OBT 人財マガジン
2008.09.24 : VOL53 UPDATED
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経営破綻に見る人や組織のリアリズム
1850年の創業以来、150年以上にわたり世界各地において企業、政府、機関投資家、そして個人投資家に対して総合金融サービスを提供してきたLehman Brothers)経営破綻した。
企業というのは経営的に苦しくなると一方で資金繰りに追われながら、他方で人減らし、そしてもう一方で平時のごとく営業し顧客にサービスを提供しなければならない。
この内、ひとつでも疎かにすると経営も組織も成り立たなくなってしまう。
このような状況の中でさらけ出される組織の生き様や人間の生き様、それぞれの立場と事情を背負いながらその中で必死にある行動を選択していく。
経営危機においてもとにかく自分を守りたい人、会社にしがみつく人、本当は逃げたいのだけど仲間から後ろ指を指されるのが嫌で優柔不断を繰り返す人等様々である。
そこにはいろいろな思いが交錯しているが、紛れもなく事実なのは追い詰められた状況では隠し切れない人間の本音・本質がいたるところで表れてくるということである。
組織や人間の本質は、順調な状況にある日常では全く見えてこないが、追い詰められた局面になると本性がさらけ出されるということである。
そしてその中での経営者の責任の重さ。
地べたを這いつくばってぎりぎりのところで必死になって会社を立て直す。
経営とは無数のトレードオフ、葛藤の中で最適解を見出し、それを実現していく厳しい仕事である。
その矛盾、葛藤を最終的に背負い込み、自社にとっての固有の最適解を選びその結果について責任を負うのは経営者以外にはいない。
かような葛藤と矛盾そして自らの責任で意思決定を行わざるを得ない状況下におかれた時、経営のセオリーやフレームワーク等は何らの有効性を持たないのである。
このような現実の中で、頭でっかちのファイナンス屋が"負債比率が低すぎる""手元流動性が多すぎる"等といったMBA的な経営ごっこと経営の現実の世界とは明確に一線を画したものである。
企業も経営も人もすべからく生き物であり、ドロドロとした現実の中や緊急事態等には、理論や理屈等は全く意味をなさず、残るのはただ"自社をどうしたいのか"というリーダーとしての意思や思いとその状況に対するリーダ-としての"コミット"や"自我関与の深さ"のみが全てを規定する。