OBT 人財マガジン

2012.09.12 : VOL147 UPDATED

人が育つを考察する

  • 第五回【成長の瞬間】今までの仕事の枠を超える‐前編

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      株式会社松屋
      特別専門職 バイヤー 
      宮崎 俊一さん


      百貨店の売り上げは、91年の9兆7千億円をピークに、2011年段階で6兆1千億円と37%減っています。そのため、各百貨店では今、大きな分かれ道に来ています。高級路線を貫くのか、それとも安売りにシフトするのか・・・。そのような中、今回お話をお伺いした松屋銀座の宮崎俊一さんは、『高品質な商品を適正価格で』をコンセプトに、独自のルートで調達したイタリア生地を使い、日本の職人が縫い上げる「丸縫い既製スーツ」を作り上げました。選んできた商品をただ並べるだけのバイヤーではなく、売り場に立ってお客様の話を聞き、それを形にしてお客様が本当に欲しいと思う商品を作って行きたいと語る宮崎さん。今回は宮崎さんに、お客様に喜ばれる商品とは何か?そして、モノづくりを担うバイヤーとして歩んできた軌跡についてお伺いしました。(聞き手:伊藤みづほ、菅原加良子)


    • 【プロフィール】

      宮崎 俊一(SHUNICHI MIYAZAKI)

      1965年北海道生まれ。1989年株式会社松屋入社。同社食料品売り場担当後、91年から紳士洋品を担当、96年より紳士服バイヤーとして活躍。2002年から、年2回開催される紳士服の催事「『銀座の男』市」のオリジナルスーツ等の企画開発を手がける。

      株式会社松屋(http://www.matsuya.com/m_ginza/)

      1869年 初代古屋徳兵衛が横浜石川町に鶴屋呉服店を創業。事業内容は百貨店業、通信販売業及びこれらに関連する製造加工、輸出入業、卸売業等幅広く手掛ける。創業以来、常に新たなことへ挑戦する風土があり、デパート初の屋上遊園地やショーウィンドー等を導入。1948年 商号を「株式会社松屋」に変更。
      資本金/7,132百万円、従業員数/569名、年商/60,339百万円(平成24年2月29日現在)

    • 好きなことを貫く力

      ────このたび"人が育つを考察する"では、人の成長について様々な方にお話を伺っておりますが、宮崎さんに関しましては、カリスマバイヤーとして新聞や雑誌でも、その活躍ぶりが紹介されております。今回は、どのようなご経験を経て、現在に至ったのか、是非お話をお伺いできればと思っています。では、早速、なぜ百貨店業界に入ろうとしたのか動機を教えていただけますでしょうか。

      僕は、大学3年ぐらいから具体的にかなり絞り込んで、紳士服のバイヤーになる為に松屋を選んで入りました。当時は、バブルが絶頂期になる2~3年前で、漠然と流通業界に入るとか、アパレルでファッションをやりたいとか、百貨店になんとなしに入るっていう人も多かったと思うんですけれども、僕は、もう紳士のバイヤーに絞っていたんです。

      ただ、その時はまだ迷いがあって。アパレルの方がいいんじゃないかとか、百貨店に行った方がいいのかなとかはありましたね。なので、百貨店とアパレル両方でアルバイトをしながら、内部で色々話を聞いたんです。販売の人とか人事の人とか、『入ったらどんなことをやらしてもらえるんですか?』とか、『スーツのバイヤーをやりたいと思って入社して、やらしてもらえるんですか?』とか、『バイヤーってどうやったらなれるんですか』とか。

      それでいろいろ聞いた結果、たぶんアパレルに入って好きなブランドの担当になれる確率は相当低いと思ったんです。でも、百貨店のバイヤーは、必ずしも全員がなれるわけではないけれど、何とか自分の努力でバイヤーになれるんじゃなかと思って。それに話を聞いていると、たまたま百貨店に入り、偶然バイヤーになったケースもたくさん見たので、もし最初から本気でバイヤーになる気で入った人はもっと行けるんじゃないか、商品知識を深めれば、そんなに難しくなくトップランクまでいけるんじゃないかと。その時思ったんです。今思うとそれ本当の勘違いですが(笑)。何もキャリアもない学生がそう思ってるので。でも、結果的にはその考えは合っていたんです。数十年後にあの時の判断は間違っていなかったなってわかるんですが、学生の時はなんの根拠もないですからね。

      ────では、数ある百貨店に中で、松屋を選んだ理由をお教え頂けますでしょうか。

      簡単ですね。僕は北海道出身なので、わざわざ東京にまで来て、地方の○○支店とかに行きたくなかったんです(笑)。東京のど真ん中で商売したいって思っていました。それで、調べたら東京の真ん中は銀座だったんですね。その中で銀座に本店を持っている店って松屋しかなかったんですよ。

      それに、例えば名刺を海外で渡す時に裏に『GINZA』って入っている方がいいわけですよ。僕は海外に行こうと思っていたので、海外で名刺を渡す時に、名前の有名無名はあっても絶対うちの会社は社名のところに『GINZA』って入る。これだけで全然違うと思っていましたから。

