OBT 人財マガジン
2007.06.27 : VOL25 UPDATED
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上杉鷹山から学ぶ
1961年、第35代米国大統領に就任したジョン・F・ケネディは、日本人記者団と会見して、こんな質問を受けた。
「あなたがもっとも尊敬する日本人は誰ですか」
そのとき、ケネディは即座に、
「それはウエスギヨウザンです」
と答えたという。
ところが、日本人記者団のほうが上杉鷹山という人物を知らず、
「ウエスギヨウザンて誰だ」
と互いに聞きあったというエピソードがある。日本の政治家として、何よりも国民の幸福を考え、民主的に政治をおこない、そして、
「政治家は潔癖でなければならない」
といって、その日常生活を文字どおり一汁一菜、木綿の着物で通した鷹山の姿に、自分の政治家の姿を見たのであろう。第42代ビル・クリントンも、日本人の政治家の中で一番尊敬している人物として上杉鷹山を挙げている。
また、2007年に讀賣新聞が日本の自治体首長に対して行ったアンケートでも、理想のリーダーとして上杉鷹山が1位に挙げられている。上杉鷹山は1751年、日向(宮崎県)高鍋藩主の次男として生まれ、数え年10歳にして米沢藩主上杉重定の養子となり、第9代米沢藩主となったのは17歳。未曾有といっていいほど、藩財政は極端に窮乏し、家臣も領民も貧困にあえいでいた厳しい状況で迎えた藩主の座であった。
若くして藩政改革に取り組み、藩の窮乏を救うことに成功したが、その道のりは平坦なものではなかった。
当時の封建幕藩体制では、藩主はそこの藩民を単なる財源としてしか考えていなかった。領民の人格をまったく無視していた。しかし鷹山はそうは考えなかった。
領民は藩に属しているものであって、たまたまそこに遭遇した藩主や藩士たちの私的財源ではまったくない、ということを鷹山は宣言した。
だから、藩主というものは、その藩と人民のための仕事をするために存在するのであって、藩や領民は、藩主のために存在しているのではない、と明確に言い切った。現代では当たり前の考えだが、当時およそ200年前の徳川幕藩体制下では稀有のことであった。
しかも、近代民主主義が発達しているわけではなく、鷹山自身の独創で改革が行われ、成功へと導いた。価値観とは一体何なのだろう。
当時、鷹山の考え方に賛同できない者はたくさんいた。
新しいものを生み出すときには、そこに根付いている価値観を打ち破らなければいけないのだろうか。
だとすると、価値観は常に形を変えるものになる。
新しいものを生み出すために、価値観を変えなくてはいけないのであれは、今大切にしている価値観とは一体何なのだろうかと考えてしまう。価値観は一人ひとりが持っているものであり、組織になれば、それぞれの組織が持っているものであると思う。
自分の持っている価値観に向き合い、自分を変えることを覚悟しなければ、ものを正しく見ることも、現状を改善していくこともできないのではないだろうか。
OBT協会 伊藤 誠司