OBT 人財マガジン
2008.07.23 : VOL50 UPDATED
-
人を育てるということ ~ 「がんばれ」ということば ~
『がんばれ』という言葉には心が込められていないと、
かえってその人に対して水をかけてしまうことがある。
ある一部上場会社の幹部に、現場を廻って若い人たちに「がんばれ、がんばれ」を連発する人がいた。
ちょっと意地悪の気持ちもあって、
そう言われた人たち30人ほどに聞いてみたことがある。
「会社の偉い人から『がんばれ』と言われたらどんな気持ちになりますか?」
意外なことに、半分以上の人が、むしろ悪い感情を抱いてしまっていた。
曰く、「高級車で乗り付けて、ふだんの仕事も見てない人から言われたくない」。
曰く、「『がんばれ、がんばれ』だけなら馬鹿でも言える」。
曰く、「あんたもがんばれよ~」。
顔ではにこやかに「はいっ、がんばります」と答えてはいるが、
実のところ心の中で舌を出しているのだ。
「がんばれ」で業績が上がるなら、こんなラクなことはないだろう。
では、どんなふうに励まされたら嬉しいか、数人からじっくり話しを聞いてみた。
話を総合すると、自分の仕事ぶりを知ってくれていて、
そのうちのがんばっている部分をほめられたとき、
もっとがんばろうという気持ちになるということだった。
「○○さん、あなたは最近△△△△△の点でがんばっているね。ありがとう」
というのがいいらしい。
私は、ある支社をおあずかりしたとき、これを自ら実行してみた。
たいして時間もかからず、確かに、従業員の表情は明るくなり、業績も上がったのだ。
以後、若い人たちに対してこのやり方をやってきた。
人は誰も"輝いて生きたい"という願望がある。
自分を認識してもらいたい、聞いてもらいたい。
型に嵌め、マニュアル通りに励まそう、動かそうとしても人は動かない。
少なくとも、情熱をもって仕事に取り組んでくれることはないだろう。
教育は調教とは根本的に異なる。
管理者にとって都合がいいように動かそうとするのは教育ではない。
「人間」という存在を考えずに、結果のみを急がせるやり方が、これまで如何に若い人たちの力をつぶしてきたことか。
教育や激励の対象は人間なのだ。