OBT 人財マガジン
2012.11.14 : VOL151 UPDATED
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第七回【成長の瞬間】やりがいや目標は自分でつくるもの-前編
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タランテッラ・ダ・ルイジ
オーナーシェフ 寺床 雄一さん
"育つ人と育たない人"の差は何なのか?第7回目を迎える"成長の瞬間"にご登場いただくのは、イタリア料理店オーナーシェフの寺床雄一さんです。「30代で店を持つ」という目標を掲げ、単身でイタリアへ渡伊。7年間の修行へ経て、2011年2月に白金高輪でイタリア料理店『タランテッラ・ダ・ルイジ』をオープン。店内は、イタリアに居る時から少しずつ買い集めてきたという食器やタイルなど、調度品に溢れ、自慢の石窯も本場ナポリの職人を呼び寄せ作るほどのこだわりぶり。明確な目標があったからこそ、辛いことも乗り越えられ、夢を実現することが出来たと語る寺床さん。今回は、目的を持つことの大切さについて詳しくお話をお伺いしました。(聞き手:伊藤みづほ、菅原加良子)
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【プロフィール】
寺床 雄一(YUICHI TERATOKO)
1978年東京生まれ。高校卒業後、食品商社へ就職。その後、飲食業(イタリア料理店)へ転職し、20歳の時渡伊。帰国後、2011年に東京白金高輪の閑静な住宅街にお店をオープン。
タランテッラ・ダ・ルイジ (http://tarantella-da-luigi.com/)
イタリア・ナポリの雰囲気が味わえる、本格的な南イタリア料理店。
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行動しなければ、何も始まらない
────このたび"人が育つを考察する"では、人の成長について様々な方にお話を伺っております。寺床さんにおかれましては、食品商社の営業マンから、現在イタリア料理店のオーナーシェフとして活躍されておりますが、今回は、どのようなご経験を経て現在に至ったのか、是非お話をお伺いできればと思っております。では、まず初めに、いつから料理に興味を持たれたのでしょうか?
そうですね。食べることは元々好きだったのですが、正直、学生時代は将来やりたいこととかは決まっていなかったですね。ただ僕は、イタリアのサッカーとか、文化、ファッションとかも好きな物が多かったんです。だから、よくイタリア料理店にも行っていました。それに、サラリーマン時代に僕を指導してくれた先輩の営業マンの方がいて、その方が言葉遣いや接待の仕方などいろいろなアドバイスをくれたりしたのですが、その方と一緒に食事に行く中で外食での喜びというか楽しみも教わり、食事をして楽しめる場所はいいなという思いが出来てきたんです。その頃から、将来的にはお店をやりたいと思うようになりましたね。
────その後、会社を辞められて料理の道へはどのようなステップを経て進んで行かれたのですか?
まずは、自分が修業する飲食店を探しました。食べ歩きをしているうちに、空間も良くて、サービスもお料理も何もかも凄く魅了されたお店があって、そこで働かせてもらいました。でも、1年ぐらいでそこの親会社が倒産してしまって、その飲食店の事業部もなくなってしまったんです。
それで、当時一緒に働いていた先輩4人で、これを機に1回イタリアに行かないかと言うことになって、1ケ月半位イタリアに行ったんですね。そしたら、世界感というか、考え方が凄く広がって、イタリア料理屋さんをやるにしても、イタリアの文化とか生活、イタリアの人達ってどういう風な考え方をしているのか。そして、どうやってお店とか食文化とかが成り立っているのだろうかと、凄く興味を持ち、イタリアで働きたいという思いが強くなったんです。
────それは、お何歳の時だったんですか?
それが、20歳...21歳、ちょうど21になる前ですね。
────では、その時から本格的に動き出したわけですね。どのような思いを持ってイタリアに行かれたのでしょうか。
現地でもピッツァ職人さんとか、料理人さんとかいろんな人達を見ていてこういう仕事は手に職ですし、自分にやりがいが持てる仕事だなって思ったんです。でも、そこだけじゃなくて、僕は経営者にもなりたかったので、経営に関することも色々勉強しなくちゃと思い、どういった考えでお店を経営されているのか等、そういうところをちゃんと見ながら細かい所まで学びたいという気持ちがありました。
────向こうで働くために、語学勉強等されていたのでしょうか。
個人レッスンで、当時東洋大学にいた日本人の先生に学んだりしていましたが、学校に行っていたからといってすぐに身に付く様なものではないので自分で辞書片手に勉強する。そんな感じでしたね。あとは、言葉なので、実際に使って覚える部分が多いと思っていましたので、イタリアに行ってそこで段々と馴れていったり、覚えていった形です。
────ためらいは無かったのですか?
