OBT 人財マガジン

2009.04.22 : VOL66 UPDATED

人が育つを考察する

  • 前提はどこにあるのか 

    先日、管理職手前の中堅社員を対象に教育を実施した際、
    「外部環境の変化をどの様にとらえているか」というテーマで

    ディスカッションを行ったときのこと。

     

    その時、ディスカッションの題材は、ある業界における価格競争であった。

    自社にとっては前例のない、激しい競争環境を目の当たりにした参加者からは、
    次の様な意見が聞こえてきた。

     

    「景気が戻れば、違った(もっと状況の良い)局面が来るのではないか」
    「異常な過当競争。この様な状況が長く続くはずがない」
    「我々の業界では(この様な激しい競争環境は)起こり得ない」

     

    このディスカッションの一幕を振り返ってみると、
    重要なポイントが二つあったように思える。

     

    一つは、環境の変化を「一時の異常事態」と取るか、
    「恒常的なもの」と取るのか-ということだ。

     

    前提によって、手の打ち方は全く異なる。

    環境の変化を誤って認識し、手の打ち方を間違い続ければ、
    時間がたてばたつほど、組織が、個人が被る影響はより大きなものとなってしまう。

     

    そしてもう一つは、「我々にとって何が言えるか」ということを考える重要性だ。

     

    つまり、「うちの業界は特殊(同じ事態は起こらない)」と考えるのか、
    または、「他で起きていることが自分にも起こりうる」という前提で物事を捉えるのか。

     

    自分は日々どのような考え方で、どのような前提で行動をしているのだろうか-
    ディスカッションを後ろで見ていた、私はそのような事を考えてしまった。

     

    天動説と地動説と同じ様に、同じ状況なのに、ふと、見方を変えれば、
    正反対に局面が変わってしまう"怖さ"に、気づきを得た教育の現場だった。