OBT 人財マガジン
2011.03.09 : VOL111 UPDATED
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代わりのきかない存在になる
最近、出先での接客や応対態度が気になって仕方ない。今まであれば、たとえばむっとするような出来事が起こったとしても、「多くを求めても仕方ない」と諦めの方向に気持ちが向いていたが、最近は「次は利用しない」という切り捨ての方向に気持ちが働くようになってしまった。仕事柄、穿った見方が身に付いてしまったのかとも思っていたが、冷静に考えてみるとそれだけが理由ではないということに気付いた。たとえば、近所にある某有名ファストフード店の例。数年前にわたしは、この店で素晴らしい接客をするスタッフに出会ったことがある。学生ぐらいの年頃の女性で恐らくアルバイトのスタッフだったのだろう――マニュアルではない"心"のこもった笑顔と応対に大変感動したのを、今でもよく覚えている。その方の接客に惚れ込み何度となく足を運んだが、ほどなくして彼女を見かけなくなってしまった。代わりに入ったのは、留学生と思しき外国人スタッフ。文化の違いもあるのだろうが、この方がまた驚くほど無愛想であった。何度通っても直ることのない高圧的な接客や言葉遣いがどうにも嫌で、わたしはその店を利用しなくなった。なぜか。代わりのお店なら、近所にいくらでもあるからである。病院だって立派な接客業だ。数ヵ月前から目の調子が悪く、近所の病院に駆け込んだのだが、そこの先生がこちらの話をどうにも聞いてくれない。なんとなく処方された薬を点眼し続けたのだが、一向に治る気配がないので別の病院にかかることにした。が、ここの先生がまた輪をかけてさらにひどい。治療で通院しているにも関わらず、カルテにも目を通さず「健康診断ですか?」と聞いてくる。同じ医者に一体何度イチから症状の説明をすればよいのか。営業マンで言えば、お付き合いのある取引先に「お宅は何を販売している会社ですか」と今さら訪ねるのと同じことである。診療の応対もあまりにひどく、治療中ではあったが、やはり通院するのをやめてしまった。なぜか。代わりの病院なら、ほかにいくらでもあるからである。都心にいる限り利用客や患者に困ることはない、と高を括っているのかもしれない。実際、その時限りの客や患者も多いのだろうが、いつまでもあぐらをかいた商売をしていてよいものか。景気が落ち込み、今後ますますわたしのようにシビアに考える客や患者が増えていくことだろう。代わりはいくらでもある――。多くの人財や組織があふれる世の中で、ぜひとも選ばれる存在になりたいものである。自分も、きゅっと身の引き締まる思いがした。