を根拠にその企業全体の教育システムを論じる時、組織内でその弊害は顕著となり、
学ぶということに非常に消極的な組織が形成されていくのである。
2.経験による育成への過度な依存
現実のビジネスは、理論上の成果とは異なり、不確実、不安定且つ矛盾と混沌の中にある。
このような中で実践力を身につけるためには、
現場での経験が必要不可欠であることは論を俟たない。然しながら、それは教育活動の不要を意味するものでは決してない。
効果的、効率的に"経験から学ぶ"ためには、
高度な"省察と概念化"といった能力やスキルが極めて重要となる。例えば、経験の中から他に転用しうる有効な知見を的確に抽出することは
かなり難易度の高いことである。そのためには、現在、受講者が身を置いている状況や組織から一歩抜け出し、
彼らのパラダイムとは異なる視点から考察できる第三者の存在が必要なのである。理論を覚えるのではなく、
"自分の経験を映す鏡"として捉えられる姿勢が明確であれば
経験による育成と学習とは全く矛盾しないのである。ビジネスマンが、仕事経験や体験によって学習発達していくことは間違いないが、
これに過度に依存することは非常に危険でもある。経験というのは、ひとつは、
非常に大きな学習資源になりうるという反面で過度にこれに依存するあまり
"新しい知識や情報を受け容れない" "今更こんなものは役に立たない"等
極めて不遜な態度や姿勢となりがちで、学ぶということへの姿勢が非常に欠如してしまう。
このような見方は、1個人のレベルに決してとどまらず組織全体に蔓延していくのである。
また、仕事経験や体験のみを育成と呼ぶには
あまりにもアットランダム的で無駄も多い。
何故ならば、現実、間違った人に間違った学習を強いている場合も非常に多いのである。
例えば、次世代のリーダーを育成する場合、正しい候補者たちに、
正しい手順と正しいやり方で学習させないと実効は決して上がらない。
更に、現在のような変化の時代には、多くの企業が新たな領域に足を踏み入れ、
これまでとは全く異なる事業活動を進めて、生き残りを図ることが常態化しており、
一歩譲って既存の領域に留まる場合であっても、複雑且つ大きな環境変化に対応するために、
これまでの事業活動そのものを大きく変えざるをえない状況になってきている。このような時代には、新たなものを生み出せる能力が極めて重要となり、
そのためには経験のみに依存した育成では極めて心もとない。
また、経験が育つということが経験に規定されるということであれば、
企業内の能力開発のセクションは不要ということになる。
これから先のビジネスの世界が"知的資産"や"人財の優劣"が企業の競争力を規定する等と
いくら言葉で言っても単に言葉が踊っているだけで、上述のような言動やパラダイムを身近な自組織内から除去していかない限り、
絵に書いた餅と化していくであろう。
このような組織では、経営施策、各種の決めごと、問題解決のためのプロジェクト等
ひとつひとつが所期の目的通り推進されず、霧散霧消していくという傾向が顕著であり、
まさに"学習しない組織""学習出来ない組織"であるということを
認識するところから全てが始まるのではないだろうか。On The Business Training 協会 及川 昭