OBT 人財マガジン
2012.03.14 : VOL135 UPDATED
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第五回【仕事を極めた人の成長プロセス-前編】
――食と向き合うことで見えてきた商業家としてしての道-
株式会社 福島屋
代表取締役会長 福島 徹さん
地域密着、産地密着で40年間黒字経営を続けるスーパー「福島屋」。大手流通が真似のできない売場作りや自然栽培の作物を産地から直接取引し、付加価値を追求。仕事を極めた人たちの成長プロセス最終回では、生きて行く上で必要不可欠な"食"について食のプロ株式会社福島屋 代表取締役会長 福島徹さんにお話を伺いました。(聞き手:伊藤みづほ、菅原加良子)
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【プロフィール】
株式会社福島屋 (http://www.fukushimaya.net/index.html)
1971年 有限会社福島屋を東京都羽村で創業。1980年 株式会社福島屋へ変更。無農薬・無肥料で作る自然栽培の米や野菜を積極的に扱い、『旬ではない野菜は売場に置かなくてもよい、売れ筋やナショナルブランドに頼らない』など通常のスーパーマーケットでは考えられないやり方で商圏20キロから顧客を呼び、仕事を始めて以来40年間黒字経営を続けている。
福島 徹(TORU FUKUSHIMA)
大学卒業後、家業のよろず屋を継ぎ、酒屋、コンビニを経て、34歳の時に現在の業態へ。全国の生産者から直接米や野菜を仕入れるなど、農家との距離を縮め、コラボレーションによる福島屋オリジナル商品を数多く開発。食品スーパーマーケット「福島屋」の代表の他、株式会社ユナイト(農・商・工連携ビジネスコンサルティング)代表取締役社長、農業法人「NAFF」の取締役を兼任。著書に「食の理想と現実」(幻冬舎)がある。
商売から学んだこと
福島屋の店舗に入ると、明るい店内には新鮮な果物・野菜が多く並んでいます。殆どの青果物には、生産者の顔が分かるよう写真やその作物に対しての丁寧な説明(POP)があり、目を引きます。また、同店では日本でまだあまり重要視されていない、硝酸態窒素(※)の測定を独自に行い、表示するなど、安心・安全・美味しいをコンセプトに食を提供しています。
(※)硝酸態窒素:体内で亜硝酸やニトロソアミン体に変換された場合、メトヘモグロビン血症、発癌、生殖機能の障害といった健康被害を引き起こすと考えられている。
「私は、正しい商品を吟味してお店に並べることで、商業の在り方を作り、そこから最適な報酬を得るという意味で自らを"商業家"と名乗っています」と語る福島さん。職業分類からすれば、"商人"ですが、これらの言葉にはどこかお金優先のイメージが込められ、商売の軸にあるのが金儲けだと連想させるからだといいます。「"農家""画家""小説家"のような言い方から連想しています。また、食を提供する人間が最も大切にしなければならないのが"信用"です。だから、お金儲けのプロではなく、創意工夫で報酬を頂くという意味なんです」。
しかし、お話を伺っていると元々こういったお考えではなく、事業を始めた当初は、それほど食に興味がなく、家業の酒・雑貨を扱うよろず屋を手伝い始めたと言います。然しながら、本来の実直で真面目な性格から、近くに800戸の団地が出来た際に、御用聞きとして足しげく通い、配達を繰り返し行っていたところ、お客様が増え、酒屋として税務署管内で売上がトップに。その頃から次第に少し視野を広げたスーパーマーケットという形態に興味を持ち始め、現在の食品スーパーとしての考え方に立ったといいます。
