OBT 人財マガジン
2013.02.27 : VOL158 UPDATED
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第三回【育成の瞬間】背中を見せる教育方法-後編
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風鈴職人
篠原 儀治さん
"人の育成に最も重要なことは?"第3回目にご登場いただくのは、江戸川区無形文化財保有者で風鈴職人の篠原儀治さんです。江戸風鈴の名付け親であり、海外でも職人芸の披露を重ねる他、江戸川区の小学校を対象に職業体験を行う等、多くの人々に伝統芸能を広めていらっしゃいます。職人として、また、師匠として、お弟子さんを育てていられる篠原さんに"伝統工芸を後世に伝える為の育成方法"について詳しくお話をお伺いしました。(聞き手:伊藤みづほ、菅原加良子)
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【プロフィール】
篠原 儀治(YOSHIHARU SHINOHARA)
1924年生まれ。幼いころより、父篠原又平にガラス風鈴作りを学ぶ。57年江戸川区無形文化財認定。16年東京都名誉都民の称号を受章。
篠原風鈴本舗(http://www.edofurin.com/)
東京でただ一軒、江戸時代から伝わる江戸風鈴を作っている風鈴屋
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伝統工芸品に興味を持たせる
────現在、小学生向けに職人の職業体験等を行っていると伺っていますが。
江戸川区は人口が67万人いて、小学校が73校あるんです。それでまず、教育委員会へ行きまして、子ども達が10歳になったら職人の生活を見せる機会を作ってくれないかとお願いしに行ったんです。何故10歳かというと。私が10歳の時には風鈴屋の子どもでしたから、当然風鈴屋をやるつもりでした。でもある時、映画を見に行ったんですね。そしたら、ターザンが出てきて、密猟する人達をやっつけちゃうんですよ。それに感動して、それでアフリカ行こう!って思ったのが、私が10歳の時なんです。
物事や将来の考えが付く頃って小学生の時。その時に職人の生きざまを見せて、自分の進む道を決める手伝いができたらと思いまして。それに、将来の職人もそこから生まれてくれれば良いですよね。ただ、この職人も馬鹿じゃ出来ないんですよ。よく、親御さんに「うちの子馬鹿だから何の職人にした方がいいでしょうか」って言われるんですが、今は昔と違ってそういう考え方だと子どもさんが可哀想。それに、個人で働く職人は売る技術も身につけなくちゃいけないから、今後は大学行って教養を付けたそういった職人さんが多くなるんじゃないかと思いますね。
※左:吹きガラスの実演風景、右:絵付けの作業台
────職人さんも技術だけでは食べていけない時代。これからは、きちんとした考えを持ち、戦略的に商売が出来るようにならなくてはいけないということですね。篠原さんは海外で展示会等もされていると伺っておりますが、それも売る技術の一つでしょうか。
そうですね。日本で売れなくなってきたのなら、売れる所に持って行って売る。でも、外国へ風鈴を持って行っても雑音としてみられちゃうんですよ。だから、アメリカへ風鈴を持って行った時に風鈴の色に意味を付けたんですね。赤は太陽。太陽だから、妖怪とかお化けが寄って来ないとういう魔よけ用。黄色は、マネーで金運。緑色は健康。グリーンがあれば酸素がある。そうすると健康で病気にならないという風に。それで、その翌年にアメリカへ行ったら、クリスマスのツリーにぶら下げてたんです。これは大成功ですよね(笑)。
────いくら技術があっても、買ってくれる人がいなければ、商売としては成り立たちません。しかし、そこに篠原さんは新たな意味づけをし、需要を作ったということですね。それは、風鈴のよさを伝え、新たな消費者を育てているということにも繋がりますね。
はい。買ってくれる人、興味を持つ人を増やすんですよ。ただ、その為には、いろんなことに挑戦することが重要なんです。出る杭になって、ドンドンドンドン頭を叩かれるんですね。出る杭になると世間も見えてきますから。人間は七転び八起きじゃない。失敗してもいいんです。頭をたたかれ続けて、そのうちに良いものが見つかってくるわけで。だから、どんな時も沈んじゃダメなんです。そういう風にうちの若いもんにもいつも言っています。
常に柔軟な考え方をする
────いろいろと挑戦する中で、大変だった経験等ありますでしょうか。
いっぱいありますよ(笑)。昔、絵具屋さんに絵具を買いにいったら、「お金あるのか」って言われて。「ある」って言ったんだけど、「絵具はあるが、お前に売る絵具は無いよ」っと言われたことがありましてね。その時は、本当にがくんと来ました。でも、だったらそこの絵具なんて使わないぞ。と考え直し色々とタウンページで調べて、絵具を作ってくれる人を探したんです。そしたら、凄く良くて、他にも全然売っていない絵具を手にする事が出来たんです。世の中にはそういう手助けしてくれる人もいる。だから、へっこんじゃいけないんですよ。前へ前へ進んで行かなくちゃいけない。