      ────そこまで、考えていらっしゃっていたんですね。しかし、プロフィールを拝見させていただくと、入社して配属されたのが食品だったと書かれてありますが...。

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      そうですね。配属でいきなり食品っていわれて、しかもお酒売り場。当時僕はお酒が全然飲めなくて凄く弱かったんですよ。なのに、なんでこの会社はこんなお酒に向かない人を食品の、しかもお酒売り場に入れて、紳士服をこれだけやりたいって言っているのにって思っていました(笑)。

      でも、折角入れた会社だし、なにより、初めて就職活動で銀座に来た時、この街で働きたい、働くんだったら絶対ココだって思ったんですよ。なので一生懸命頑張ろうと思っていました。ただ、お酒に関して全く分からなかったし、飲めない。それに、ワインとか日本酒は意外に難しいんですよ。それで、当時売りやすい商品はウイスキーだったんです。なにせバブルの時なので、贈答用とかでもよく使われていましたらか1万円とか7千円とか予算言われて選ぶだけなので。それで、これならと思って、"世界名酒事典"っという本があるんですけれども、それには全部テイストまで書いてあるので、飲んだ事はなのですが、スコッチとかバーボンとか産地別に覚えて、せめて聞かれた時に答えられるようにと勉強していました。また、当時僕は吉祥寺に住んでいたので会社が早く終わる日は、1杯だけでも飲む練習をしていました。弱いとか言ってられませんからね。

      普遍的なものの考え方

      ────自分が苦手だと思っていた分野だとしても、それに対し、不平不満を言うのではなく、逆に克服しようと勉強されたのですね。異動したい等の話はされなったのでしょうか?

      会社ではジョブローテーションという制度があり、配属になった時はだいたい2年くらいは動けないので、しょうがないないなと。それで、次で異動出来るかな、というぐらいに思っていたんです。でも、入社2年を迎える前に、松屋が新規の事業で、食品の新しいブランドを入れることになって。しかも僕の居た食品売り場が大改装になってしまったんです。相当食品に力を入れると。その時は、益々異動が出来なくなってしまう。なんで力を入れるんだよって思いましたよ(笑)。

      結局僕はフォション(※)の担当になるんですね。それで、異動は当分無理かなって思い、どうせ動けないかもしれないから、だったら少しでもやる気にならないと、と思ったんです。今のままだったら紳士に気持ちがありながら食品に居るので、どうも根無し草みたな、気合が入っていない気がしたので、食品で頑張ろうと。それで、パリに行ってフォションと、あと当時うちで扱っていたエディアール(※)の本店を見に行ってこようと思って、それで、上司に話をして2週間の休みを貰ったんです。

      ちょうど調べたらパリのマドレーヌに両方本店があることが分かったんですね。しかも住所も近いし、行ってみないと分からないなっと。後はイギリスのフォートナム・アンド・ メイソン(※)とかそういう紅茶も取り扱っていたので。ついでなのでパリ・ロンドンをグルーっと回って本店を見て考えようと。

      (※)フォション:100年以上の歴史をもつパリの老舗食料品店。日本では、紅茶が有名
      (※)エディアール:1854年創業、フランスで最も信用度が高い高級食料品店。紅茶やコーヒー、スパイス類、外国のフルーツ、野菜などを取り扱っている。
      (※)フォートナム・アンド・メイソン:質の高い商品を販売することで知られ、過去150年以上にわたってイギリス王室から王室御用達の店舗として認定されている。

      【現在:松屋では、上記3点のお取り扱いはございません。】

      ────学生時代からの夢であった紳士服から食品へとすぐに気持ちを切り替えることはできたのでしょうか?

      そうですね...。あまりジタバタしてもというのは思っていました。異動したい異動したいってことは、結局ここが嫌だってことじゃないですか。でも、そんな力もないし、今みたいに認められているものがあるならば言えますけど、入ったばかりで何もわかってない奴が主張しても、多分わがままな奴って言われて終わりですからね。だから、自分の中でそこまでは焦りはなかったです。ただ、今はっきりとあの時の2年間は食品で本当に良かったなって思うんですよ。

      ────なぜ、そう思えたのでしょうか?

