OBT 人財マガジン
2013.03.13 : VOL159 UPDATED
-
第四回【育成の瞬間】成長とは自分を捨てること-前編
-
浄土真宗本願寺僧侶、布教師
松本 紹圭さん
"人の育成に最も重要なことは?"第4回目にご登場いただくのは、浄土真宗本願寺僧侶の松本紹圭さんです。一般家庭に生まれながらも、幼少期に祖父のお寺で仏教に触れたことにより、大学卒業後、仏門へ入られた松本さん。2011年にはお寺の運営をもっと良いものにしていくためにマネジメントの勉強をすべく、インドでMBAを取得。今回は、松本さんに"仏教の教えからひも解く人財育成"について詳しくお話をお伺いしました。(聞き手:伊藤みづほ、菅原加良子)
-
【プロフィール】
松本 紹圭(SHOUKEI MATSUMOTO)
1979年北海道生まれ。東京大学文学部哲学学科卒業。東京神谷町の光明寺所属。仏教の魅力を老若男女に発信すべく、インターネット寺院「彼岸寺」を設立。また、お寺を会場とした音楽イベント「誰そ彼(たそがれ)」や寺院内カフェ「ツナガルオテラ神谷町オープンテラス」を運営。2012年からは、お寺の運営と住職の在り方を学ぶ「未来の住職塾」を開講
インターネット寺院「彼岸寺」(http://www.higan.net)
-
自分の在り様を明らかにする
────松本さんは、現在、仏教を取り入れた様々なお取組みをされていると伺っております(プロフィール参照)。この度は、仏教の観点から、人の育成や経営ついてお話をお伺いできればと考えております。まず、松本さんの仏教に対するお考えをお教えいただけますでしょうか。
仏教の面白いところは、私も10年間お坊さんをやっていますけれども、本当に氷山の一角といいますか、まだほんの一部にしか触れられていないのではないかと思います。どこまで深いんだろう...と思うくらい深いです。
人生のその時その時で抱えている問題や悩みは違いますよね。だからこそ、同じ経典でもその都度響いてくる部分が違ったり、後から振り返ってみて「これはこういうことだったのか」と気づくこともあります。
仏教とはブッダの教えであり、ブッダとは目覚めた人という意味ですから、仏教は目覚めた人の教えであり、みんなが目覚めていくための教えです。ですから、教えをただ聞いていればいいということではなく、それを学んで私たちも目覚めて行くということが大事です。
────与えられたことを鵜呑みにするのではなく、自ら考え、感じることが重要ということですね。
そうですね。知的に理解するということだけでなく、自分の人生において、仏教から頂いた物が身になっていく。我が身が照らされることで、仏教が生きてくるわけです。
そして、仏教は仏道とも言いますから、ずっとその道を歩き続けることが大事です。仏教が私の人生においてどう働いてくるのかというと、我が身の在り様を明らかにしてくれることで、前に進んで行く力を与えてくれる。自分の現在地が分かるということは、迷いから抜け出る第一歩です。
人間は自分の顔は鏡を使わなければ見ることができないですよね。目も外向きに付いていますから、自分で自分を見ることができない。それなのに、人間は自我が強いものですから、自分が自分がという、自分の正しさだったり、そういうところにこだわりますよね。それは、自分が見えていないものがたくさんあるんだってことが見えていない状態なんです。で、わかった気になってしまう。
────大方の人が、自分自身を見る事が出来ていないと言う事ですよね。
はい。つまり、自分が自分と思っているものの不確かさを、あたかもあるがように捉えて生きているんです。たとえば、人は"私"という存在を中心に考えてしまいがちです。そして、私という存在の領域を、不安感に突き動かされて、より拡大して行こう、より他の人よりも大きな物にしていこうと思っているんですね。そういう見方でいうと、人生損か得かという話になってくる。しかし損か得かという見方で生きていくということは、かなり息苦しい生き方です。仏教的に突き詰めれば、「私」という存在の根拠は、本当はどこにもありません。
裕福な人が必ずしも幸福度が高くないというのも、つまりどこまで「私」を拡大しても、不安感は解消されないどころか、大きくなってしまうからだと思うんです。もちろん、今日明日の食べるものがないという状態は解消していかなくてはいけません。しかし、最低限の物が満たされていているならば、本来損か得かという発想ではなく、心をどう自由にしていくのかということが重要だと思います。
