OBT 人財マガジン

2012.05.09 : VOL139 UPDATED

人が育つを考察する

  • 【教育改革】現行のやり方に異論を唱える(前編)
      ―――言論の自由とは

    • dohi.jpg

      元都立三鷹高校 校長
      土肥 信雄さん

       
      全校生徒の顔と名前を完全に覚え、毎朝学校の校門に立ち、笑顔で生徒に話しかける。また、放課後になると、クラブ活動に顔を出し、率先して生徒と一緒に過ごす元東京都立三鷹高校校長 土肥信雄さん。そんな生徒思いの土肥さんが東京都教育委員会の「職員会議での挙手・採決禁止」通知に対し、たった一人異議申し立てを行いました。 『教育が民主的でなければ生徒も民主的な考えをもてないし、国家も民主的になれない』という信念を貫く土肥元校長。今回は土肥さんに教育改革についてお話をお伺いしました。(聞き手:及川昭)


    • 【プロフィール】

      hon-dohi.jpg

      土肥 信雄(NOBUO DOHI)

      元東京都立三鷹高校校長。現在、法政大学、立正大学非常勤講師。
      1948年生まれ。1972年東京大学農学部を卒業。商社勤務を経て、通信教育で小、中、高の教員免許を修得。小学校、高校教員を経て、2002年に東京都立神津高校校長、2005年東京都立三鷹高校校長。2009年3月退職。

    • oikawa.jpg

      聞き手:OBT協会  及川 昭

      OBTとは・・・ 現場のマネジャーや次世代リーターに対して、自社の経営課題をテーマに具体的な解決策を導きだすプロセス(On the Business Training)を支援することにより、企業の持続的な競争力強化に向けた『人財の革新』と『組織変革』を実現している。

    • 社会の在り方に疑問を持つ

      ────我々は、企業の変革や教育を通じて人の意識や考え方、そして行動変容のお手伝いをさせていただいております。今回土肥さんには教育と言う観点から「改革・変革」についてお話をお伺いできればと思っております。土肥さんは、商社から30歳で高校教師になったと伺っております。

      実は、僕は小さい頃から大学卒業するまで教師にだけはなりたくなかったんですよ(笑)。子どもは基本的に勉強って嫌いなものですからね。僕の経験からいうと、勉強と遊びどちらを取るかといったら、子どもは遊びをとる。それが正直だと思うんです。僕も子どものころから勉強が大嫌いだったので、自分が嫌いなものを教えても相手は感じるだろうって思ってましてね。僕だって教師を見ていて、この人いやいや教えてるなって思ったら、面白く無いわけですよ。はっきりいって。子どもは敏感だからすぐ分かるんです。この人一所懸命やっているか、手を抜いているのか。そういった意味で僕は学生時代は教師になる気は全くなかったというか、なっちゃいけないと思っていたんですね。

      ────そうですね。人はそういった姿勢に対して凄く敏感ですからね。

      だから、教員免許を取らなかったんです。 大学では畜産獣医学科を卒業したんですけれども、入学した頃から牛肉の輸入をやりたいと思っていたんですよ。僕は関西で育ったんですが、関西は牛肉文化なんですね。関東が豚肉文化で。で、牛肉を食べることが多かったんですけれども、すごく高かったんですよ。だから、安い牛肉を私も含め消費者のみんなが食べれるようにという気持ちがあって頑張ろうと。

      ただ、当時東大闘争っていうすごい闘争があってね。それで、毎日毎日、授業がないんです。僕は暴力絶対否定主義なので、角材やヘルメット(※)には抵抗がありました。暴力では絶対に解決しないって思ってますから。ただ学生運動は社会主義の考え方で、"いろいろ人間はいるけれども、平等にすべきだ"と、それを聞いて僕は共感していくわけですよ。でも、よく考えたら、東大生が平等なんていうのはおかしくないですか?東大を卒業した人は、どうせいい会社に入ることになる。それのどこが平等なのか・・・って。

      (※)大学紛争の際、ヘルメットや角材で武装した学生たち

      それで社会を変えたいなって思ったわけですよ。東大を解体しようとか、退学するということで抗議するということもあったわけで、そうなると無からの出発になるじゃないですか。そういうリスクを負うことが出来る人は凄いですよね。そこから平等な社会を作ろう!となると同意をしてくれる人も多くなる可能性が高い。でも、当時僕は、大学をやめる勇気はありませんでした。結局自分の弱さもあり、平等な社会を望みたいという心はあったんですけれども、自分のやりたいこと、つまり牛肉を安くするということが出来なくなるのは困ると思ってしまい、学生時代は何も出来ませんでしたね。

      ────その後、総合商社に入社されたと伺っておりますが、商社は何故、辞めてしまったのですか?