────考え方の転換ですね。しかし、今の子たちは打たれ弱いといわれていますが。
それは、自分が大変だと思うから落ち込んじゃうんでしょう。よく、私もビジネスマンや学校の生徒達の前で話をする機会があるんですけれども、『人間恥を欠いても、欲は忘れるな』と言っています。自分から、積極的に行動しなさいと。結局、待っているだけ、人が何とかしてくれると思うからダメなんです。私は、親の会社が火事になり倒産したこともあり、本当に大変な経験もいっぱいしました。でも、だからこそ生きて行く為にいろんな事に挑戦して来たんですね。
例えば、昔、露店をやっていたこともありましてね。本当は、露店商に入らなければ出来ないんですけれども、渋谷から多摩川までを仕切っている親方がいて、面識もなかったのですが「何かお手伝いありますか」と電話をしたんです。そしたら、「配達してもらいたいものがあるけど、運送屋はいっぱいいる」と。だから、私は「タダでやります」と言ったんです。その代り条件をだして「私の風鈴が売れる場所を1カ所作って下さい」ってお願いしたんです。親方が紹介する場所って、大体ものが売れる場所なんですよ。一晩やって300万円売れる場所もありました。結局それを10年やりましたよ。
そういうこともいろいろやって食べて来たんです。そして、私はそういう姿をどんどんと若い人に見せてきたんです。私の考え方、そして、実際に行動する姿を見せることによって、親方の真似すればご飯が食べられるという見本になろうとね。
────率先垂範で口で言うのではなく、自身の背中を見せる教育を長年して来られたということですね。最後に今後についてお伺いできますでしょうか。
メロディ風鈴を作りたいと思っています。今、日本では音の文化が無くなっています。40年くらい前に風鈴の音も"騒音公害だ"とやり玉にあげられたこともあります。でもそれは、音の響きが、一方的だからだと思います。巫女が鈴を鳴らす、あれは一方的な音ですよね。あれにメロディがあったら、音を楽しむ音楽になります。ここを触ると"ド"とか"レ"とか"ミ"とか。そういった風鈴を作りたいと思います。
────伝統工芸を伝承するということについてはどうお考えでしょうか。
私は、昔からのやり方を変えない、考え方を変えない伝統を良しとしないんです。もちろん、それをお客さんが望んでいるのならいいのですが、文化は人が希望するのもに変わって行くわけですから。だったら、職人も私はこれは出来ますが、これは出来ませんというのではなく、ドンドン開発して行くといいですよね。うちの風鈴だと私が作ると1個1000円いくら、でも孫が作ると1個3万円なんです(笑)。
────篠原さんは江戸川区無形文化財産保有者ですよね。それなのにお孫さんの方が高い商品を作られるんですか。
そういうことなんです。それだけ、今の需要に合っているということなんです。ただ、おもちゃになってはいけないと思いますね。私が、江戸風鈴と名付けたのですが、それまでは、風鈴はタウンページでおもちゃの欄に載っていたんです。でも、違うよと。そこから引っ張り出して、伝統工芸品だよと。だから、もとのものを残しながら、何かを変えて行くようにする。あまりにも変え過ぎてしまうと自滅します。お客さんも先入観がありますからね。ただ、お客様が三角の風鈴を欲しいと言えば、そこからは作ってもいいということです。「もちろん作れますよ」と堂々とね(笑)。
────職人には自由な発想と、時代の流れを読む力が必要なんですね。しかも、それらは、言葉で教えるのではなく、自身で考えさせる事がこれからの職人達にとっては重要だということがよくわかりました。本日は貴重なお話をありがとうございました。
インタビュー後記
自らの後ろ姿を見せて育てる...。
今回お話をお伺いした篠原さんは、常に職人たちの見本になるように、そして、今後の厳しい時代でも職人たちが生き抜いて行けるようにと頭を使い、身体を使って新しい道を切り開いて来たといいます。
"上司が部下を見抜くには3年かかるが、部下が上司を見抜くのは3日で見抜く"といわれるように、部下はよく上司を見ています。つまり、部下が育たないと嘆く前に、まずは上司である自分の日頃の在り方を見直す必要があるのかもしれません。
篠原さんの取材を通じて、上司の率先垂範こそが部下にとってよい刺激になるのだと改めて実感しました。
聞き手:OBT協会 伊藤みづほ
OBTとは・・・ 現場のマネジャーや次世代リーターに対して、自社の経営課題をテーマに具体的な解決策を導きだすプロセス(On the Business Training)を支援することにより、企業の持続的な競争力強化に向けた『人財の革新』と『組織変革』を実現している。
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