────そうですね。確かに常に損か得かという発想であったり、人と比べることによって初めて自分の幸せを実感するという考え方の方もいらっしゃいますよね。
はい。でも、それでは深い幸せは感じられないでしょう。人間は人と人とが繋がりあって生きているんですね。仏教の大切な考え方として「縁起」というものがあります。この世の一切のものは、それそのものだけで成り立っているものは何一つもないと言うことです。
結局、私という人は、人との繋がりや、その他あらゆる命との繋がりの中にしかないんだということです。周りの存在を感じずして、自分自身の今の立ち位置を見ることはできません。そして、その一瞬一瞬で今まさに自分がここにあるということがどれだけありがたい、文字通り"有り難い"ことか、考えてみる。
────日々忙しく生活をしていると、そういったことを考えずに自分中心で物事を考えていたなと改めて痛感します。周りの人の助けや支えによって今の自分がある...。そう思うと感謝の気持ちが湧いてきます。
もちろん人生楽しい事ばかりではなく、辛いことや悲しいこと等いろいろなことがありますが、瞬間瞬間が人生修業であり、幸せは今の瞬間の他にないんだと知ることが大事だと思います。
幸せというのもいろんな語源があるみたいですけれども、幸せって"あわせ"という言葉が入っていますよね。瞬間瞬間に、今たまたま出会っているご縁を、最大限に楽しむこと、最大限享受することの他に、人生はないのでしょう。
────ご縁というと、とてもいいイメージですが、先程おっしゃられたように仏教の考え方から言うと苦難や失敗事もまたご縁であり、幸せということだと思います。しかし、自分にとってプラスの事ならばすんなりと受け入れられますが、辛いこと悲しい事を目の前にして、それを楽しむという気にはなかなかなれませんよね。
はい。しかし、今の地点からいうと。未来に行けるわけでもないし、過去に行けるわけでもありません。未来と過去と言うものだって、その自分の認識の中のものですから。つい未来に意識が行ったり、何であんなことしちゃったんだろう...。というところに気持ちが行ってしまうと、今しなくてはいけないこと、受け止めなくてはいけないことが、おろそかになってしまうんです。それが、迷いの状態だと思います。
事業の使命とビジョンを明確にし、足元を固める
────今起きている事を、受けとめることがまずは一番重要という事ですよね。
そうなんです。自分のことを省みる時間や機会が無くなると自身を見失ってしまうので。それから、物事に対し文句ばっかり言っている人もいますよね。たしかに、自分を客観的に見る作業は辛いものです。変化を迫られるからです。自分以外の周囲だけをみていれば、誰かのせいにすればいい。だから、文句が出てくる。
────私自身も、なかなか自分を見る事が苦手で(笑)周りの人から注意されて、見たくない自分を見て抵抗してしまい、後々反省したりすることもあるのですが、松本さんはそういったことはありますでしょうか。
よくあります(笑)。ただ、自分の感情をありのままに受け入れ、反発したくなる気持ちも含め、そういう人間なんだなと。ハッと気づいて、一歩引いて見るようには心がけています。
特に浄土真宗では、自分のことを愚者と見る視点があります。人間わかってるような顔をして本当は分かってないんだということ。自分が何も分かっていない・出来ていないことがわかるということは、大きな意識転換です。何もわかっていなんだということが本当に腹の底に落ちてくるということは、真理に照らされないとそうはならないわけですから。
────親鸞の言葉で『善人なほもって往生をとぐ、いはんや悪人をや(善人でさえ、すくわれる。悪人ならば、なおさらだ)』と言う言葉がありますよね。
はい。それは、自分のことを善人であると信じているうちではダメで、自分の悪いところや至らないところを深く自覚した人からこそ出てくる言葉だと思います。
────私どもは、企業の人財育成のお手伝いをさせていただいておりますが、トレーニングをしている中で、"自分は何もわかっていなかった..."、と気づいた受講者の方がどんどんブレイクスルーをして変わっていくのを目の当たりにしています。
