OBT 人財マガジン
2007.06.13 : VOL24 UPDATED
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成長への第一歩
「愛の反対は憎しみではなく無関心」と言ったマザー・テレサの言葉はあまりにも有名。
しかし、いくら憎しみも無く関心があるとはいえ、人の欠点を指摘するのはなかなか難しい。自分と相手の価値観が違うかもしれないし、自分に振り返って考えてみたときに、自分はきちんとできているのか自信が無いときもある。また、それがきっかけで相手との関係がギクシャクしてしまうのではないかと考えてしまうこともある。そんなことを考えていると結局言えないままになってしまう。
それに、人から欠点を指摘されるのはもっと辛い。自分が正しいと思っていたことや、良かれと思ってしていた言動であったりするとなかなか受け入れられない。自覚している欠点であればまだしも、それ以外の欠点など自分にはないと思いたいし、そうでなくても、できれば欠点など指摘されないでいたほうがいいと思ってしまうのが人であると思う。
しかし、やはり人の欠点や自分の欠点に目を背けることは、結果的にいいことなど一つもない。なぜなら、そこにお互いの成長がないから。
「成長」
人はいかに成長するか。そのことを先日、ある企業への研修で学んだ。
その研修は2日間ずつ、間に1ヶ月空けた、延べ4日間の研修だった。そこで人が「気付き」、「変わっていく」過程を垣間見ることができた。人はそう簡単には変われないし、変わろうとすることもない。
「将来、こんな人間になりたい」と思うことはよくあるが、「今の自分はこんな人間だ」と自分と向き合うことはそんなに多くない。あったとしても、それは自分が思っている自分。人にどのような影響を与えているかとは全く違った次元の話。
そのギャップに気付いたとき、変わらなければいけない現実を突きつけられたとき、どういう行動にでるかで成長の成否に関わることを学んだ。誰だって今の自分より成長したいと思っているが、成長するためにはそれなりの覚悟が必要なのだということを知った。
人からの指摘に本気で向き合うのは辛いが、そこにきちんと向き合わせるのは、もっと辛いことなのかもしれない。
人間弱い部分があって当然だし、逃げたくなることもある。そんな気持ちを理解し、それでも現実の自分に向き合わせ、逃げないようにコントロールするのはとても辛いことだと思った。しかし、そうしないと成長はないし、そうしたことによって結果的に相手が喜んでくれる。成長への第一歩。それは自分と向き合うことから始まる。それも、自覚している自分ではなく、人に写っている自分。それはもしかしたら、初めて出会う、赤の他人と向き合うことに似ているのかもしれない。
自分の欠点や、自分に対する思いを、正直にぶつけてきてくれる人が近くにいて、自分もそのことに向き合うことができれば、人はいくつになっても成長することができる。
とても大切なことを学んだ。
OBT協会 伊藤誠司