      それはロンドンへ行ってわかったんです。パリに行ってフォションとエディアールの本店に行ってみて、感動したことがあり、これを日本できちんと伝えたいと思いやる気になったんですね。それで、次にロンドンに入ってフォートナム・アンド・メイソンにも行ったんです。ピカデリーという大きな通りに本店があって、1階に紅茶とか商材がズラーと並んでいるのですが、ロンドンの普通の人が飲む20倍~30倍もの値段がするんです。普通の人が1カ月に飲む金額を1杯で飲んでしまうんです。それで、よく見ていたら店員さんもモーニング着てたりするんですよ。日本みたいに食品売り場の白い上着みたいな感じでは全然ない。

      それで、4階も5階もフロアーがあるので何だろうと思って、まず、3階に行ったら高級な紳士服や靴が並んでいたんですね。結局当時20倍~30倍の紅茶を飲む人はスーツや靴も30万、40万なんです。当然、そういう紅茶を飲むライフスタイルの人への服の提案っていうのはあるべきだっていうのが日本よりも浸透していることがわかったんです。だから、その時、これなんだなって思いましたね。紳士服と食品は全く関係ないと思っていても、すごく関係あるなと。結局繋がっていたんだと。例えば、当時百貨店で、フォションとかエディアールの紅茶を買っている人がバブルで浮かれて買っているのか、本当に生活の一部で買っているのか。もし、生活の一部として買っているとしたら、その人にどういうスーツを提案したらいいのか、食品であっても聞かれてわかった方がいいなと思ったんです。

      それで、帰国して『上司にどうだ。やる気になったか』と聞かれたので、実はパリまでやる気になっていたんですけれども・・・と話をして。それで、食品で頑張らなくちゃいけない気持もあるのですが、自分の役割として、海外でそういうのもを見てきて、次は紳士でライフスタイルを含めた提案という分野を深めていきたい。と話をしたんです。嫌だではなくて。正直に言ったんです。そしたら、1カ月後に異動になって。それで紳士に行くことになったんです。それが91年です。そこから今2012年なので、その間ずっと20年以上紳士ですね。

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      ────実際、紳士に来られてみていかがでしたか?

      そうですね。最初からバイヤーとして仕入れをやらせてもらえるわけではなく、通常最短で7年から8年くらい店頭の販売経験がないとバイヤーになれません。とにかく、希望の紳士に来たのだから、店頭の販売を頑張ろうと。担当で販売専門の人よりも売りたいと思うし。商品知識に関しては、お客様が迷惑じゃない程度に説明をして売ろうなんて思っていたんです。それはもう一生懸命でした。それに僕は異動したばかりでお取引先に行くこともできないし、商品を仕入れる権利も権限もないわけですが、展示会等があれば松屋が取引しているところを積極的に回ったり、松屋が取引をしていないところにも自ら行ったりしました。

      "世界の一流品大図鑑"という本があるのですが、本の後ろのページをめくると住所が書いてあって、それを見て電話するんですよ。『○○見せてもらえませんか』っと。大体はショールームに入れてもらえるんですけれども、話していくと、やんわり言われるわけですよね。『保護者を連れて来てください。あなたは権限が無いから担当のバイヤーにつなげないとお取引が出来ません』って(笑)。それで、僕はバイヤーと一緒に行くんです。そして、話をしてもらったら『宮崎、本当に売れるのか?』っていわれるので、僕は必ずお客様には気にってもらえるのでっとお願いしていました。なので、バイヤーになる前に僕が入れたブランドも結構ありましたよ。

      ただ、当時はまだ仕事は仕入れではないので、店頭で一生懸命に売って。それプラス、バイヤーに頼んで仕入れてもらった商品があったら、それも一生懸命に売る。それで、今週何個売れましたってバイヤーに報告しに行って。僕は間違っていませんでしたよね。っと(笑)それに、お客様は当時バブルの時だったので、元々買える人、値段なんか見なくても買える人たちが来てたんです。だから、正しく商品を紹介すれば、もっともっと売れるという自信はありました。

      ────その売り場は何年間くらい居たのでしょうか?

      5年間ですね。2年間販売をして、3年目の時にアシスタントバイヤーになったんです。だから、それからは保護者を連れて来いって言われなくなって、名刺にもアシスタントバイヤーと書いてあるので、堂々と商談が出来るようになりました。

      ────ついに念願のバイヤーとなった宮崎さん。バイヤーとなってからは一般的な商品を仕入れて販売するだけではなく、自ら生地の購入や製品づくり、販売までと幅広い分野でバイヤーとしての腕を振るいます。後編では、宮崎さんが考えるバイヤーの在るべき姿についてじっくりとお話をお伺いします。


      インタビュー後記

      今回宮崎さんのお話を伺っていて、サッカー日本代表の長友選手がテレビで話していた言葉とリンクする部分があった。インテルでレギュラーを外された時、長友選手は『僕が世界一のサイドバックなら、どんな監督でもスタメンで使うはず。結局自分に実力がなかっただけ』と、自らの立ち位置を受け入れていた。
      人は、他人のせいにするのではなく、自分の足りない部分、そして、やるべきことを明確にすることで成長する。業種は違えど、一流になる人の考え方には共有点があると改めて感じた。


      *続きは後編でどうぞ。
        第五回【成長の瞬間】今までの仕事の枠を超える

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      聞き手:OBT協会  伊藤みづほ

      OBTとは・・・ 現場のマネジャーや次世代リーターに対して、自社の経営課題をテーマに具体的な解決策を導きだすプロセス(On the Business Training)を支援することにより、企業の持続的な競争力強化に向けた『人財の革新』と『組織変革』を実現している。