私は、人が成長するということは、自分を捨てるということだと思うんです。成長すればするほど、さらにどこまで捨てられるかということが勝負になってくる。私も教育現場を持っておりまして、『未来の住職塾』というお坊さん向けのお寺経営塾を開いております。そこに来るお坊さんは、みなさんお寺を背負って来られているんですね。お坊さんも同じなんですけれども、これからのお寺をどうしたらいいのかという話をするんです。その中で、最新の経営学も教えたりするのですが、すると、みなさんそこに何かこれからの経営に対する答えがあるんだと思ってしまうんですよね。
でも、私はまずはお寺をいろんな角度から見てみましょうと言うんです。そこで何が見えてくるかというと、魔法のようなこれからのお寺の突破口など、どこにもないということ。そして「自分はお坊さんとして、絶え間なく精進し続けなくちゃいけないんだ」ということがわかる。
結局、新しいことに飛びつくことではなくて、足元をみることが大事なんだと。そして本当にやらなくてはいけないことを本当にやっていくということ。それに尽きるんだということを知るために、1年間かけてプログラムをやっています。
────具体的にはどのような事をされているのでしょうか。
プログラムの一つですが、お寺360°診断というのをやっています。お寺の住職は、実は企業の社長さん以上に孤独なところがあって、お坊さんにものを申してくれる人がなかなかいないんですね。だから、まずは足元、自分自身を見てもらうために顧客視点というか、ぐるり360度からステークホルダーのみなさんに評価してもらう。お寺のステークホルダーは檀家さんだけではなく、地域社会の人とか業者さん、親しいお寺さんだったり、寺族といってご住職の奥さんとか家族とか、そういう人みんなにアンケートに回答してもらい、それを事務局で集計してレポートとして渡すということをしています。
────私達も教育の際に他面評価は結構使うんですね。ただ、なかなか受け入れられない人もいますよね。
やはり、かなりの葛藤があると思います。でも、お坊さんの面白いところで、ここで仏教が効いてくるんですね。人間の性質としては、自分に対するネガティブな評価は受け入れたくないものですが、自分はお坊さんだという自覚も当然あるので、ネガティブな評価にも目をつぶるわけにはいかないなと。普段から、「仏法とは自分の在り様を照らしてくれるものです」という説法している自分が、客観的な意見に蓋をするわけにはいかないよね...と(笑)。だから苦しいながらもみんな受け入れようとします。
────そこを超えると何か変わりますか?
それは、物凄い変化です。一度小さなプライドを捨てて、自分の良いところも悪いところも全部受け止めてしまえば、それはある意味、自分を捨て去った状態になるわけですよ。ちっぽけな自分が壊される。そうすると今度は、ポテンシャルが100%開いていくことが始まると思うんですよね。空っぽにならないと何も入って来ませんからね。
気付きを得るためには、自身の足元をきちんと見つめること。その為には、自身の至らなさを知る事が重要と語って下さった松本さん。後編では仏教から見た人財育成や経営についてお話を伺いました。
インタビュー後記
今回松本さんにお話をお伺いし、最も印象に残っているのは『成長するということは、自分を捨てるということだと思うんです』という言葉です。
一見すると、成長とは"今までの積み重ね"と思いがちですが、その積み重ねがあるからこそ、過去の経験という狭い枠の中から簡単に答えを導きだそうとしたり、挑戦する前から諦めてしまったりしてしまうと言います。
今ままで培ってきたものを一旦、空っぽにする...。つまり、自分の自尊心を捨てることが必要になります。しかし、それはなかなか出来ないことだと思います。だからこそ、指導者側がきちんと今の現状を伝え、そのことを気づかせることが重要になります。そして新たな考えを入れるためのスペースを作ってあげる(頭の中を空っぽにさせる、変なこだわりを捨てさせる)。そのことこそが、指導者が行うべき任務の一つなのかもしれません。
*続きは後編でどうぞ。
第四回【育成の瞬間】成長とは自分を捨てること-後編
聞き手:OBT協会 伊藤みづほ
OBTとは・・・ 現場のマネジャーや次世代リーターに対して、自社の経営課題をテーマに具体的な解決策を導きだすプロセス(On the Business Training)を支援することにより、企業の持続的な競争力強化に向けた『人財の革新』と『組織変革』を実現している。
-