福島さんは、その当時の事を振り返り「スーパーを始めた頃、"福島屋、何店舗?"って聞かれて"1店舗"って答えるのが恥ずかしかったんです。若かったんですね。私も、若い頃は利益に執着していましたし、プライドもあったから。仲間が集まると必ず、お前んとこ何店舗?とか売上いくら?とかいう話がでるわけで。だから、早く2店舗になりたいって、複数店舗になりたい...って」その後、福島さんは、立川で150坪のお店をオープン。しかし、見知らぬ土地での事業は難航。「体重も15キロ位痩せちゃたし、睡眠時間も短くて、食べているんだけれども、睡眠時間の不足でそうなっていくんですよ。思考能力もない中で、毎日作業しているだけなんですけど、でもそれを止めるのが怖いんです。ここでアクセルを止めたらきっと一生悔いが残ると思って。だから、もしこれで死んじゃったらしょうがない。そんな気持ちで毎日続けていました。そしたら、気の毒になったからか何かはわからないけど、"昨日のメロン美味しかったよ"ってお客様から声をかけられるようになったんです。でも、素直に取れないんですよ...。それでも、毎日夜一人で陳列をしていて、本当にくたびれて床にへたっちゃっていた時に、またお客様が声をかけてくれて、本当にありがたいことなんだって。それに、当時まだまだ素人だった僕が、市場で、例えば、ほうれん草を100円で買って、それに130円の売価をつけて売る。それをお客様が買っていってくれることが、すごく感動的に思えたんです。市場に行けば、高く買いやがってドボンしたなって周りには言われるわけですよ。見る目が無いわけですからね。でも、品物を買っちゃったし、お店に並べる。そしたらそれをお客様が買ってくれるんですよ。この素人が買った物を申し訳ない。って本当に思うようになった時、本来は全てお客様の為にやっていたんだなって・・・、分かったんです」。その時に、福島さんは利益だけではなく、人と人とのつながりの大切さ、"お金を儲けること=幸福ではない"ということを学んだといいます。
「当然、理論もあるのですが、あまり理論が出しゃばると今度は感覚・感性っていうものを見失ってしまう。感性を鈍らせる大きな要素は論理であると僕は思うんですよ。だから、僕はお客様と接触して、声を聞くことが重要だと思うんです」と福島さん。
その考えは従業員達にも受け継がれ、皆が自分の力で"お客様の為に"と自発的にモノを考えるようになってきたそうです。そして現在、福島さんは顧客視点に立った店舗作りを目指せる"環境づくり"に力を注いでいます。「環境・ロケーションによって出てくるものが違ってくる。会社や社会も同じで、いろいろな人たちの行き来があって、お店も人もそうですし、それぞれの考え方があって、そこに"意"がある。そういった、思いであったり、心であったり、それら一つ一つが育つと最終的には、形(果実)になって利益が落ちてくると僕は感じています。だから、僕は、自律的な従業員を育てるための土壌を作っているんです。それが経営者の仕事だと思っています」。福島さんご自身は、若い時から自分一人でやりくりして来たそうですが、一人では出来ることは僅かであり、多くの人たちと触れあったからこそ、今の考え方があると語ります。
商業家としての取り組み
福島さんは、20年以上前から直接産地へ足を踏み入れ、直接取引を行っています。 当時は、まだ規制があり農家との取引は禁止されていましたが、規制が緩くなり始め、新たな制度がスタートした際に、山形庄内地域に入り込み、米農家との取引を成功させ、制度認証第1号となったそうです。その後、有機栽培や無農薬栽培などの青果にも着目していき、様々な農家との関係がスタートします。作物を作ることに対して非常に優秀な農家さんであっても、商売になるとなかなか上手く出来ない方々が地方にはたくさん埋もれている。そういった農家さんを福島さんは自ら掘り起こし、商業家として関わっていきます。
自然栽培とは、通常の慣行農業や有機栽培とは違い、肥料や農薬を一切使わないで育てる