もちろん、ありました。いろんな不安とか、迷いとかはあって、向こうに家族とか親しい友人がいるのであれば、多少は不安も無いのでしょうけれども、そういう人は全く居なかったので、僕としては、何も知らない土地に単身踏み入れて、本当にどうなるかも分からない状況で過ごしました。なので、最初の1年目2年目というのは本当に辛かったと言うか大変でした。
────何が一番辛かったですか?
まずは、住む場所・物件探しですね。言葉も上手く話せないので。それに僕がビザを持っていて物件を探しに行っても、大家さんが保護者的な人がいないと貸せないよ。となるわけですよ。探して行くうちに、そういうのも無しでいいよという所もやっと出てくるのですが。あとは仕事の場でも、最初のころはなかなか受け入れてもらえなかったりましたね。
頑張った結果、みんなが認めてくれた
────イタリアでの修業先はどのようにして決められたのでしょうか。
当たり前なんですけれども、みんな味が違うんですよね。技術も違いますし。だから、いろいろな店に食べ歩きに行って、まずは自分がこの人に学びたいとか、こういう味を出したいと思うところを探したんです。その中で、自分はこの人から学びたいと思う人が2人居まして、そのうちの1人に最初に弟子入りされせもらったんです。
これは後で知ったことなのですが、その方の御先祖様はピッツァのマルゲリータを考案した人で、また、その方自身も自分でピッツァ職人協会というのを創ったりして、とても有名な方だったんです。
────よく、"いきなり修業させてくれ"と飛び込んで来た日本人を受け入れてくれましたね(笑)
そうですね。初めは門前払いを受けましたが、何度かお願いをしているうちに、働かせて頂けることになって。ただ、その方は一度日本に来たことがあって日本びいきなところがあったということも大きかったと思いますよ。だから、日本人なら信用できると。そこは凄く助かりました(笑)。
────寺床さんの熱意が伝わったんですね。しかし、いくら日本びいきでも誰でも雇うというわけではありませんよね。それに、先程も初めは職場でなかなか受け入れてもらえなかったとお話されていましたが、お店のトップの方がOKしてくださっても、一緒に働く方の反応は実際どうだったのでしょうか。
周りの人はまた別ですね。日本の文化を知っている人はいないし、日本人に対しても、興味もないですからね。でも、イタリアの人ってみなさん温かいですから。初めは外国人ですし、言葉もしゃべれないので信用もないのですが、それが、何日か一緒に過ごしていくと段々と心を開いてくれて、認めてくれるところも出来て来たんです。
────信頼関係を築く為に、どういったことをされたのでしょうか?
みんなより早く出勤して、遅く迄仕事をしていましたね。仕事が出来る人って自分よりも2倍~3倍の仕事量を抱えてやっているわけですから、自分がその人と同じ時間過ごしているだけでは、補えない部分がいっぱいあるんです。であれば、仕事を覚えた時に早く来てそれを次々と終わらせる。そうすることによって、その人たちもボンボン別の仕事を教えてくれるし、渡してくれるんですよね。
そうしないと、自分の身にもつかないし、周りのためにもならないじゃないですか。自分が居て、周りが自分の2倍も3倍も仕事をやっているのであれば、足を引っ張っている状況になっているわけで、どんな職場でもそうだと思うんですけれども、入社して1年目、2年目、10年目みなさんそれぞれ仕事の能力とか、慣れとか違うけれども、会社の一員として、そこに貢献するために努力をしないといけないと思うんです。結局足を引っ張っているだけだと、もちろんそこでは給料をもらえないと思いますし、周りの人の為とか、自分のためにもならないと思うんです。
そういったところはすごく考えていました。だからこそ、周りも認めてくれたりとか、仕事を渡してくれたりだとか、教えてくれて、自分も多くのことを学べたんだと思います。
────誰よりも早く来て、必死で学んで行く中で、疲れたり、自分を甘やかしそうになったりする事はなかったのでしょうか?
