OBT 人財マガジン
2009.06.10 : VOL69 UPDATED
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断念の術がもたらすもの
-断念の術さえ心得れば人生も結構楽しい-
これは、精神分析の創始者であるジークムント・フロイトの言葉である。
ひとは、事実をしっかり受け止め断念と喪失をきっちりと味わうと
自己肯定に至るという。
我々は時に、自分の身に起きている事実をまっすぐに見ることができなくなる。「普段の自分ならこんなミスはしないはずだ」
「今回の企画が通らなかったのは、タイミングが悪かっただけだ」
「もっと良い上司に恵まれていれば実力が発揮できたはずだ」
目の前で起きている事実をそのまま受け入れることができず
知らず知らずのうちに"誤魔化しの術"をサラッと使いこなす。本当は、
「ミスをした」、「企画は通らなかった」、「今の上司が上司である」
ことが事実ではあるが、それを受け入れることはなかなか難しい。もしかしたら、素直に受け入れられていないことにも
気づけていないのかも知れないと、ドキッとしてしまう。
"失敗から学ぶ"とはよく耳にする言葉だが
一方でその学びを阻害する要因がいくつか考えられる。ひとつは心理的な障害である。
我々は、"失敗した"事実を受け入れるのに
非常に抵抗感を抱く。
まずはこの心理的な障害を越えなくてはならない。そしてもうひとつは、失敗を招いた本質的な原因を
自分自身で見抜けていない点ではないだろうか。なぜこの結果を招いたのか
自分自身のどの言動がこの結果につながったのかこれらを自問自答し、時には周囲の客観的な評価を取り入れ
原因を的確に把握た時に"学び"が生まれるのではないだろうか。
我々は、楽しいこと・嬉しいことに対してはとても能動的である。
一方で悔しいことや悲しいことはできるだけ避けたいと考えてしまう。ただ、フロイトのこの言葉を信じるのであれば
"断念する"事からは人生を楽しくできる可能性が見えてくる。
そうであるならば、能動的に"断念の術"を習得してみたい。むしろ、習得しないのは損なのではないだろうか。
-なぜならばその先には、更に楽しい人生が待っているのだから。