OBT 人財マガジン

2006.03.30 : VOL UPDATED

経営人語

  • 社員に対する企業の社会的責任

    周りの景色が桃色づいてきた。
    春眠暁を覚えず・・・・眠気がやたら先走る今日この頃、東京では桜の季節が終わり別れと出会いの季節・・・・・哀しい別れも多いけれど駅や街頭で歩く背筋の伸びたフレッシュマンを見ていると何かずっと昔に私がどこかに置き忘れてしまったものを思い出させてくれとても明るい気持ちにもさせてもくれる。

    新社会人に対するネーミングも時代とともに移り変わっているとのこと。

    因みに20年前の1986年は
      ・期待したわりには変わり栄えせず、同じ材料の繰り返しという「日替わり定食型」
     ・一定方向に入れないと作動しないし、仕事が終わるとうるさい「テレフォンカード型」

    これが今年2006年は
     ・表面は従順だが、さまざまな思いを内に秘め、時にインターネット上の日記を
      通じ大胆に自己主張してくるブログ型。

    時代と共に若者気質の移り変わりはあるであろうが、彼らの後姿を見ていて「本当に自分がやりたいと思っていた仕事を選択出来たのだろうか」「これから先に夢を持てているのだろうか」等とふと思ってしまう。

    最近の調査によると入社3年で約30%の人たちが転職してしまうという時代だそうだが、これを単に最近の若者気質と呼んで片付けてしまって本当にいいのだろうか?いかに転職が当たり前の時代となり、最近の若者がドライといわれる時代になったとはいえ、初めて就職した組織を離れるというのは簡単なことではないだろう。

    転職の理由は、入社前に聞いていた説明や抱いていた状況とその組織の現実が大きく違っていたということである。

    何故このようなことが多く発生しているのだろうか?
    また、彼らが何を基準にその会社を選んだのか、就職情報紙の案内?人事担当者の印象?企業の名前?もしその程度理由で選択しているとしたら人生の意思決定としてはいずれもかなり軽薄といわざるを得ない。

    上記のいずれもが、物売りの宣伝パンフレットと同じでその企業の本質をいささかも表現しておらず、いずれも自分の会社をいかに実態以上に良く見せようとしているかという代物以外の何物でもない。
    会社案内のパンフレットと現実との間には大きな乖離が存在するということである。
    そこには、社会人としては全く素人である人間の人生の選択を誤らせてはいけないという考え方はいささかも存在していない。

    「人に優しい経営」「人財こそ競争力」ということを本気で標榜するのであれば、
    採用戦略の基本方針として、この新人の人生に責任を負っているという経営哲学、企業文化が必要なのではないだろうか?
    そのためには、自社の実情や実態を十分説明し真相を知った上で本人達に意思決定をさせる。

    買い手市場から少子高齢化で若い人達の売り手市場になるこれから、自分達が好むと好まざるとにかかわらず、採用する会社側も、採用ビジネスに関わる企業側も応募者は、物ではなく人間であるという前提で採用の在り方、採用の仕組みそのものを再構築する必要に迫られるであろう。

    まさに企業の社会的責任といえる。