もちろん、寝不足だったり体調が悪いときもあったのですが、目標があったので頑張れました。まだその時は10年先の目標だったのですが、10年後には自分のお店を持って、こうなりたい。という漠然としたものはありました。その目標を叶える為に、明日は今年は何を自分に課題とするか、そして、学ぶべきなのかをよく考えていましたね。
そうすると、その時その時で、今の自分に足りないもの、覚えなくちゃいけないものが出てきて、一生懸命やらなくちゃいけないという強い意志が沸き起こるんです。そういうのがあって頑張れたと思いますね。それがなかったら疲れたからいいやって思ってそれで終わっていたと思います。
────目標があるから頑張れるのですね。
そうですね。目的とか、目標ですね。当時は特にそうでした。何をやるにしてもプラスのことしか考えていなかったし、常に何か新しいことにチャレンジして、"将来何かしらの形で役立てるぞ"と考えを持っていました。
────新しい事にチャレンジとはどのようなことでしょうか?
僕はオーナーシェフになりたかったので、イタリア料理全体を学ぶ為には様々なことを覚えなくてはいけないと思っていたんです。例えば、まずピッツァの修業だったら、ピッツァイヨーロという専門職なので、それを学ぶ。次にステップアップして今度は、お料理とかお菓子作りとかワインの知識。あとは、イタリアのサービスの仕方も学ばなくてはいけない。なのでその都度、テーマというか自分の中で今はこういうことを学ばなくちゃいけないなと思った時に、次々に新しい学びを求めて動いていました。
────それは、ご自身でお店をオープンしたいという目標があったからこそ、やるべきことが明確に分かり様々なことにチャレンジすることが出来たのですね。
そうですね。あと向こうで頑張っている日本人の人達もそうですし、当時一緒に働いていたイタリア人の人たちも、みんな将来的な目標はそれぞれ違うのですが、熱い思いを持っている仲間が多く、そういう人たちと出会えて話をすることが出来たからどんどん進むことが出来たと思います。
それから、初めは学生ビザでイタリアに行ったのですが、3年目の時は労働ビザを取得していましたし、それまである程度有名なところで修業もしていたので経歴もあり、すんなりと自分が行きたいところ、例えば2つ星でも3つ星でもみんな雇ってくれたんです。だから、僕の中では、ちょっとずつ自信がついきて、向こうでお店を持って勝負してみたいなと思ったこともありました。せっかく自分がここまで築き上げてきたものがあるから、イタリアでやりたいと。
────なぜ日本に戻って来られたのですか?
うちの母親が病気をしたり、入退院をするようになったんですね。それが一番の原因です。その時、家族に大切にしてもらったから今がある。だから、日本に帰って親孝行したいなと思たんです。
それに、イタリア人は家族との時間とか、自分のプライベートの時間を凄く大切にしていて、仕事が第一ではなく、人生が第一で、自分の幸せや家族が一番にきているですね。そういうのを見てきたので、僕もイタリアではなく日本の親元で当初思い描いていたお店を開きたいなと考え方が変わったんです。
ほぼゼロからのスタートだったにも関わらず、明確な目標を持ったことで、一歩一歩地道に進み、2つ星や3つ星のお店にも通用するだけの力を手にした寺床さん。後編では日本に戻り、オーナーシェフとして活躍されるまでの道のりについてお話をお伺いしました。
インタビュー後記
今回インタビューをする中で、寺床さんに対し感じたことは、"行動力がある人"という印象です。 多くの人はやりたいことや、考えていることがあっても、なかなか一歩を踏み出せず、現在の状況を変えられずにいます。例えば、海外に住みたい、転職をしたい等と思っていても、リスクを考え諦めていないでしょうか。 今回お話を伺った寺床さんは「ためらいや不安はあるけれども、何事もやってみなくては分からない」。また、働かせてもらっていたお店では「誰よりも早く行き、誰よりも遅くまで残って仕事をする」というスタンスの下、自身の夢に向かって次々と新たなことにチャレンジをしていました。 物事は、一歩を踏み出さない限り何も始まらない。それは、行動してみて初めて分かることが多いからです。 リスクや不安を並べるのではなく、まずは、ある程度の確信があれば行動してみることが重要なのではないでしょうか。寺床さんのお話を伺い改めて感じました。
*続きは後編でどうぞ。
第七回【成長の瞬間】やりがいや目標は自分でつくるもの-後編
聞き手:OBT協会 伊藤みづほ
OBTとは・・・ 現場のマネジャーや次世代リーターに対して、自社の経営課題をテーマに具体的な解決策を導きだすプロセス(On the Business Training)を支援することにより、企業の持続的な競争力強化に向けた『人財の革新』と『組織変革』を実現している。
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