OBT 人財マガジン

2006.06.15 : VOL1 UPDATED

経営人語

  • 企業の存在価値とは何か

    長い長い低迷期を脱し、ここにきて企業業績もようやく上向いてきたという論調が新聞紙上等でも目立ってきたが、日本経済がここに来るまでに支払った代償の大きさに訴求したものはあまりにも少ない。
    バブル崩壊後、大変な数の企業倒産が発生し、その負債総額も莫大なものであった。
    然しながら、考えてみると、特定の企業が倒産して多くの人達が何か困ったかというと,勿論、その企業で働いていた社員の方々や負債の負担等倒産企業に直接的に関係している企業や人間は別にしてという前提での話しであるが。

    倒産企業が長い間、提供してきた商品やサービスの供給が突然止まった場合、「我々は、顧客はどの程度困るのか、或いは悲しんでくれるであろうか」等といったことを考えてみた場合、その企業の存在価値って一体何だったんだろうか?

    現実の例でいうと、かって歴史ある老舗の證券会社であった山一證券が消滅した。
    これにより、関連企業も含め社員の方々は大変な苦境に陥ったことは確かであろうが、その一方で、私も含めて山一證券の顧客はどの程度困ったのであろうか。
    山一のサービス、山一の商品が無くなったことをどれだけ悲しみ、残念に思っているのであろうか。

    私の場合でいえば、「山一危うし」というニュースに接し、簡単な手続きで保管證券を返還してもらい、MMFを解約、その支店のすぐそばにあるトップ證券会社の支店に預けた。
    商品はほとんど同じ、手数料も同じ。もともとどこの證券会社でもよかったのであるが、たまたま知り合いがいたので山一證券になったという程度のものである。

    存在価値とは、その企業が持つ優位性ともいえる。
    独創的な技術、創造的なアィデアや知恵、他社に先がける開発力等等が優位性につながるが、いずれにしても「市場や顧客から見て競合との明確に認識できる違いや提供してくれる価値」といえる。

    存在価値を考えなければならないのは、企業組織のみならずそこで働く企業人にも全く同じことがいえることであろう。

    景気回復、業績上向きといった単なる結果指標に一喜一憂するのでなく、ここに来るまで
    払った多大な犠牲から、企業組織が、我々が何を学習したのだろうか。

    喉元過ぎれば暑さを忘れる的な企業風土や企業体質では、質の高い存在価値を構築することは困難ではないだろうか。