OBT 人財マガジン
2007.06.13 : VOL24 UPDATED
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マネジメント上の判断・意思決定と企業風土との相関関係
仕事柄、様々な企業の方々とお話し合いする機会が多い。
その中で、特に企業によって随分違いがあるものだと感じるのが、意思決定に関する選択肢のことである。以前、某外資系企業の経営トップが"我が社では決断しないということは罪である"と言っていた。
意思決定を迫られたら"やる""やらない"を判断するのが経営やマネジメントに携わる立場の人の仕事だということを考えたら、これは一見する当たり前のことであるが、然しながら、そんな企業ばかりでは決してない。即ち、"決断しないということを決断する"という決断の先送りである。
この"決断しないということを決断する"ことが自分にとってもっともリスクの少ないことであるということを考えた上でのことであろうが、今の時代、これが最もリスクが高いということに気がついていないのである。我々は、しばしば、組織の優柔不断と無為策はリーダーシップの問題もしくは特定の経営幹部の性格の問題と結論づける。
決断力がないとか、思いがないとか、主体性に欠如しているとか、必要以上に用心深いとうことで責めるのである。
然しながら、それだけで片付けてしまうのは極めて危険な見方であり、組織の本質的な問題解決にはならないであろう。ある行動パターンが除除に日常的な仕事の判断や対処方法として浸透し、時にはこの行動パターンが、重大な意思決定の締めくくりが出来ないという慢性的な無能力状態を招く。
やがてこの行動パターンは、当然のこととして組織内で受け入れられ社員も深く考えることなくそのパターンに従うようになる。
まさに企業風土そのものと化してしまう。
企業風土というのは、組織内での全ての仕事の判断や対処の仕方として組織を構成するメンバーの取り組み姿勢と考え方について、それが当然と考えられている前提のことである。判断や意思決定のパターンと企業風土との相関関係には3つのパターンが見受けられる。
「否定的な意思決定」「同調的な意思決定」そして「分析的な意思決定」である。
■否定的な意思決定組織間の壁、情報の流れの悪い組織というのは、往々にして何事に対しても否定的な意思決定をする。
特に部門間にわたる問題に対しては、自部門に不利益となるということで反対する。
全社よりも自組織、他部門よりも自分の仕事という価値観ある。
また、声の大きい人、よく喋る人の"一見気の利いた話""もっともらしい批判"がせっかく考え出した解決策と、その実行を妨害し、阻止し、全体を制してしまうような風土。
人間が周りを感心させられるのは"肯定する理由を上げる"よりも"うまくいかない理由"を説明する方が圧倒的に多いといわれており、これは、否定的なうまくいかない理由"を考え出すことの方が知的能力が高いという印象を心理的に与えるからといわれている。
そしてこの種の人間が組織内で"次第に出来る人間"として看做されていくのである。■同調的な意思決定
公式の会議や場では、自分達の感じていることを率直に言わない、特に役員会等でも担当外のことには、その担当役員への遠慮が働き且つ専門的なことはわからないというということで立ち入らない。
議案に対する感じ方や問題意識或いは反対意見は出さず等誰も本当のことを言わない。沈黙を守る。
その場では静かに座っている。
そしてその後になって初めて彼らが反対していたことがわかる。
しかし、裏に回ると、特に一対一の会話では懸念や反対を伝える。
このような組織の無責任構造を社会心理学流にいえば"集団の愚考"といっている。
そして新しく入社してくる人たちも従来からいる人たちを見習い、このような組織慣行に従って行動することを学ぶ。
これが一般に認められたやり方だという強力な暗黙の了解が個人の行動を規定する。
■分析的な意思決定非常に分析好きな風土を持つ組織がよく存在する。
こういう企業のマネジャーは意思決定する前に膨大な客観的なデータを集めようとする。
彼らは出来る限り定量的な分析をしようと様々な不測の事態やシナリオを検討するために精力的に努力する。
事前にどの程度調べたのか、"他社は""業界は"というように意思決定の前提が,"自らの意思"や"将来に対する洞察力"といったものではなくすべからく過去や他社の傾向値を基準とする。
これは、比較的安定した環境下では有効であった経営スタイルであるが、過去や同業他社の分析から何も創造性や独自性は生まれず単なる横並びの発想や考え方を醸成しているにすぎないということが理解できていない。
OBT協会 及川昭