      1shot-dohi.jpg

      "利潤のために手段を選ばず"というところがダメだったのです。企業は利潤追求が最も大事ということは知っています。でも、僕のいた商社の中で談合があったんですよ。談合は法律違反ですからね。悪いことをして、見つかったら結果的に会社の利益は減るもんですよね。だから、大商社はそういうことをするべきではないという思いが強くて。それを上司に言ったんですけれども、全く相手にされなかった。40年前ですからね。

      その時、ここは自分が働くべき場なのかなって思いました。それに、もう少し勤めると海外に行くことになるかもしれないっていわれていて、でも、行ったら辞められないなと思ってその時辞める決意をしたんです。牛肉もやりたかったけれど、根本に平等な社会をつくりたい。という思いがずっとあったから。これも大学時代にあの闘争がなければ、僕は商社で何の疑いも無くやっていったでしょうね。

      ────そこからなぜ、教師になろうと思われたんですか?

      利潤追求しない所へ。そうなると結構限定されるんですよ。公務員とか・・・という話になってくる。そこで考えたのが元々子どもが好きだったし、スポーツも好きだったので教師になろうかと思いましてね。そして、もう一つ。日本って平和なんですよ。その時、日本国憲法の平和主義っていいなって改めて思って、この平和な日本を続けたい。だから、次代を担う子供たちに平和の大切さをきちんと伝達したいって思って教師になろうと決めました。利潤も考えなくていいのでね。

      それで、僕はまず大学の教育学部に行ったんです。免許がなかったから。当時結婚していたんで、なるべく早く免許を取るにはどうしたらいいか、と。そしたら通信教育があるといわれ、1年で小学校の免許は取れました。当時、小学校教員試験の受験科目にはピアノがなかったのでなんとか合格し、最初は神奈川県の小学校の教師になりました。でも、平和な日本の意思を伝達するために、最終的には高校の政治・経済の教師になりたいと考えていましたね。その後、中学・高校の免許を取得し、1980年に高校で念願の"政治経済"の授業を受け持ち、2002年に校長に昇進するんです。

      社会を変える為に

      ────教職に就かれてからはどのような思いで学校教育を進めてこられたんですか?

      一つはリーダーを作りたいと。ただし形容詞がつくんです。それは「社会的」リーダーです。社会的リーダーとは他者、特に社会的弱者に対する配慮ができるリーダーです。そして、もう一つは、社会にはいろいろな人がいる。だから、そのいろいろな人がいる中で、統合教育(※)をしたいって思うようになったんです。神奈川の小学校から東京町田の小学校に異動する前に、町田の校長が障害児教育のことを聞いてきたんですよ。障害を持った子を入れて教育出来るか。と、僕はやれますっていったんです。そしたら採ってくれたんですが、障害児教育って凄く大変なんですよね。労力的には1.5倍。体育の時なんかは手を取って一緒にやるんです。勝手に動いちゃうから。でもね、教師全体の共通理解があったから凄く楽しかったんです。あとで聞いたら、その校長がそういう学校を作りたいと、だから、そういうことをある程度理解してくれる教師を集めたんです。その校長は僕に"自分のやりたい学校を作るには絶対に校長にならないと作れないよ"って教えてくれたんです。

      (※)統合教育とは、健常者と障害者を同じ場所で教育すること。

      それで、僕はその二つの思いを持って校長になったんです。校長として初めに赴任した場所は、神津島(※)にある神津高校。僕はよく発言するもんだから、"お前飛ばされたんじゃないか"って、周りからいわれるんですが、実は希望していったんですよ。島にも教育はある。でも、教師も校長も含めて島に行きたいという希望者がすごく少なかったんです。そういうのは生徒とか地元の人とかは絶対に分かるんですね。この人、本当は来たくなかったんだとか、だから、僕は立候補して行きました。

      (※)伊豆諸島の島の一つ。東京都神津島村に属する。

      2shot-dohi.jpg

      ここでの経験は、凄く役に立ちましたね。成績が優秀な一部の子は、内地の高校に出るんですけれども、その他の子は島の同じ学校に入学するんですよ。定員が30名であっても人口が少ないから定員に満たず、全員が合格してしまう。そうなると能力的に劣っている子どももみんなと同じ教育を受けることになるんです。でもね、島では、保育園、小学校、中学校も一緒だから全員でノートを貸しあったり、見せ合ったりして、統合教育まではいかないけど、学力格差がある中で、みんな助け合っていたんです。

      動物の世界だったら弱肉強食の世界で、弱い奴は生き残れない。それはしょうがないことなんです。ただ、人間は理性を持っているから、弱者を助けていくという考えもあります。そういう場合にはどういう弱者がいるかをまずは知らなくてはいけない。だから、僕は統合教育という障害を持った子どもたちを積極的に入れるような、学校を作りたいという思いが強くなったんです。

