OBT 人財マガジン
2008.10.15 : VOL54 UPDATED
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成功と失敗の分かれ道は賢さの程度で決まる
米国から端を発して今世界中を揺るがせている"金融危機"。
金融工学を駆使して欧米の金融機関が作り出した実体経済と金融資産の格差、130兆ドルになんなんとするバブルが破裂したものである。
いろいろな見方は成立するであろうが、一言で言えば金融資産に極端に過度に振れ過ぎた結末といえる。
時計の振り子の如く、一方に大きく振れるとその振り子は反動で必ず反対方向に戻ろうとする力が働く。
日本のバブルの崩壊然りで一方に過度に振れすぎると必ずゆり戻しが起きるということは過去からの様々な事件等からもわかっているにも関わらず、何故同種のことが起きるのだろうか非常に不可思議に思う。
本来、人間の知恵というものは、先人達の様々な知恵を集積してそれも次第に質の高いものに昇華してきたはずである。
企業経営ひとつとっても過去からいろいろな企業が衰退、滅亡していくという事実に接し経営者はいろいろな知恵を身につけてきたはずである。
破綻したLehman Brothersひとつとっても一般論でいうとかなり優秀といわれている人達が経営に参画していたにも関わらずである。
"行き過ぎの中に"或いは"うまくいっている状況の中に""後々の失敗につながる芽を内包している"という知識も身につけているにもかかわらず、何故、同種のことがたくさん生じるのであろうか。
人間というのは、何か問題が生じると昔からその問題だけを解決しようとする傾向を発達させてきた。
然しながら、昨今のような複雑な環境下で、我々が直面している問題は様々にいろいろな問題と相互に関連しているため、直面する問題に対して我々がとる対処はしばしば他の問題を引き起こすことが多いのである。
何故ならば、我々は決してひとつのことだけを実行しているわけではなく、あることを実行することは全て副次的な影響、複数の影響を発生させているのである。
そしてそれが過度になると時間的経過と共に事態の進行が相乗効果で加速度的に高まり一気に破裂する。そのため混乱もそれだけ大きくなる。
このような視点で考えると今回の金融危機はまさしく"起こるべくして起こった必然的もの"といえる。
"行き過ぎや過度に振れることは危ない"と頭ではわかっていても"自分だけは""自分達だけは""そうはならない"という甘さや驕りから生じている。
相次ぐ、企業の経営危機や経営破綻に見受けられるように"人間というのはさほど賢くはなったわけではない"といえる。
金融も経営も全てが人為的なものである限り、"うまくいっている状況に対する謙虚さ"が重要なのではないだろうか。
このようなことから、我々が学習すべきは、"皆が確信を持っていることが実は一番リスクが高い"ということである。
そのためには、自らが持っている常識
例えば、
・汗を流さずに大きなお金が得られるのだろうか?
・伝統やブランドはどこまで信用できるのだろうか?
・実社会における優秀さとは一体なんであろうか?
賢くなるためには、ひとつひとつの常識の再点検が今後ますます必要となろう。