OBT 人財マガジン
2007.08.21 : VOL29 UPDATED
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企業統治とは経営者の見識と能力に規定される!
戦後の大創業期から50年以上が経過し、経営者の世代交代が進む。
このような中で改めて企業経営における経営者の重要性を思いしらされる。
企業とは、常に経営者リスクを抱えているのである。経営者にもサラリーマン経営者とオーナー経営者が存在する。
ある調査によると、経常利益率や株価パフォーマンスにおいて、
オーナー系企業の方がサラリーマン経営者の企業よりも優っており、
底力があるということであった。然しながら、経営体制や社風にはそれぞれ違いはあるものの無理に拡大を
続けたオーナー系企業のつまずきが相次いで表面化している。
ダイエー、ミサワホーム、パイオニア、リンナイ、パロマ、コクド・西武鉄道、
日本ハム、不二家、三洋電機・・・・・・・・・。
底力があるにもかかわらず、これは一体何故であろうか?そのひとつの要因は、オーナー系企業の経営パターンがフィットするのは、
「事業構造が単純な場合で国際化した企業、多角化した企業では難しい」
ともいわれている。もうひとつの要因は、一般的にオーナー系企業では、長きにわたって経営に
君臨するため経営支配が強まり権力がオーナーに集中するため社内の
情報の流れが悪くなり、且つ社員は主体性を喪失してしまうというのが
多いパターンである。
経営者が会社に強い愛着を持つ一方で組織が全体的に閉鎖的となり、
社外よりも社内を優先、内向き志向になる傾向が非常に強い。共通するのは、いずれも「企業統治の不在」である。
不在というよりも、実態は、企業統治の制度や仕組みといったものを導入し、
統治の形だけは整えてはいるものの現実の組織はそれに拒絶反応を
起こしているということである。
創業家の経営の失敗の後始末をする側近はいても、その不具合を自らの
リスクをかけて経営者に諫言する側近はどれだけいるのであろうか。創業家主導の経営が負の方向に走ったとき、それに歯止めをかける抑止力が
働かないということであろう。上述の例は、
「求心力であり続けたい」という創業家の思いが突出すると組織の論理と
すれ違い、負の側面が顕在化してしまい会社の致命傷にもつながりかねない
という証左であろう。
本来、創業者は皆、冒険心あふれる起業家であったはずである。
それが時を経て創業家と呼ばれた途端に会社の活力は喪失していく。「企業の存続・繁栄」と「創業家の安泰」との一体どちらが重要なのであろうか。
頭や論理では明確であるものの現実にはそのようになっていない事例が
多いことをどのように考えるべきであろうか。
OBT協会 及川 昭