OBT 人財マガジン
2009.04.22 : VOL66 UPDATED
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リンゴに狂う
「無農薬栽培のリンゴ」と一言で言えても実行は絶対不可能だ、
と当時の専門家や農家は思っていた。
農家であった木村氏もその一人であり、「何もしない農業」について
「農学者 福岡正信」書いた本との出会いが彼を変えた。
「何もしない農業」という自然農法について書かれており、それまでの農業の常識を逸する農法であったが、
木村氏はその思想を彼の扱う「リンゴ」へと置き換え挑戦を始めた。ここから全てが始まった。
木村氏が「無農薬栽培のリンゴ」を初めて、彼を取り巻く環境は大きく変化した。
畑の木々は腐り、害虫が溢れ、もちろんリンゴの花も咲かなくなった。
日々の収入も極端に減り、しまいには自家用車を売り、
光熱費を稼ぐ為に金策をし、電話も止められ、子供の服や学用品すら買えなくなった。
税金も納められないので、木村氏のリンゴの木に赤紙まで貼られたという。自らの「夢」を実現する為に、ここまでする覚悟はあるだろうか?
「何かをやりたい」こうした思いは誰もが持っているものであり、
それをただなんとなくやっていることが実は大半を占めているのではないだろうか。
ましてや、生活も考えると容易に即行動に移すことは難しいだろう。木村氏は語る。
「バカになるって、やってみればわかると思うけど、そんなに簡単なことではないんだよ。
だけどさ、死ぬくらいなら、その前に一回はバカになってみたらいい。
同じことを考えた先輩として、ひとつだけわかったことがある。ひとつのものに狂えば、
いつか必ず答えに巡り合うことができるんだよ」【奇跡のリンゴ 著:石川拓治 P23】そして、無農薬のリンゴの木の花を咲かすまで、実に9年もの月日が流れる。
木村氏に転機が訪れたのは、自らの畑で試した方法や施策が潰えて、何も次の手立てがなくなり、
全ての負の原因を自らに戒め「死」を覚悟した時に起こった。山に入り死場所を選んでいる時に目に入った光景。
それは、山中に生えたドングリの木。それは自然との共生が生み出す生命であり、
ここに気づきを得た木村氏は自らの「畑」で自然の共生という仕組みを造り出した。この結果は、果して偶然だろうか?
いや、むしろ必然である。
木村氏は自らの畑で学んだ、木々の生態、害虫の生態、気候など、全てのものは専門家以上に習得していた。
そして何よりも「無農薬栽培のリンゴ」を「天命」だと捉え、実現への道に命を懸けてぶつかってきたからこそ、
無農薬でリンゴの花を咲かす道を見つけられたと言えるのではないだろうか。今や、木村氏の栽培したリンゴは、お金を積んだところで手に入らない。
インターネットでも抽選で販売している程である。今、日本に欠けた「職人気質」という姿が、ここにはあるのではないだろうか。
職人はその道をひたすら追求し、自らの手で価値を創造することが出来る。この価値は簡単には生み出せるものではなく、
追求した時間や経験が生み出す美でもあると考える。
価値を問われる世の中に変わり、そこで求められる姿は何か?
それは自分の仕事や取り組みにおいて何を実現したいのか。
そして何よりもその「夢」へ深く追求を続けることである。現代の私たちは、その意味を真に考える時にあるのではないだろうか。