      ────自らの思いを貫く為に校長になる。という考え方は、非常によくわかります。ただ、一般企業でも経営トップの考え方が間違うと違った方向に進んでしまう気がします。今、多くの企業では現場が疲弊したり、閉塞感があったりと、非常に疲れています。その大きな原因の一つは、現場で自主判断ができなくなっていること。それは、現場を知らない経営者が考えを一方的に押し付け自由を奪っているからだと思います。そういった企業では、従業員のモチベーションが低下していますよね。

      その通りだと思います。それは、教育の現場でも全く同じことが起きていますね。僕の場合は、教師が校長である僕に対する不満があっても当然だという前提でいましたね。だから不満を言ってきた場合には必ず僕なりの説明責任を負うと。教育は子どもが一番大事ですよね。それで、僕は子どものためにこう考えています。と、きちんと向かい合って話をしようと。ただ、そこで重要になるのが、言論の自由だと思います。教師が発言出来る環境づくりですね。僕はそれを心がけてきました。しかし、そうではなく行政機関である教育委員会(※1)のやり方に対して不満を持つ教師もいます。以前は日教組(※2)がかなり力を持っていたこともあり、自由に発言できたのですが、今は、教育委員会の管理が厳しくなって来て、発言しづらい状況になっているんですよ。12~3年前は校長が強かったから現場の要求を教育委員会に申し入れる。教育委員会の職員は若くて経験も少ないから、校長の方がよっぽど強く発言できました。

      (※1)日本の地方自治体の教育に関する事務をつかさどる行政委員会。
      (※2)日本教職員組合。日本の教員・学校職員による労働組合の連合体。

      ────教育委員会が現場での経験がないという意味では、今も一緒ですよね?

      そうです。でも、今では教育委員会に権限を全て集中しているので、一介の学校の責任者の校長よりも、全体を統括している教育委員会の方が立場が上になり、校長の権限が非常に小さくなってきたんですよ。もちろん、教育委員会も子どものためにさまざまな施策を行っているとは思いますが、権限が集まると非常にまずいことになっているんじゃないかと感じているんです。だから、僕は言論の自由を守りたいと思っています。企業も活性化している企業というのは、若い人の意見をどんどん拾っていっている企業だと思います。もちろん若い人の意見でダメなものありますよ。その場合、上の人がこういう理由でダメだよ。とか、それはいいよ。とか、そうすれば下の人がヤル気を出すでしょ。僕は、発言することにより責任が発生する。責任が発生することにより、意欲的になり、組織が活性化すると思っています。発言しなかっかったら、何もやらなくていいんだから。だから、僕は発言することが組織人としての義務だと思っている。

      それに、僕にはポリシーがあって、"理想を持たぬ者は教育を語れず、現実を見ぬ者は教育を行えず"つまり、自分の理想を持って、こうやろう!とかいう思いがなくてはダメだと思います。常に理想は持っているべきですよ。その理想に向かって人財を揃えるだとか、そういう努力をしていくことによって、理想に近づけていくことが重要だと思っているんです。ただ、理想だけではダメなんです。現実も見なくては。もし、理想を言って辞めさせられるようなことがあるのならば、理想は言わない方がいい。例えば、利潤追求が嫌だと思っても、利潤を追求していかなくちゃ企業は生き残れないんですよね。だったら、まず現実を見てそれをやりながら、他を少しずつ変えていくとか、そこに入り込んでやらなくちゃ変わらないんです。企業に入った時に、本音は違うけども・・・と言うのでも構わないんですよ。入ってからが勝負ですから。

      でも、本来ならみんなで思ったことを言い合える環境だと、もっと早く理想に近づけますよね。これは日本全体にも関わってくると思っています。言論の自由がなければ活性化に絶対に繋がらない。それに僕は、組織が腐敗する原因の一つは独裁たと思っていますから。だから、企業にしても、学校にしても、言論の自由は絶対に必要だと思うんです。

      ────全ての活性化の根源が言論の自由であると語る土肥さん、後編では、現在の教育現場についてお話をお伺いしました。


      インタビュー後記

      昨今、企業の中で経営トップが私の教育論を振りかざしている光景をよく目にする。権力者が"教育とはこういうもんなんだ"と一方的に押し付け、企業全体をその考えに染めてしまうことは非常に危険である。それは経営トップ個人の体験や経験であって、汎用性がなく極めて狭い範囲のもであることが多いからだ。本来なら、教育によって広い視野を身につけさせる。そして、実際の経験の場を与え、そこで自ら学んで行くことで成長する。然しながら、私の教育論を一方的に押し付けてしまうと、自ら学ばず、言われた通りのことしか出来ない人財になる。また、おかしいと思っても、反論できない状態に追いやられてしまうのだ。
      教育の影響力は非常に大きい。だからこそ教える側は物事の真理をよく理解している人でなくてはならないのだ。

    *続きは後編でどうぞ。
    【教育改革】現行のやり方に異論を唱える(後編)――これからの教育で必要なこと