栽培方法青森で自然栽培を推奨している農家は、清らかな雪解け水をたっぷり吸った上質な大根を1作で10万本も作っています。福島さんが初めて出会った頃は、収穫が現在の5分の2で4万本程度、そのうちの1万本が多少の傷やサイズの不揃い、見栄えが悪い等の理由で、出荷出来ない状況にあったそうです。福島さんは、その企画外品を使って、"切り干し大根"を作ることを勧め、また、それまで家庭用の道具で家内制手工業的に作っていたものを設備投資などを提案し、本格的に機械を導入。自然栽培の安心・安全な切り干し大根は従来の200倍もの量が出荷・販売されるようになったといいます。福島屋では、こういったPB商品を開発する際に一つの物に四つの価値を付ける"一物四価"の考え方を用いています。
大根農家を例に取ると
①大根のままで売る
②企画外の大根を切り干しに加工し、店で売る
③切干大根(煮物)、切干のサラダに惣菜に加工する
④小売ではなく、業務用としてスーパーへ、惣菜加工業者等へ卸売する
福島屋を介することにより、顧客・産地・販売者の"三方よし"の考え方が生まれます。
多くのスーパーでは、売れ筋商品やナショナルブランドが数多く並べられ、どの店も似たような陳列になっています。しかし、福島屋では、"売れ筋が必ずしもお客様から支持されているとは限らない。他の選択肢がないから、同じものを購入しているかもしれない"という考えのもと、産地農家とのコラボレーションにより、200以上ものPB商品が生まれています。三方よしの考え方から生まれたPB商品は、お客様の健康や食に対しての考え方の見直し、そして、埋もれていた農家の活性化に役立っています。
また、福島さんは地域密着という考え方のもと、店舗がある地域の人々とのコミュニケーションの重要性について「その地域の食を良くするのも悪くするのも僕たちであり、また、その地域で買物をするお客様であると考えます。販売者の僕たちだけではできなし、お客様も一緒になって、良くなかったら"良くない"、良い物は"良い"と、皆で商品を作り上げていく。また食や自然について一緒に学んでいく環境が必要だと思います。そういう"意"を持ってちゃんと密着することが重要だし、社会の構成員の一員であり、地域の一員であると思って取り組んでいます」と。
「津々浦々物語」は、福島屋が20年前から地方を廻り、名産や名物、お米、野菜など隠れた逸品を探して来た上での企画
こういった考え方に至るまでには様々な辛い経験もした。と語る福島さんに何故、その壁を越えることが出来たのかと質問をすると。
「"意"の総和みたいなものが一つの飽和点を越えた時にパラダイムの転換が起きる。それには、経験だったり、集中だったり、継続であったりが必要だと思うんだけど、それを越えると違った観点で見えるようになってくるんだよね。その違った観点でいろんなものを捉えてみると、非常にアイディアが出てくるんです。今までとは違う切り口で見ているから」と福島さん。考えて悩んで苦しんで、そして、諦めずにチャレンジしてきたからこそ、見えてきたものがある。福島さんのお話を伺い改めて感じます。
20世紀型ビジネスにより、多くの産業が大量生産、大量消費を目指してきた経済性重視の中で、食生活も時代のうねりに巻き込まれてしまったと語る福島さん。後編は、今後の食の在るべき姿についてお話をお伺いしました。
インタビュー後記
"意"の総和みたいな物が一つの飽和点を越えた時にパラダイムの転換が起きる。と語って下さった福島さん。それは、諦めず常に学び続けた結果だと思います。
学び続けるからこそ、立ちはだかる壁をいつか越えることが出来る。また、自ら学んだからこそ、越えた後に今までは気付かなかった視点が自然と身についている。
OBT協会では、"学び"とは初めは一つずつ加算的に積み上げていくものであっても、学び続ければいつの日か加算から乗算に変わると考えています。つまり、一つの気付きであっても、今まで蓄積された考え方や経験が多ければ多いほど、様々な観点と結びつき、更に深い理解・気づきが生まれます。しかしそこに到達するまでには、常に学びたい・良くしたいという意欲をもつことと、それらを妥協することなく思い続けることが必要になります。
福島さんのお話をお伺いし、改めて商業家としての思いの強さを痛感しました。
*続きは後編でどうぞ。
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