OBT 人財マガジン

2008.09.10 : VOL52 UPDATED

経営人語

  • "日本人学生の能力低下"と"日本の国際競争力低下"に相関関係はあるのか?

    教員採用試験に関する不正問題がある九州の県で起こった。

    その後、"わが県ではそのような不正は一切ありません。より一層クリーンであることを今後証明していきます"というコメントが続々と発表された。

     

    この一件から"教師という仕事が、テストの点だけでなく、いろいろな観点から合否が決められていたんだ"ということが始めてわかった。

    然しながら、賄賂を渡してまで教師という職業に就きたいということは、よほど教師という仕事への情熱や思いを持った人達であろうということが推察される。

     

    このように教える側が不正な手段で採用されていたとすると、その一方で教えられる側の学生の入学試験の方はどうなのだろうか。

     

    こちらの方もどうも"いろいろなアプローチがあって全てが公平な条件でとり行われているかどうかは極めて疑わしい"と考えてしまうのは私だけであろうか。

     

    この種の話と昨今の日本の学生の学力低下と全く無関係な事件なのかどうかつくづく考えさせられる。

    そういう意味では、単なる不正の問題ではすまされない。

    まさに日本の将来を脅かす問題だと考えるべきではないだろうか。

     

    少し前の話ではあるが、某日本企業から米国の大学院に派遣されて帰国した人間と食事する機会があったが彼曰く「自分と一緒に米国に勉強に来ている中国、韓国、インド等の学生の学ぶ姿勢やその熱心さそして能力の高さには本当に感心した。

    グローバルということは彼らと競争するということなので日本企業の人材をみた時に、これから先本当に大変だとつくづく思う」としみじみと語っていた。

     

    日本の学生の学力低下の背景にある象徴的なものに学歴秩序を決める入学試験がある。入学試験に合格するためには、よい点を取るということが何よりも重要なポイントになる。

     

    よい点の取り方、それは何かといえば"自分の頭で考えない"ことである。

    要は、出題者が用意した問題の正解を探しに行くというやり方である。

     

    入学試験のみならず、日本の学校の試験というのは本質的にそういう試験なのである。自分の頭で考えることを放棄し、単に正解を記憶できているか、正解を探し出せるかといった学習なのである。

     

    要は、記憶するスキル、探し出せるスキルのレベルの話であって、そこには、自らの見解、自らの考え方、自らの創造性等といった本当の意味での能力は全くといっていいほど必要とされない。

     

    然しながら、そうした試験の競争を真面目にやればやるほど、実社会で生きて行く上で不向きな人間を生み出していくということに気がついていない。

    つまり、どんな状況下でも、どこかに正解があると思って答えを探しにいくのが試験型の特性を持った人間である。

     

    ところが、現実のビジネスやマネジメントそしてリーダーシップ等というのは、ご承知のように正解や公式がないのである。

    マネジメントひとつとっても現実には、厳しい真剣勝負の世界で戦っていく体力、精神力そして人間に対する影響力といった問題なのである。

     

    人間というのは、勝ったときには何も学べず、負けてこそ真剣に物事を考えるようになる動物である。

     

    実社会で本当に上を目指すつもりなら、今やWikipedia(ウィキペディア)で瞬時に入手できるレベルの答えを記憶する、正解を探す等といった実社会では全く意味を持たないスキルを身につけることに時間を費やすよりもむしろ若いときから失敗や挫折、負け戦等をどんどん体験した方がいい。

    そして負けたとき、"自分の心をどうマネジメントするか""どうのようにして立ち直るか"等の体験を通じてビジネスで、人生で、本当に必要なことをまさに自ら身を持って学ぶのである。

     

    例えば、韓国や中国そしてインドの台頭というのは、日本の個々の産業が持っていた根本的なエコノミクスを変えてしまうほどの出来事なのである。

     

    このような状況にこれまで正解とされてきた戦略のPDCAをいかに回そうとも、もはや土台そのものが変わってしまうというのがこれからの国際競争である。

     

    "土台そのものが変わる"という競争に、今の学校教育の在り方で対応していけると本気で考えているのだろうか。

     

    また、企業内で行われている過去の事業環境の中で培ってきた成功体験や失敗体験を前提としたOJTなる代表的人財育成方法で、"土台そのものが変わってしまう競争"に本当に対応していけると考えているのだろうか。

     

    或いは何も考えていないのだろうか。

     

    いずれにしてもこのままでは"グローバルな競争力ある人財が育つ"等といったことは全く覚束ないであろう。

     

    海外留学や数多くの拠点を海外に展開する等個人も企業も物理的には極めてグローバルではあるものの、精神的には全くローカルのままなのである。

     

    どちらにして全体を俯瞰して見るとかなり滑稽な話であることは間違いのないところである。

     

    On The Business Training 協会  及川 昭