OBT 人財マガジン
2009.03.25 : VOL64 UPDATED
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不安定さが増す事業環境の中でこれまでの前提を打破する必要性!
前提とは、Wikipediaによると"推論の出発点となる命題"のことをいうと表現されている。
我々が何かを判断し、行動する際、すべからくこれまでの前提に基づいている。
すべてはこの前提に規定されているといっても過言ではない。例えば、日本を取り巻く経済危機と人口危機。
2つの深刻な危機が年金、財政、雇用市場に大きなダメージを与える。
調べてみると、年金や医療制度の原型ができたのは、
高度経済成長と生産年齢人口の急増が重なった1960年代といわれている。この時期は、日本が第二次世界大戦という敗戦から立ち上がり、
ようやく経済も安定成長期に入り、働く世代である生産年齢世代も増え続け、且つ高齢者がこれほど長生きするといったことはありえないという人口動態を前提とした制度であろう。
然しながら、経済の成長と人口の増加という大前提は崩れ去ってしまったのである。また、米国の一強体制が崩壊といった論議も多い。
然しながら、米国が本当に凋落したのだろうか?新興国の人口等に起因した市場規模による逆転劇ではなく、
先進国から新興国へのパワーシフトが生じ、新興国が台頭してきたというのが実態であろう。政治、経済、軍事力で米国の一強体制といったかっての前提での捉え方ではなく、
経済、政治共に新興国からのイノベーションが生じているという捉え方をすべきであろう。さらに、ソニー等の危機。
以前は労働集約型の組み立て産業であった家電が薄型TV等の登場によって資本集約型に変質してしまった。
薄型パネルの生産には巨額な投資が必要で固定費の負担が重くのしかかるが、
その一方で商品の価格支配力は、川上の流通サイドに完全に移ってしまい需給次第であっという間に値崩れしてしまう。
比較的、手堅く堅調な事業という前提で捉えられてきた家電産業が、TV等の薄型化を機に
半導体と同様のカテゴリーの市況ビジネス型に変化してしまったということであろう。
今回の世界経済危機は、勿論、金融から始まっているが、
もはや単なる経済危機のレベルではなく、
世界の枠組みやこれまで当然のごとく考えられてきた前提や価値観が
音をたててがらがらと崩れ始めたということであろう。これは、例えば、先進国VS新興国、官VS民、
内VS外等に代表されるようなこれまでの前提は全く意味をなさなくなるであろう。今回の危機がどんなに傷が深くてもその傷は時間とともに癒える。
然しながら、そこから見えてくる競争のルールは従来とは全く異なるものとなろう。
新しい戦い方をどう勝ち抜くか。大方の企業の収益劣化は昨秋以降の急性の現象ではなく、
かっての前提から完全に脱しきれない構造的な要因にあるのではないだろうか。